しまずあいみのぽんこつ日誌

~アラフォーになったのでタイトル変えました~

自分を「許す」ための「憎む」強さ

最近「大人になる」ってことをよく考えるのだけど、世の中で使われる「大人」ってイコール「他人を許せる人」って文脈が多いなぁと思う。
ひどい親も、支配しようとする異性も、自分が「大人」になって許しましょうと。許す対象はいつも「他者」だ。だけどわたしは、大人とは「自分を許し、そのためにはまず他人を静かに憎む決断も辞さない人」ではないかと最近思う。
「他者を本質的に許すには自分を許さなければ」という話はよく言われるものの、じゃあまず自分を許すためには何が必要なのかということはほぼ語られていないように思う。
わたしはその解のひとつとして、「他者を憎みきる」ということが必要な気がしているのだ。
 
 常々、世間では「他者を許すこと」は成熟と受け取られ、「他者を憎む」は、未熟さと受け取られがちである。「他者への憎しみ」が「悪」と捉えられ理由として、「憎しみは連鎖するから」と言われることが多いが、「健全に」憎みきった時、それは本当に連鎖するのだろうか。
むしろ憎みきれずに、自分を責めたり、自己正当化したり、同情や救いを求めようとすると、その渇望感や満たされない時の失望がエスカレートし「恨み」へとつながる可能性だってある。
その意味で人生の大きな苦しみのひとつは、親を憎むことだと思う。それは容易に「憎みきれない」から。親が開けた心の穴が、その子どもを何かしらの形で生き辛くしている時。心に巣食うその存在に手をかけて殺めようとするけれど、その対象が自分の親そのものであり、そしてそれが既に自分自身になってしまっていることに気付く。こんなにも憎んでいるはずなのに、むしろ憎むべきであるのに、どうしようもなく愛している。すがりついてしまう。その苦しさは、周囲の想像をはるかに超えているのではないか。実際にわたしは親族にそういう思いを抱える人が居るのだが、彼女の苦しみはわたしには一生かけても理解しきれないと思う。

 

他者を「許す」「憎む」ことが出来るのは、ある意味自分以外の誰か、何かのせいに出来てるからだ。だから「他者を許す」なんてことは世の中で言われてる程、特別美しいことでもなんでもなくて、そうすれば生きやすくなるという手段でしかないという考え方は出来ないか。
その意味では「許す」ことも「憎む」こともさほど変わらないように思う。
そもそも「憎んでしまう」「憎んでも憎みきれない」「恨んでしまう」と自覚のある人は、本当は他人のせいになんてしてなくて、むしろ自分自身を責め過ぎている場合が多いんじゃないかと思う。だから、もう自分を許して欲しい。そしてそのためには親だってなんだって憎んで欲しいと思う。他者を許すなんて、いつだって良いのだから。
 
他者を許したくなれば許せばいいし、憎みたければ憎みきったらいい。「憎みきる」と言うのは、「許せない自分はダメなんじゃないか」なんて思わず、「どうしたって無理」と総括することである。出来れば口に出して何百回何千回、何万回でも。
憎みきってしまえば、歳月を経て自分の中で昇華されていく。いつか「許せる」時が訪れたら許してもいいし、許さなくてもなんの問題も無い。
 「自分を許そう」ということは、気休めなんかではなく、むしろ大変に難しいことだと思う。
だからこそ人が弱さを抱えつつも負の連鎖を断ち切り、立ち上がろうとする姿は美しく、後に続く同じ思いを抱えた人は何よりも励まされ、救われるのだろう。
他者を「許す」ことも「憎む」ことも、自分自身の浄化である。わたしが言っても説得力がなく力不足ではあるけれど、わたしはそんな人を全力で肯定したいと思う。
 

母の狂気

唐突だけど、わたしの小中学生の頃のコンプレックスは
1.長女である
2.くせ毛
3.母親が変(ヘン)
ということだった。
 
今となっては自他ともに認める「病的なシスコン」の私だが、片田舎で過ごす小中学校時代は兄や姉が欲しくて仕方がなかった。
というのも、当時のコミュニティは「あいつのバックには○○さんがついてるぜ」的な不良版スネ夫、マイルドヤンキーど真ん中の会話が日常茶飯事。
有力な姉、兄が居ないというのは、生まれながらにしての権力差、損をしたような気分だった。友人の垢抜けたヤンキーのお姉さんを見る度に、「あたしもあんなカッコイイおねいさんが居たらなぁぁぁ!」と思ったものである。
しかしそんなチーマーのはしくれ的悩み、長年のコンプレックスであった頑固で残念なくせ毛問題よりなにより、母親の破壊力は偉大であった。
 
うちは三姉妹だったので、男の子が欲しいばかりに、里親制度でもらって来たオス猫に勝手に「ペニ」と名付ける。妹が大事にしているクマのぬいぐるみに勝手に「ポコ」と名付ける。
クリスマスのプレゼントが置いてあるのはなぜか毎年12月26日の朝、しかも包みには「サンタクロースママより」という母親に酷似した謎の筆跡。物心つく前から、既にわたしたち姉妹はサンタの正体を知らされていた。
さらに、毎夕食の「いただきます」や、入学式や卒業式の写真撮影を、日をまたいで2回ずつやり直しさせられたり、母親の嫌いな色や文字や数字は、決して口にしてはいけないなど、絶対的不文律が存在した。
お察しの通り、母親はなかなかの強迫神経症である。
 
自分の名前が嫌いな母親は、芸歴も犯罪歴も無いはずなのにいくつかの名前を操っていた。
美容室や化粧品カウンターなど、いろんなところから見知らぬ女性の名前のダイレクトメールが郵便受けによく入っていて、「お母さん、今度は○○になったんだ…。」と、なんとも言えない気持ちになっていた。
ちなみにわたしたち姉妹は、母親の年齢を未だに知らされていない。学校などに書類を出す際も、その部分は見てはいけなかったので、母親の年齢が記載された最終的な書類は、三姉妹誰も見ていない。外見から察するに、推定50代か60代であるが、真相はわからない。未だに毎年誕生日には「(何歳になったかわからないけれど)誕生日おめでとう」と伝えるのみである。
母親はおっとりアニメ声なので、何も知らない他所の家からは「本当に穏やかなお母さんね」とたびたび言われた。が、わたしのヤンキーの友人たちからは「あの子の母親はマジで変わってる」と一目を置かれていた、その実どんなヤンキーも黙る天下無敵の絶対君主ハハジョンイルであった。
父親と別居後はさらにドライブがかかり、娘は誰もそう呼んでないのに、自分のことを「ママ」と呼ぶ、世間知らずでお嬢上がりのメルヘンサイキッカーの母親が次何を言い出すかと、娘たちは日々戦々恐々であった。
 
そんな母が、ある日を境に踊り狂うようになった。
突然の物音に驚いて、自室の2階から台所に降りると、母親がラジカセ(古)でプリンスをかけ、シャウトしていた。
その日から、来る日も来る日も包丁やおたまを持ったまま腰をひねりまくり、洗濯物を振り回しまくり、娘が自宅の固定電話で電話していても容赦無くボリュームをあげて踊りまくる、
わたしの友人を同乗させた車の中でも、ヘビメタの地下ライブの最前列にいるかのごとく、BGMに合わせて頭をガックンガックン前後に振りながら運転していた。友だちの顔を申し訳なくのぞくと、やはり青ざめていたが、「ママ、音楽に反応しちゃって止まらないのよねぇ。」。そう言って来る日も来る日も踊り続けていた。
 
子どもたちにとって最も恐るべきは、そんな母親の奇行が友人にバレることであり、その際たるタイミングが運動会である。
友人が居る場や子どもの運動会でも踊り狂う母を「ここはラテンの国じゃないから!(涙)」と小学生の妹たちは泣いて嫌がったのに対し、中学生になっていたわたしは日々の自分の素行の悪さに後ろめたさを感じて、無抵抗に受け入れることでそのバーターを画策した卑怯者であった。
「ママが楽しいと思えることなんてこれだけなのよ」と言いながら、踊り狂う母の姿を目の端で捉えながら「シュールだなぁ…」と食卓に並んだ夕食に、もそもそと箸をすすめた。
 
中学2年生のある日の夕方、当時親に内緒で付き合っていた髪がオレンジ色のヤンキー彼氏と、近所のショッピングセンターをぶらついていた。飲み物か何かを買いに売り場をうろついていたら、Jポップのインストを死ねるほどチープにした有線にノッて踊る人の姿があった。
 
一瞬で母だと確信し、来た道を一目散に逆走するわたしを不思議に思って、わたしの名前を呼ぶ彼氏。呼ぶんじゃねぇクソがと横目で牽制するも、時すでに遅し。後ろから母親の怒声が聞こえる。「あんた目立つんだから、悪いこと出来ないんだからね!」
ショッピングセンターで、異様に目立つ母を先に発見したのはわたしである・・・。
 
それから半年、離婚や父の死など家庭内でたくさんのゴタゴタがあり、母親は狂気を使い果したかのように消耗していった。そしていつしか、「気付いたら母親が踊り狂う」ことは無くなった。
その後田舎から別の地に移り住み、子は親元を離れ、母はいつのまにか「他所の家から見たまんま」の本当に穏やかな母親になっていった。
自分の歳を気にしたり、よく昔の話をするようになった。毎年ひと回りずつ小さくなったように感じる母の姿に、ハハジョンイルの面影はもう微塵も感じられなくなっていった。
 
先日、中学時代に通った塾の恩師と、わたしたち三姉妹で14年ぶりの再会を祝して居酒屋で飲んでいた。昔話にひとしきり花を咲かせた後、妹たちがさみしそうな顔で言った。
「お母さん、踊らなくなったじゃん。踊ってた時は本当に嫌で泣いてたんだけど、今になって思うと、何で嫌がったんだろう、もっと自由に踊ってって言えたらよかったって最近思うんだよね。」
「うん、今なら思いきり踊ってって思うよ。」 
 
すかさず「いや、じゅうぶん自由に踊ってたから大丈夫」と言いそうになったけれど、妹たちの言葉にはそれ以上の思いがあるんだと理解した。本当に心の優しい妹たちである…(シスコン)。
 
その夜母親から電話がかかってきた。用件が終わり、電話を切ろうとする時、今日のことを話そうか、と一瞬考えた。
「お母さんってさ…」
「なぁ〜に?」(アニメ声)
最近、踊ってるの?と聞こうとしたけど、思いが先行するあまり恥ずかしく緊張して、適当に話題を変えて、電話を切った。
 
昔、わたしが友人関係で悩んでると、母は決まってこう言った。「ママは友だちがひとりも居たことがないから、誰にも相談したことないし、ずーっとそうやってきたのよ。そんなくだらないことで悩んだことない。」
当時は、「親としてそんなアドバイスあるかよ」と思っていたけれど、母が「母」になった時には彼女の中ですでに大きな傷があって、わたしたちにはどうすることもできなかった。そしてその傷をなぞるように、年々神経症を悪化させ、懸命に生きる母を、わたしたちは見ていた。
波乱万丈の母の半生。叶わなかった夢、思うようにいかなかった結婚生活。娘三人をひとりで育てるプレッシャー。飼い猫に変な名前をつけるのも、狂ったように踊りまくるのも、全部母親の「狂気の発露」だったんだ。
もちろん「満たされない思いを、踊り狂うことで発散させていた」だけではない。そんなちんけな話じゃないよね、母が踊り狂う時のあの光悦の表情を忘れない。
 
最近よく思う。自分の中に狂気を持っていること、それはとても強く美しいことなのだと。平凡とか非凡とかの話ではない。変えようとしても変えられない。誰もが内側に秘めている「その人たらしめている理由」。
 
そして「自分という狂気に耐える」「自分ひとりでその狂気と向き合う、追求する」その苦しさと難しさを思う。喜びや悲しみ、寂しさ、懐かしさという思念を、人はなかやか自分ひとりで抱きしめることが出来ない。それどころか、今はそれをエサのようにSNSに撒きちらかし、共感や承認を集めようとしている。
そんな「ねぇねぇ聞いてよ!」という行為が、ありふれた日常になった今。自分ひとりで自分という、人生という「狂気」と向き合い、発露し、耐えようとすることは決して容易でないことを知る。
 
母親の狂気は、誰にも理解されないけれど、とても尊く美しいものだと、娘は思っているよ。
何をやってもいいから、あの頃のように自分の狂気を救いあげて、自信満々に突き進んで欲しい。どうか、自分にため息をつかないで。
 
だけど、その狂気だって、気力と体力があってこそ。狂気は有限なのだ。だから、そんな娘のワガママを今さら伝えない方がいいのかもしれないと思って、今日の電話でも何も言えなかった。
 

「愛されていない自分」の正体は自分の被害者意識

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要らぬ焼きもちを焼いたり、不安から相手を不要に疑ってしまったり、「軽んじられてるんじゃないか」とイライラしたり、人間関係のいざこざは自分自身の被害者意識から起こることがある。

「愛されてない」「必要とされていない。」

「大切にされていない。」「わかってもらえない。」

増長した被害者意識はもはや自分の手にはおえず、相手に「そうじゃない」と言って欲しくて、必死に弁解して欲しくて、不安のままに不信感や猜疑心をぶつけてしまう。自己肯定感の低さを相手に埋めてもらおうとする。

確かめたくて怒らせたり、困らせたり、それでも許して欲しいと願ったり。自己肯定の低さから派生した依頼心が「本当は愛してくれていた」「必要としてくれていた」人を傷つける。そしてその結果、取り返しのつかないことになる。相手の心に確かに在ったはずの自分、相手が向けていてくれたまなざしに、失って気付く。

「愛されてない自分」「思われていない自分」は、そのたいがいが実態のない、自分が作り出したおばけである。

「思われていない自分」というおばけの正体は、自分の被害者意識かもしれない。そのおばけを怖がって騒いでるのは自分だけで、ほかの人には見えないのだ。

相手が不安にさせる素振りを見せたから?自分自身にトラウマがあるから?そう思わせる要因もあったかもしれないけれど、それは単なるきっかけに過ぎず、いつも自分の中にいたおばけが出てきたに過ぎない。

自分の被害者意識を癒すためなら、大切な人だって困らせることの出来る貪欲さ、いやしさ、そしてたくましさよ。

もちろん、自分の中のおばけに振り回されることもあるだろう。そんなおばけを作り出してしまうのにはそれ相応の背景があったのだと思うし、おそらくそれ自体は当人に非があるとも言えない気がする。きっと「気づいたら、もうそうなっていた」はずだから。

だけど出来るだけ、自分を想ってくれているかもしれない人に、笑顔を向けよう。相手の言葉をかみしめて、満たされよう。

元々はあなたが原因で作り出してしまったわけでもないおばけに、今のあなたが振り回されるのはバカらしい。被害者意識は自分も相手も深く傷つけてしまう。失ってからじゃ、もう遅いから。

 

 

女が泣く理由

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 彼女は、悲しいときでもハッピーになる方法を知っていたの。

それって大切じゃない?
She was a girl who knew how to be happy even when she was sad.
And that’s important—you know

 

えぇこと言うなぁ…マリリン。

唐突ですがよく「男は女の涙がキライ、面倒」と言われるけど、それは何故なのだろうか。

わたしはその理由のひとつとして、男性は女性が泣くと「泣かしてる俺は悪者」に感じて自分を責め、その罪悪感がお手上げ感・面倒くささに繋がるんじゃないかと思っている。

「いつも泣かしてる=この女を俺は幸せに出来ない=この女では俺が幸せになれない」と。

これって、泣いてる本人からしたら「え?あなただから泣けるんです」って思うかもしれないのだけど、泣いた本人よりも泣かれた相手の方が後に残るダメージが大きく、そのダメージは消化されないまま刷り込まれていく。

実際に泣いてる時間の長さや頻度は関係なく、相手が「いつも泣かせてる」と感じればもうそれは確定事項となる。「泣く」を「怒る」「笑う」にしても同じことが言える。

ひとが、近しいひとを嫌だと感じる時は、だいたい相手を「面倒」もしくは「卑怯だ」と感じ始めた時。そしてひとが一度感じはじめたものを、他人はそう簡単には払拭出来なない。

だからわたしは声を大にして言いたい。  「いいから、一瞬でも多く笑っとけ」と。

「接客じゃあるまいし、いつも女がニコニコしてなきゃいけないの?」と言いたくなる気持ちもよぉくわかるが、逆に言うと女の人の笑顔の力をみくびっちゃぁいけません。

それでも泣いた泣かれたの話が絶えない世の中。その理由はこの二点なのではないかと思う。

①相手に泣いて訴えようとしている、満たされない欲や解決出来ない課題がある

 ②涙を流すことでリラックスホルモンのセロトニンを出したいから

そもそも泣いてる女子は、彼の言葉尻を捉えたり、態度を非難して、場当たり的・衝動的に泣いてるようでいて、その根元的な理由・目的って大体いつも一緒なのではないかと思う。

「安心したい」とか「早く結婚して欲しい」とか「自分の優先度が低い」とか「元カノが気になる」とか、不安・焦り・劣等感など、なにかひとつ特定の満たされない思いが根っこにあって、そこから派生してるだけではないだろうか。

だから本人が「どうしてわたしはいつも同じことを…」とか、彼が「コイツまた泣いたよ」とか思うんですけど、それはその根本の課題や思いが満たされてないというそもそもの根っこが解決されてないから。

その解決にはお互いの認識を言葉でをすり合わせることが必要なのだけど、そんな感情発散モードの時に要件すり合わせなんてほとんどの人は出来ない。出来るなら最初から悩んでない。だけど、言葉による認識すり合わせは大事だから心が安定している時にやるべきだと思う。

 そして感情発散モードの時は「理性的に、認識をすり合わせる」ことは無理でも、「この突発的に流してる涙は目的に対し効力がない。むしろマイナス。」と自覚することは大事だと思う。

そう自覚するとなんかもうバカバカしくなって、「泣いてるのもったいねーや」って思えて来ないだろうか。女の人は現実的だから。

目的達成するどころか、予期せぬタイミングで振られたりなんかしたら、泣くに泣けないじゃないか。

ちなみに友だちは「そういう時は日高屋のカウンターでひとりで餃子とビールでちびちびやりながら美容家・神崎恵の本を読んで心を落ち着ける」って言ってた。すげぇアンビバレンス。でもすごい努力。

泣いた後スッキリした経験のある人もいると思うけれど、涙を流すと頭頂部のツボが開きセロトニンが分泌されるので、涙を流すことにはリラックス効果があるらしい。特に疲れたり、緊張状態の後に涙が出やすいのは、脳が「やべぇ、セロトニン出さなきゃ」と思うから。

特に、疲れてたりすると、誰かと会話してても言わなくてもいいこと言ったり、無駄に感情的になりがち。セロトニン欠乏状態でコミュニケーションしてもいいこと何もないので、彼とのデート前には泣ける映画や動画でも観て涙を流してスッキリしておくことをオススメって書いても誰もやらないと思うけれど、忙しい時こそ涙を流してガス抜きするのは健康にいいみたいだよ!

結局他人と付き合いを続けることって【自分自身との付き合い方を知り、身につけること】なんだと改めて思う。その付き合い方を覚えることが、相手と自分を幸せにすることなんだなぁと。

マリリンを見習って、自分をごきげんにする方法を、スマホのメモ帳にでも書いておこう。

 

『嫁ニモイケズ』

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嫁ニモイケズ

 
妥協モデキズ


友達ノキョリカンモツカメズ


常ニ幸セニナリタイト叫ンデイル


独リ身ニナレバオチツキタイトネガイ


イタライタデ恋ガシタイトノタマウ



キズヲオッテモ全クコリズ


自分ヲカエリミルコトモナク


常ニヒトノ話ヲキカズ


ネタニハシッテイル。


Facebookノ投稿ハリア充ナノニ


「ヨイ報告」ハ未ダニデキズ



SATC臭ヲ醸シダシ


シュールナネタト自虐ヲ肴ニ


爆笑シナガラ酒ヲ飲ム



ソウイウアラサーニ



ワタシハナリタイ。



作:にゃんきちったー@3年前の25歳の誕生日を翌月に控えた晩秋に。



「アラサーは第二の思春期」上等論。

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その悩み多き状態を指して、良くも悪くも(どっちかっていうとネガティブな意味で)「アラサ―は第二の思春期」と呼ぶ人がいるけど、歳くってから思春期を味わえるとか最高じゃないか、と最近思う。

世間は「女は30まで」とか「アラサーww」とか無駄に焦らすし、それで焦ったり悩んだりセンチメンタルになると「厨二病乙w」とか「メンヘラw」とか言われたりもするし。

「お前ら中2どころか近所のいじめっ子のクソガキじゃん」と一蹴出来れば良けれど、ジャイ子だって内心傷ついたりもするさ。世間に何か言われなくても、じゅうぶんプレッシャーを感じる多感な時期である。でもだからこそ、言いたい。

「アラサー思春期こそ、感性を磨くとき」と。

「悩み多き多感なタイミング」こそ、感性を磨ける時。そんな時こそ、思い存分悩み、考え、どんどん人に会い、良き友と語らい、美味しい酒を飲み、彼や旦那とじゃいけないような店にもこっそり行き、美しいものをたくさん愛でて、楽しければ朝まで仕事をし、感性を磨けばいいのだ。そのための武器や器(自立できる経済力、可処分所得、そこそこの会話力、良いものと出会うアンテナや引き出し、働ける体力)を持ってるのだから。

多感な人に向かって「そんなことにいちいち悩んでるなんて無駄だよ」と言う人がいるけれど、だって思春期って悩むものじゃんと思う。

彼氏が居なかったら「結婚出来ないかも」と焦り、居たら居たで「この人でわたしはいいんだろうか」と悩み、産んでもないのに産んだ後のキャリアに悩み、産んだら産んだでまた悩む。

働いてたら働いてたらで「ずっとこのままこの仕事を続けるんだろうか」と悩み、引退したら引退したで焦りや退屈を覚える。「悩むより行動」したらしたで、新たな悩みが生じる。

 

「悩むと考えるは別物」と言うけれど、ただえさえ不器用な状態になってる人間にそんな器用な区分出来るわけないんすよ。

それはその多感な時期を「抜けた人」だから出来ることであって、だったらわかってやれよ(くれよ)と思う。

例えば結婚した人は、独身で焦ってた気持ちって忘れちゃうじゃないですか。なんか相談されても「えーまだ大丈夫だよ~、ゆっくり探せばいいじゃん!」って。

 おいおいアンタ、夜な夜なバルでワイングラスの持ち手を指でへし折る勢いで「けぇっこんしたいぃぃぃ!」ってくだまいとったやんけって。アヒージョの海老が生き返ってふっとんだかと思うほどフォークぶっさしてたやろと。

 それくらい気持ちも感性も、状況に応じて都合よく変わるんすよ。大人になっても。

 

十代の思春期には、モテないとか親友が居ないとか、可愛くないだの痩せてないだの、親が嫌だ学校が嫌だそんなことを誰もが何かしら感じていたと思う。後から考えればそんな「くだらないこと」どうでもよかったな、と思う反面、そうした思春期の心を占めていた「くだらないこと」が、今の自分を作っていたりする。悩みやコンプレックスは、その人の原点、原動力、肥やし、生きるヒントだ。

14歳の頃のわたしが、もうすぐ28歳になるわたしをつくり、28歳のわたしが、30代、40代のわたしをつくっている。

思春期第一派の14歳の頃と違って、今は親の庇護も無いし、体力も年々衰えるかもしれないけれど、そのぶん親の干渉に悩まされる必要もないし、友人同士の幼稚で面倒ないざこざもない。

あの頃と比べて、出世やら年収やら結婚やら妊娠やら育児やら、周りの子たちと歴然と差が着いて焦ったり、「現実」に凹むかもしれない。だけどあの頃だってみんな同じ制服着てたからわかんなかっただけで、そんなの生まれた時から歴然とあったのだ。

「人生に無駄なことは何もない」は半分ホントで半分ウソだと思う。何を無駄と思うか思わないかは個々人の感性に依る。
確かなことは「感性」が無いと人は自分で物事を捉えることが出来ない。だから、結果「無駄だった」でもいいし「無駄じゃなかった」でもいいから、わたしは自分の拠りどころとなる感性を磨きたいし、幅を広げたい。

感性を磨いて腹も舌も肥やして、どうせなら味わい深く生きたいものである。

 

愛はかけ捨て、巡るもの。

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最近、人に心から愛され、想われることは、「自己受容」「過去の肯定」「浄化」になるんだなぁとよく思う。

それは相手と離れてしまったとしても同じだ。むしろ、時が経ち、執着がなくなり思念が消えた時、「想い想われた」愛だけが色濃く残る。

 

18歳の時から7年半付き合った人が居た。

わたしにとって、初めて甘えられる、頼れる歳上の人だった。

その彼に寄り添ってもらい、時には突き放され、だけどすべて肯定してもらったことで、わたしは自分の感性や過去を徐々に肯定することが出来た。

自意識が強く、変なところで繊細過敏なわたしを「自分には無い感性で、おもしろい」と言ってくれた。

若さ故の自意識で、意味もなく人に反発したり、世の中に対して軽口叩くわたしを面白がって、時にたしなめてくれた。

昔はいまにも増して人見知りの内弁慶が故、彼以外の前で自分の出し方が分からず、空回りしては気疲れし、それをいちいち気にしていた。

そんなわたしを見て、「確かに分かりにくいけど、歳を経る毎に絶対ラクになっていくよ。」と言ってくれた。

 

「何を根拠に?」と思ったこともあったけど(口減らず過ぎる)、その場しのぎのごまかしや気休めとも思えないほど、彼の態度は「大丈夫。なぜならね…」と、どんな時も一貫していた。20代そこそこだった、当時の彼の感性と経験を総動員した、わたしに対する受容と肯定だったんだなぁと、今になって思う。

 

いつも穏やかで「いいじゃない」が口ぐせの彼に肯定してもらい、徐々に自分を受け入れられるようになると、相変わらずコミュニケーションに難はあったが、彼以外の前でも、自然と自分を出せるようになってきた。

 

するとだんだん人から受け入れられるようになり、その幅が広がり、そしてまたわたしもまた徐々にたくさんの人を受け入れられるようになった。

自分のめんどくささえも彼がそうしてくれるように面白がれるようになり、そしていつの間にか、彼以外にもそう思ってくれる人が周りに増えていった。

 

そして、彼と別れ2年あまり。

不思議なことに、時が経つごとに、わたしの中に根付いている彼の愛情を感じるのだ。

自分の言うことを周りに受け入れてもらえず、どこかむなしさを感じた飲み会の帰り道に。

相思相愛で付き合ったはずの彼に、あっさりと振られ自信喪失した夜に。仕事の成果を、ひとと比べて落ち込んだ会社の休憩室で。自分の毎日や将来が、退屈で代わり映えしないものに思えた日曜の夕方に。

泣きたくなる気持ちになると決まって、 「大丈夫だよ。なぜならね…」という彼の言葉が、わたしの中から聞こえてくる。そのたびに「全然大丈夫じゃないだろ」と苦笑しながら、わたしはまた前を向くことが出来る。

そしてわたしはまた彼の愛情のおかげで、別の誰かを想うことが出来る。彼がわたしの中に残してくれた愛情は、わたしの毎日を絶えず巡りめぐっている。

 

「恋はかけ捨て、愛は積み立て」と言うけれど「恋」は相手や自分自身に見返りを求め、「回収」しようとするものじゃないだろうか。

だったら「愛」は何なのだろうか。自分の生きてきたありったけの経験と感性を以って、「その人が幸せにあるように」‘‘出し惜しみなく”見守ることだとわたしは思う。その意味で、愛はかけ捨てである。

 

たとえ最後望んだ通りの関係やカタチにはならなくとも、一時的に喪失感を生もうとも、心から愛し愛されていたなら、二人には必ず愛だけは残る。

むしろ「今までの関係を失った時こそ」自分本位な欲や執着が消え、結果、愛情は研ぎ澄まされる。

それが‘‘無い”関係ならば、たとえフラれたって別れたってなにも泣くこたない。あなたは未だ何も失ってはいない。

そして、そこに愛が残ったならば、寂しがったり悲しむことはない。二人の関係は、0になんか戻らない。

そう気付いた時、わたしはどんなに寂しくても辛くても、ひとりで立ってられる気がした。チンケな未練はどこかに消えてった。

 

7年半、毎日のように顔を見ていた彼と、もう会うことはない。SNSで近況を知ろうとすることもない。彼の身近な世界と、わたしの身近な世界は、きっともう交わることはないし、あの頃のように隣り合って歩くことは、もう二度とないだろう。

彼とわたしの過去は、年々遡るのが難しくなるほど遠くに行ってしまったが、でもいつも目の前にいるかのように、わたしの中で実感だけが残っている。

彼との思い出を、もう手繰り寄せたりしない。思い出や記憶というより、ただ実感として、愛情が残っているだけだ。
人は、愛された実感を糧に生きていくことが出来る。自分が愛した実感は、生きていく拠りどころになる。 わたしは、いつの間にか自分自身に根付いた「愛」を持って、また歩いていくだけだ。
 
彼が10年も前に蒔いてくれた種が、遅咲きながらも、徐々に芽吹いて花を咲かせようとしている。
どんな風雨にさらされてもヘコたれない、強くて美しい花を咲かせていたい。
もうひとりで水と光を与え、花を咲かすことが出来る。そんなわたし自身であり続けることが、わたしから彼への愛情と感謝なのだ。
 

【追記】

折しも、その7年間付き合っていた彼が一昨日結婚式を挙げたとfacebookのタグ付けで今しがた知った。

その時わたしはジェーン・スー著の『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』のあとがきをしみじみと読んでいた。

 

今の今まで都合よく忘れていたが、この噛み合わなさこそ、わたしたちの真髄である。

 

引き続き、いつまでも幸せでいて欲しいと祈ってます。

そしてこの期に及んで話のネタにするわたしを、どうかお許しください。

浮気と愛情は別物である「浮気をしない人の7つの特徴」

 
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『TABI LABO』を見てたらこんな記事を見つけた。

 

『どうすれば、浮気をしない誠実な人を見分けられるのか・・・
世界で共通している「愛」のコト。』

浮気心は世界共通?!浮気をしない人の「7つの特徴」 #最後がスゴイ | TABI LABO

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(以下文中より転載)

浮気。それは、信じているはずのパートナーへの大きな嘘である。
「あなただけを愛している」と言いながら、実際には他の人にも同じことを言っているのだ。
浮気をされると、もう二度とその人を信頼出来なくなり、場合によっては男性不信・女性不信に陥ることもある。

ここ最近海外サイトで話題になっているのが、浮気をしない人の特徴。
「浮気をしない人と付き合いたい」という万国共通の願いを叶える為に、
海外サイトを参考にまとめたこの記事が少しでも参考になるかもしれない。

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この記事の最後に、例によって頼まれもしないのに、わたしの思う「浮気をしない人の7つの特徴」を書いてるんですが、その前に「浮気」の議論について、わたしは下記のことを問いたい。

わざわざわたしが書くまでもないことだと思うけど、「愛」の有無と「浮気」の有無は別である。

特定のパートナーが居て、その人に愛情もなくさらに浮気をくり返すやつは「論外」なので(この記事上では)大気圏に捨ててくるとして、愛妻家、旦那を愛している人が浮気しているなんてことはよくあることで、本人たちも「妻(旦那)を愛している」と言っていて、それは傍目から見てもウソじゃないんだろうな、と思う(それを、「とか言いつつ本当には愛してないよね」みたいに周りが言うのは超絶野暮だと思っている)。

浮気してなくても愛してない場合もあるし、浮気していて、かつ愛してない場合もある。

じゃあ何故浮気をするのか。「愛情と性欲の区別がつかないから」である。

だから、よく浮気されたらどうしますか?という質問があるけれど「私のパートナーは、現時点では愛情と性欲の区別もつかないお猿さんなんだ」と諦めるほか無い、が現時点でのわたしの回答である。

愛してる人のすごく悲しい顔より目の前の性欲を優先するとはわたしにとってはそういうことである。

 

また一方で人はよく「あなたを愛しているから、裏切ってほしくない」と言う。


でも「嫉妬」の無い「恋愛感情」は稀だけど、「嫉妬」の源泉は「恋愛感情」ではないのではないか。ましてや愛情でもない。 

 ※その意味で「恋」と「愛」は別物だと考えていて、でもそれについて書くには力量勉強不足だし、読んでて面倒だと思うので割愛しますので、二村さんのコラムを。

「愛」と「恋」とは正反対! 恋愛のカリスマ・二村ヒトシさんに聞く、理想の男性と決別して幸せになる方法|ウートピ

 

嫉妬や独占欲それ自体は「悪」ではないし「正」でもない。でもそれらを刺激されたら、悲しい、傷つく、怒りやネガティヴな感情が湧いてくる。

「なんで浮気するの?!」って正論を主張するかのように責めてしまうんだけど、それは「自分が嫌なことをされた怒り、失望」の上に立って相手を責めているのだ。

 

そうやって、わたしたちは、感情と正義をしばしばすり替えがちである。

自分に相手を責める権利があるように思って責めている間は、相手が何かしらの罪悪感を感じることを期待してしまう。

そうやってるうちは、相手の中にまだ居場所があるような気がして、相手を責めることで、首の皮一枚で繋がろうとしている。

 

浮気する人はするし、される人は大概が、最初から「浮気する人」を選んでいる。

もしくは惚れた弱みや気の弱さや怠惰で、「浮気されてしまう状況」っていうのを自分で作り出しちゃってる。

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ぐちゃぐちゃ小うるさいことは置いておいて「もう、バカ猿は無理っす」という人には、この記事に出てきた「浮気をしない人の7つの特徴」は考えるヒントにはなるかもしれない。

 

※「⇒」部分はわたしのツッコミです。

本文を読みたい方は前述のリンクへどうぞ。

 

浮気心は世界共通?!浮気をしない人の「7つの特徴」 #最後がスゴイ | TABI LABO

  

1.気分転換の方法を知っている
「浮気しない人は、自分の感情をコントロールできる。」

これは脳内麻薬であるドーパミンの出し方を知っていると解釈すると、理解しやすい(余計できねぇよ)。

サーファーや釣り人、ワーカーホリックは、その対象が「自然」や「魚」「仕事」で、ドーパミンを異性に求めないので平和っていうか市民権を得ている。

これが「女」や「セックス」の場合、言わんをやである。

 

2.人に敬意を払う、相手を尊敬する
「敬意をもって人と接することが出来る人は、浮気をしてパートナーを傷つけたりしない。」

確かに彼氏彼女ナメてる人は浮気してるのよく見かけるけど、「敬意がある人は浮気しない」とは限らない。

大概の人が尊敬ってパーツでするもので、逆に全面的に人を尊敬したらそれは「宗教」だけど、その域までいったら信者は浮気しないよね。

一方で教祖である相手が信者をナメたりうっとうしくなって浮気するパターン多し。

 

3.人の価値を理解している
「今まで何人の人と寝たか」誠実な人はそんなことで人の価値が決まらないことを知っている。

異性関係や異性経験にコンプレックスがある人や欲求が高くないのは「浮気しない人」のベースだと思う。

コンプレックスがあったら必ずそうなるわけじゃないのは大前提として、ヤリチンや浮気性って、大概がコンプレックスの追求だと思う。

好奇心旺盛や病的でない性欲旺盛型は徐々に衰えるけど、病的なものは難しいよね。


4.長期的な視座で、理性を大事にしている

浮気をしない人は、自分の人生で何が大事なのかを理解している。

⇒7つの特徴のうち、2番目に同意。
短中長期の優先順位付けと長期の見立てを理性的に出来ることは浮気しない人の重要な要素だと思う。

浮気って言ったって、長くて3ヶ月も経てばドーパミンもエンドルフィンも徐々に出なくなり、ほぼ腐れ縁である。
そんな平常心に至った際に、面倒を感じないか。
結局複数人を相手に出来る人は少数派であり、それなら「最初から手を出さない方が合理的」「早期撤退」と考えるのは合理的だと思う。

 

5.相手を自分のことのように思いやる

パートナーを自分のことのように大事に思い、相手が笑顔でいるように努める人は、当たり前のようだが浮気をしない。

⇒前述の「愛と性欲の区別がつかないお猿さん」理論ですな(なんかもう猿に失礼)。

 

6.傷ついたことがあるからこそ、優しくなれる
⇒5に同じく、想像力と良心の問題。

 

7.別れる勇気を持っている

浮気をしない人は、気の合わないパートナーとは潔く別れる。残酷なようだが、その方がかえって相手を傷つけないこともあるのだ
7つの特徴のうち、これに1番同意。(「気の合わない」っておぃ・・・)
元カレ元カノとずるずる関係を持ったり、新しい人が出来ても旧恋人と関係を終わらせられない、もしくは複数の選択肢から一つを選べないのは(選ばないのではなく)、優柔不断と自己愛の強さ故に、清算と総括が出来ないからである。

実際優しい人が多いんですけどね~・・・優柔手段だと自分から人を切れないし(ましてやお互い好意を持ってるし)。

 自分がそうだから思うのだけど、自己愛強いと自分の感情を宝石の様に扱うから、恋愛に限らず、ただの一時的な感情を、とても大事なものとして扱っちゃう。「ロマンチスト」の中身はしばしばそれじゃないかと思っている。

 

ただの偶然と己の優柔不断さから一時的に生まれた感情や欲情を「もっと早く出会いたかった・・・。」とか「言うても人生の大事な人だから情が・・・。」みたいな一世一代のものにしちゃう。

周りからしたら「あーハイハイ・・・」って。おめでたいと言うかウザいというかどっちもなんだけど・・・。

  

上記を踏まえてわたしなりに考えた「浮気しない人の7つの特徴」

1.脳内麻薬を認識し、そのコントロール方法を知っている。
2.想像力があり、かつ自己中心度合いが高くない。
3.異性関係にコンプレックスや病的な欲求がない(過去にあったとしても、そこそこ昇華されている)。

4.優先順位付けと長期の見立てが理性的に出来る。

5.清算・総括能力がある

6.優柔不断で【無い】

7.自己愛が強すぎない

 でした。

 

人間関係を築いていくというのは、自分自身の問題(愛する技術とか、何を求めてるかとか)がほとんどである。

幸せになる原理原則があるとすれば、自分を変え、それでもダメなら相手を替える(相手を「変える」じゃないよ)。

 

後者の「相手をリスクヘッジ」するという観点では、このまた記事は有効かもしれない。

 

 

【続】永遠の幸福の8秒間(父の死後の昔話)

(「永遠の幸福の8秒間」の後日談です)
父に頼まれた病室に置くオーディオを買いに行く途中で、中学2年の終わりまで、ほんの3ヶ月前まで通っていた中学校の前を通った。
 
構内を囲む高いフェンスの向こうから、校庭から生徒の声が聞こえる。
体育館で弾むボールの音が聞こえる。
途切れ途切れ、ピアノの音が聞こえる。
 
度々呼び出された職員室、家出がバレて捕獲された渡り廊下(家出中のくせに意味不明な生真面目さで何故か学校には通っていた)、テニス部女子の噂話を肴に、放課後追い出されるまでだべっていたテニスコート前、まるで数年ぶりに母校を訪れたような、懐かしい気持ちになる。
この3ヶ月、転校したことを悔まない日はなかった。遅刻欠席は絶えなかったが、3ヶ月前まで毎日「行かなければならない」居場所だったのに、今となってはわたしは「部外者」でしかなく、その事実に今更胸が痛くなった。
 
「早く教室に戻りなさい!」
 
つい癖でぎっくりとして振り返ると、毎日つるんでいた友だち二人が、保健室の先生と生活指導担当の教師に追いかけられていた。
 
あっと思ったと同時に友だちもわたしに気がついて、「えーっ!なんでここに居るん!」とフェンス越しに駆け寄られた。
こんな風に気安く名前を呼ばれ、駆け寄られたのは久しぶりで、一気に懐かしさがこみ上げる。転校先の学校では、わたしの名前をこんな風に呼ぶ人は居ない。
居るはずのないわたしがそこに居たことに、保健室の先生も指導担当の教師も驚いていた。
 
父親の事情を話すと、友だちはそうかぁと言って、「また夏休み愛媛に帰って来んの?」と言った。父親が亡くなったら帰る場所もないのだけど、と思いながら「そうしたいねぇ」と曖昧に頷いた。
久しぶりの再会は驚く程あっさりしていて、あんなに「一生心友」とか言っていた仲であっても、所詮一度離れてしまうとこんなものなんだよな、とやり場のない寂しさを感じながら手を振った。
再び二、三歩あるき出したところで、また名前を呼び止められた。振り返ると、私が転校する時に餞別としてハンカチとメッセージカードをプレゼントしてくれた保健室の先生がまだそこに居た。
「お前、強く生きるんよ。」
数ヶ月ぶりに聞いた方言が懐かしくて嬉しくて、「先生もね。」と言って手を振った。
 
危篤と聞いていたのに、高校教師だった父は「早く名古屋へ戻って学校へ通え」と言った。
今日にも亡くなるかもしれないのに。
今となっては何故そうしてしまったかわからないけれど、それが父の望むことだと思い込んで、わたしは2日間居た病院を後に、名古屋へ戻った。そしてその2日後、父の訃報を聞いた。
 
学生服を来て2日振りに愛媛に戻り、通夜会場に着くと、幼い頃以来ほぼ会ったことの無い、父方の親戚が集まって居た。
父方の祖母と絶縁した母親は、通夜には来れなかった。 
部屋の一番奥に、幼い頃から父に暴力を振るい、借金を肩代わりさせようとした父の兄である叔父が見えた。この叔父は、消費者金融で金を借りては、返済を祖母や父に押し付けようとして、父の職場や、祖母と住んでいたマンションには、時々督促状が届いていた。
「二度と家の敷居を跨がせない」と、絶縁していた。この男の目の前でだけは、死んでも泣くものかと歯をくいしばった。
通夜の部屋の仏壇に、父の遺影が見える。それを見て初めて、「本当に死んだんだ」と父の死が現実のものとして迫って来た。
「さだまさしに似とる気がしん?」初めて会った叔父らしき人が話しかけて来た。
このタイミングでさだまさしかよと思ったけど、額が広く、痩せこけた頬の写真は、悲しいかなそう見えなくもない。
「最後げっそり痩せましたからね」
そもそも写真のセレクトが最悪だと思ったけど、それは言わなかった。わたしは死に目にも会えていないから、何も言えない。
顔掛けをめくると、ひんやりと硬直し、やせ細って白くなった父の顔があった。
太い綿棒に水を含ませ、口元を濡らすよう言われた。 
この人には酒の方がいいんじゃないのか、と思ったけど、極力誰とも言葉を交わしたくなかったので言われるがまま一通りの所作をこなした。
読経を済ませ、住職が帰ると、みな緊張が溶け足を崩し、どこからともなく出前の寿司と酒が運ばれてきた。
嫌な予感がしたので、その輪から外れて、隣で父の顔をずっと見ていた。
酒が入ると間も無く、父の車はいくらで売れたとか、残ったマンションはどうするとか、そんな話からあの人は何年前に亡くなったとか、子どもがいくつになってるはずだとかいう、身内の与太話に入った。
遺産相続の話になると、祖母がわたしに聞かれたらまずい、と話を遮ったのが背後からでも分かった。長男が、この期に及んでしょうもない話を繰り出し、しきりにバカ笑いする。
通夜に出るのが初めてだったわたしは、ただの酒盛りに興じる雰囲気に耐えられなくなった。
悔しくて涙が堪えられなくなって、トイレに行く振りをして部屋の外に出た。
堪えていた涙がどっと溢れて、あてもなく歩きつづけていると、見知った道に出た。
映画オタクでもあった父に、度々連れられたレンタルビデオ屋まで歩いていける距離にあるとわかって、大泣きしながらとぼとぼ歩いて行ったけど、当然何もすることがなくて折り返し戻って来てしまった。
だけど、通夜の部屋には戻りたくない。憂鬱な気分で建物を見上げる。
すると葬儀場の上に屋上が見えた。親戚と鉢合わせないよう最上階まで階段で登り、梯子を見つけ、よじ登りながら屋上に居場所を得た。
タンッと屋上に降り立った瞬間、気持ち良い夜風が吹き抜け、制服のシャツとスカートが膨らむ。この日初めて息を吸えたような気分になった。
 
夜もすっかり更けていたが、屋上を照らすライトのおかげであたりが見渡せた。屋上を一周しながら辺りを見回すと、一時期父親と祖母と住んでいたマンションが見えた。
小学生の頃、父親にたまに連れて行ってもらったショッピングセンターが見えた。ほんの半年前程に、叱られ、喧嘩してひとりでふらついた公園が見えた。
 
父親が亡くなったのは、自分のせいじゃないかという思いが頭を駆け巡る。中学3年生に上がる春、少しだけ荒れていたわたしを更生させるというので、「孟母三遷」(=まともな人間を育てるためには、住む場所を三度変える必要がある)を母親がリアルに実行し、長年別居していた父と正式に離婚し、再婚をして名古屋へ移り住んだ。
小学生の頃から続けていた演劇活動を、本格化したいというわたし自身の思いもあった。でも類は友を呼ぶもので、転校して間も無く、ヤンキーの子達に誘われた。 
ここで後戻りしてまたつるむようになっては、さすがに母親や道連れになった妹に申し訳が立たなくて、その子達に一緒につるむのは無理だと告げると、その翌日から色んな噂が出回り、誰も話しかけて来なくなった。
そうしてわたしが名古屋へ移り住んで3ヶ月後、父は死んだ。
「お父さんも寂しかったやろうねぇ。」
通夜の部屋でぼそっと親戚がこぼした言葉が何度もよぎる。
父親も失い、家族を引っ張り回して、友だちも失い、叶うかどうかもわからない夢を追いかけ、わたしはいったい何をやってるんだろう。
そんなことをぐるぐる考えながら、延々と泣き明かしていると、空がだんだんと白じんで朝になった。
 
葬儀の日に、なってしまった。あと数時間後には、父が焼かれて灰になってしまう。
誰かに見つかってはまずいと、梯子を降り、でもやはり通夜の部屋には戻りたくなくて、昨晩屋上から見つけたあの公園へと歩いた。最後出来るだけ長く父の顔を見ていたいとも思うけど、あの空間に耐えられそうもない。

あの部屋に父の身体はあるけれど、父の魂だけはどうかわたしと一緒に居てくれますようにと言い聞かせた。
早朝の公園では清掃の仕事かボランティアなのか、ひとりのおばちゃんが居た。
学生服のまま泣き続ける不審な中学生をどう思ったのか、おばちゃんは「内緒だよ」と公園に咲いていたヒマワリをへし折って一輪くれた。 
「生きてたら、必ずいいことがあるけんね。」
自殺でもすると思われてしまったのかと思いながら、わたしはその言葉にいくらか救われ、ヒマワリを片手に葬儀場へと戻った。昨夜からずっと抜け出していたわたしがしれっと戻っても、何かを言う親戚は居なかった。 
参列した父の教え子の高校生たちに、「お父さんに似てますね。特に目がそっくりです。」と声をかけられた。 
これまでは、決して美形とは言えない父に似ていると言われると、複雑な気持ちになっていたものだった。でも、この時はさだまさし風の遺影を見ながら、少し救われたような気持ちになった。父はわたしの中に生き続けている、そう言われた気がした。
 
葬儀中終始寝ていた長男が、喪主の挨拶の時だけ、世にも白々しい泣き真似をしていたことに、顔から火が出る程恥ずかしくなった。
葬儀の最後、棺桶に最後の挨拶と、思い思いの品を入れていく。
昨日の夜、数日前に買ったあのオーディオを入れたくて探したけれど、もう既に無くなっていたことが分かった。 父が亡くなる前から、すべて長男が手をつけていたらしい。それらにほとほと嫌気がさして、棺桶へと並ぶ黒い列に入れなかった。
 
最後、親戚が居なくなった隙を狙って、父の教え子のみなさんが持って来てくれた千羽鶴の横に、公園のおばちゃんからもらったひまわりを添えた。
すると横から、幼い頃一度だけ会ったことがあるらしい叔母さんが、ひとりごとを言うように、こっそりわたしに話しかけた。
「本当に、思ってくれる人だけを信じたらええけんね」
驚いて、頷くことも出来ずに突っ立って居ると、その人は黒い人だかりの中に紛れてしまった。
 
その後、相続の件で何度か電話でやり取りした祖母がやたら優しくて、その祖母が気落ちしてないかと、墓参りも兼ねて、父親と住んでいたマンションに一人で住む祖母を、葬儀の翌々月に尋ねた。  
残された父の部屋を見たい、という気持ちもあった。
びっくりさせようと、何も連絡せずに来たので、数か月前まで自分も住んでいた部屋のインターホンを押す手に今さら緊張が走る。
祖母は急に尋ねてきたわたしを見るなり、玄関先で、「何しに来た」と他人を見るかのような目で言った。
わたしは何も言えないまま、一時祖母と父と三人で暮らしたマンションを後にした。
集合ポストを覗くと、長男宛の郵便物が何通か届いていた。そういうことか、と思った。
 
その日以来14年間、連絡を取らなくなっていた祖母が、半年前に亡くなったと先月になって知った。結局死ぬまであのマンションで、あの長男と暮らしていたそうだ。
 
毎夏、ヒマワリを見るとあの夏の日のことを思い出す。
ひとの言葉は、人を深く傷つけることも出来るし、救いの一助となることも出来る。心を砕いてくれる、その人の一言だから意味が生まれる。
そのことをわたしは十分に学んだはずなのに、未だに時々間違え、流されてしまう。
聞くべきでない言葉を正面から受け取り一喜一憂し、本当に心を砕いてくれる人の耳の痛い言葉から逃げようとする。 
 
誰かの痛みをほんの少しでも救えるような、一歩を踏み出す力になれるような、そんな言葉をかけられる人でありたいし、そうした言葉をちゃんと受け取ることの出来る人間でありたいと思う。通りすがりの誰かでも良い。そこに、出し惜しみは無用である。
私のあの日々を救ってくれたのは、間違いなくそんな一言たちだった。

永遠の幸福の8秒間。父の死が教えてくれたこと。

「昨日産まれたばかりのように、一度死に直面したかのように、日々を味わい、慈しんで生きよ」

どんなに身体に気を使ってたって、私たちは食べ物から、空気から、栄養以上の毒を吸収している。
どんなに幸福感(セロトニン)を分泌しても、日々それ以上の不快物質(ノルアドレナリン)を出して生きている。
その意味で、人間は生まれた時から死に向かう、毒を盛る器でしかない。生まれた時から血を噴き出して生きている。その出血は死ぬその時まで止まらない。
 
そしてどこかで大量出血して、終わりに辿り着く。そして、そんな出血の旅の途中でも、人生には幸福を感じるチャンスが用意されている。
人間の脳が幸福を感じることが出来るのは、最大8秒間という説がある。
貴重な最大8秒間の幸福。それは一瞬であり、永遠である。
 
人生に過激さや刺激を求めて、「血は流してなんぼ」と、出血を加速させるのか。タモさんのように「現状維持」を人生のテーマに、日々出来るだけ止血しながら、たまに訪れるささやかな8秒間を味わうのか。それは人それぞれだから、その選択は誰にも止められない。
 
会社帰り、涼しい夜風にあたりながらそんなことを考えていて、ふと懐かしい感覚に陥った。
 

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わたしが中学3年の夏、49歳の若さでアル中とニコチン中毒のせいで、食道ガン、肺ガン、胃ガンのトリプルアタックで入退院を繰り返した父親が、突然「危篤」というので急いで見舞いに行った。
三ヶ月前から愛媛と名古屋という距離で別居していた父親との、久しぶりの再会だった。
個人病棟で寝たきりの父親の腹は、布団の上から判るほどかなり膨れていて、死期が近いのは誰の目にも明らかだった。
後から祖母や医者に話を聞くと、父はその状況でも自身が自分の死を予感していたかどうかは怪しくて、さすが自分以外のあらゆる人間をバカにし、自分しか信じない人だったなと思った。
見舞いに着いて早々、CDやレコードを万単位で所有する音楽オタクの父から「病室用にオーディオを買って来て欲しい」と言われ、遣いに行った。
「危篤状態だと言うのに、のんきだな…」と思いながら、わたしは渡されたお札を握りしめ街へ出た。
 
そうこうしている間にぽっくり逝かれてはどうしようと、冷や汗をかきながら、そして猛烈に焦りながら、でも予算内で買える、出来るだけ良さそうなオーディオを街で探した。
2〜3日かかるという宅配を断り、大きなオーディオを真夏日にえっちらおっちら抱えて病室に持って帰った。
すると父は病室から忽然と姿を消していた。もしや既に手遅れだったかと青ざめたのも束の間、どうやら様子がおかしい。
まさか脱走はしてないよなと病室のトイレのドアを開けた瞬間、彼はトイレでさも美味しそうに煙草を吸っていた。まるで学生のヤンキーである、、、。高校教師をしている父が、「便所」で隠れて喫煙しているのである。
「ダメだこりゃ…」。一気に脱力感に襲われたと同時に、その時、なんか哀しくて可笑しくて恥ずかしくて、わざと手を叩いて笑った。父親も、決まりが悪そうに苦笑いしていた。
それが最後に見た父親の笑顔だった。
 
あの時父の病室で「自分の血は、自分の好きに流すしかない」ということが分かった時、わたしは諦めと清々しさを感じていた。
幸福の8秒間のために、その瞬間、自らの出血を加速させるのだとしても。
あの父の隠れ喫煙が、彼にとっての幸福の8秒間だったのなら、いいなと思う。そして、哀しくて可笑しくて父親と笑い合ったあの瞬間は、わたしにとっては幸福の8秒間だった。
そして、どんな思い出よりも、あの8秒間がわたしと父の永遠として生き続けている。
あれから13年経った、父親の命日に。
 
ブログでさらしたからって、化けて出るなよ。

辛い恋の続け方・終わらせ方

恋愛が「辛く苦しい」ケースに本人が陥った時、周囲に相談するとほぼ99%の確率で「やめときなよ」ってなるじゃないですか。

相談者のことを大事に思ってくれてる人ほど、イバラの道を進もうとするその姿を見て「今すぐやめとけ」「ほかに合う人はいっぱいいる!」って反対してくれる(一部の人は“面白がって”行くとこまで行け、と言うけど) 。

ただ、それで諦められたら苦労しないんすよね。聞けるならひとのアドバイスを聞いた方が絶対にいいんだけど…。

ただわたし自身は、ハタから見たら身をすり減らすような不毛かつ無謀な挑戦であっても、自分の感情の「ほんの一滴、たったの1ml」を大事にしようと決めた上での行動なら、行くところまで行けば良いと思ってるんです。

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 先日、行きつけの整体師さんと深夜施術中に脳内ホルモンの話をしていて、話していたのが『一滴・1ml追求論』。

今どんなに苦しい恋愛をしていても、ほんの一滴、たった1ミリでも「幸せだな、楽しいな」と心の底から思えるのであれば(=幸せ脳内麻薬が分泌されるのであれば)まだ好きでいてもいいんじゃないの、という自論です。 

それは「たかだか一滴、たったの1mlが人間に与える影響は、想像以上に大きい」から。

たとえば人間が「嬉しい」「幸せ」と感じる時は、脳内で興奮ホルモンのドーパミンや、幸せホルモンのセロトニンが分泌されているのだけど、 人に幸福・快楽をもたらす幸せホルモンの量なんて、大きなプールに一滴くらいの量なのだそうです。その「たかだか一滴」が人間の「美味しい・楽しい・気持ち良い・嬉しい」を作り出す。

整体で言えば、体の不調を引きおこす要因の骨格のズレや歪みも、元々はたった1mmのズレなのだそう。

わたしはそれを聞いて、「たかだか一滴」、「たったの1ml」が人間に与える影響は、想像以上に大きく、尊いと思ったんです。

頭ではわかってても、どうしても一滴、たった1ミリが諦められない恋愛をしているなら、徹底的に限界までやり抜くのもひとつ。

もちろんそれと引き換えになるものはあるだろうけれど、幸不幸や損得は自分で決めるものだから、自分で決めたならやり抜けば良い。

「自分を信じる」ということは「いざとなったらわたしは自分でシャッターを下ろせる」という覚悟を持つこと。周りを巻き込まず、自分のケツ拭く覚悟があるのなら、すべてを終わりにするのは、シャッターを下ろす時で良い。

他人からは「愚か者だなぁ」と笑われるかもしれないけれど、「好きなうちは止められない」。もちろん自制心や自己防衛力でコントロール出来るならそうすれば良いけど、「出来るならやってる」となるような出来事は、長い女の人生、人生一度や二度起こる人には起こる。

そして自分で幕を引く瞬間は、思いっきり白くて鮮やかな、大きな白旗をあげてやろう。大きな白旗は、また次に海に出た時に力強い帆となって、風を受けて次の航路へと導いてくれる。敗北を認めたら、撤退を決めたら、悩まない。「あの時間、経験が無駄だったかどうか」なんて考えても仕方ない。そんなこと考えてる時間が一番無駄だ。

自分の人生の出来事に意味付けするのは自分自身だし、人生の答え合せはあの世に逝きがてらやれば良い。

本気の恋をすると、人は誰かに傷つけられるんじゃない。頭ではわかっていながらも、自分で自分を傷つけるのだ。

だから被害者意識や恨みつらみそねみは、持ち越し禁止。自分を選ばない男に傷なんて付けさせてどうするのだとわたしは思う。

自分の心に本気でつけた傷は、女の勲章である。それが女の甲斐性だわたしは思う。

「人は結局自分が見たいようにしか見ない」

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「結局人間、自分が理解したくないことはわからないって言うし、してほしくないことをされたら理解できないって怒るんですよ」

この間、後輩が飲みの席で「好きでもないくせに手をつないだり、夜中に電話してきたりするんですよ。だからといってヤるわけでもないし付き合うわけでもないし、なんなんですかね?」「彼の気持ちがわからない。」と可愛らしくも愚痴っていた。

「あの人の気持ちがわからない」。恋愛に限らず、そう口走ったり、そんな一言を聞いたりするのは日常で往々にしてあると思う。

ひとは相手が自分にとって望ましくない行動をとったり、はぐらかされたり、意思疎通が出来てないと、「相手が何を考えてるのかわからない」という。

だから“答えを探しているテイでぐるぐる考えるんだけど、”根底では相手を責めたい気持ちがあるので思考にモヤがかかり、一向に相手の気持ちや考えに辿り着くことができない。

わたしはそういう思考になった時にふと思うことがある。相手は「なんも考えてない」と言えば考えてないし、「考えている」と言えば考えてるのだろうと。

前者の意味は、相手の考えの中に「わたし」なんてほぼ居なくて、居たとしてもわたしが望むほどには考慮されていないということ。

後者の意味では、相手は何かしら少なからず意図があって行動しており、それが真実そのものだということ。

でも人は「自分が見たいようにしかものごとを見れない」から、事実を事実のまま受け取らずに「相手が何を考えてるかわからない」「理解出来ない」という。

一方的に抱いた期待に失望したくなくて、絶望したくなくて、思考を停止させるしかないのだ。少し考えればわかることを、いつまでもわかろうとしないのが、いまその時点で振り絞って出せるその人の答えなのだろう。

いつまでもわからない振りを続ける、滑稽さも身にしみてわかっていて、それでも「男(女)って何考えてるかわかんないよね」「あの人ってなんも考えてないよね」と同情し、同調し合う。

そんなこと言うと「女同士の同情とか同調なんてくだらねぇんだよ」って女子会批判されたり、「男同士の傷舐め合い」って揶揄したりするけど、人生のやりきれないものをどうにかやりきろうとして、そうやってみんな生きてるだけなんじゃないだろうか。

いっとき、どれだけわからない理解できないと言っていても、時はそんな当人を置き去りにしたまま残酷に流れていく。そして結局はいつか諦めて、折り合いを付けながら生きていくのだから。

 

ひとの心の成分は変わらない。

 

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先日ある人と話をしていて、「生き方の癖って治らないよなぁ」と思った。

例えば、異性に刺激を求めて、振り回すようなオラオラ系の男と付き合って身も心もボロボロになった子が、仏のようにすくいあげてくれた安定安心無刺激無添加の塩顔の彼を「刺激が無い」「やっぱりわたしオラオラ系じゃないと無理」と不満を募らせるようになったりとか。

もっと辛いのが、ドキドキハラハラが欲しいと、痛くもない塩顔の腹を探ったりいちゃもんのような喧嘩をふっかけて関係自体を壊したりとか。

片や「寂しい、誰かに愛して欲しい」と理解者を求めていたはずなのに、そんな自分を受け入れてくれるやさしい彼女が出来ても結局相手そっちのけで、また自分の世界という押入れに帰っていく何も出てこないこじらせドラえもん男とか。

理想と現実の狭間でふわふわしてたい「万年どうしたいかわからない子ちゃん」も、わかっちゃいながら興奮と刺激を追い求めるドーパミン症候群も、アーティストかぶれの孤独好きも、事故物件ばかり引き当てるだめんず好きも、自称「メンヘラ牧場経営者」も、心は「いつもの場所に落ち着くように」プログラミングされているかのようだ。

あるエステを経営者曰く、ずっと太ってた人が一時的に痩せても、身体は元の体型に戻ろうとしてリバウンドするらしい。整体の経営者も、身体が歪んでる人が一時的にマッサージや整体で正しても、身体がいつものバランスに戻ろうとしてしまうと言っていた。

人間の骨格や性格は4歳・14歳でその多くが形成されて、18歳迄で大概確立されると言われているけれど、人間そこからそう遠くにはいけないらしいのだ。もちろん人は「成長」する生き物だけど、それは枝葉の話で、思考の癖・行動の癖、すなわち生き方の癖はそうなおらないのかもしれない。

人生は、同じところで躓きがちだ。だから「人間なんてみんなバカ」なのかもしれないし、だから「みんなバカじゃない」のかもしれない。 

 

近しい相手の生き方の癖を見て「問題」と感じた時、「愛してるなら、ちゃんと癖を正すために言うべきことを言うべきだ」って思いがちなのだけど、その人だって自分の生き方の癖で社会とのバランスを必死にとってきたかもしれない。

自分自身でその癖といつどう向き合うか、そもそも向き合うタイミングが来るかどうかは当人だってわからない。

昔知り合いに優柔不断の優男が居たのだけど、その人はなんだかんだモテるのに、そして「結婚したい」と誕生日クリスマス盆暮れ正月新年度の度に宣言していたのに、長年結婚を決めなかった。優柔不断をこじらせて、無理に婚約を迫った彼女に婚約破棄をしたこともあった。

何もかもにルーズでお世辞にも結婚に向いてる私生活ではなかったが、母性本能をくすぐる系の男だったので周りの女性は世話を焼いた。「彼の最後の女になりたい」と奮闘していた美人の知り合いも何人か居たが、彼は相変わらず変わらなかった。

そんな彼がひょんなことからある女性と出会い、傍目にも分かるくらいあらゆるだらしなさを自ら変え、速攻で結婚を決めた時は「心の穴に引っかかる人が現れたのだな」と思った。

人の生き方の癖はなかなか変わらない、とするとその彼の生き方も今後どうなるかはもちろん分からないが、それでも現に彼は「自身が変わろうと決めたタイミング」で自身の生き方の癖と向き合い、変わったのである。

「愛しているから変えたい、伴走したい」と他人を変えようとするのはいくらその人にとって望ましいように見えても、ただのお節介だ。

そして確実に言えるのは、その向き合うかもしれないタイミングというやつは「その人を変えようとする他人」には、ほぼほぼ関与できないということだ。

フランソワーズ・サガンの名言に、「愛すること理解すること。理解するというのは見逃すこと…余計な口出しをしないこと」というような言葉がある。

「愛される」ことに比べて「愛する」というのは、格段に無力で「心の癖にただただ寄り添う」とことしか出来ないのかもしれない。

孤独感・劣等感・優越感・怒り・嫉妬・不安・自責・刹那・哀しさ・博愛…成分の配分はひとそれぞれで、その人の心の成分は変わらない。

 

 

愛なんてクソくらえ、夏。

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※ 本文と写真は何の関係もありません。

 

アラサ―女子のための性愛コラムサイト『AM』というサイトがありまして

AM「アム」|非恋愛時代に未来はあるのだろうか

 そこに「ファーレンハイトさん」という、「男女のモテをアジテーションする」脱力系ヤリチン(しかもイケメンだった・・・)コラムニストが寄稿されてるんですが、

【この方です】

https://twitter.com/fahrenheitize

 そのファーさんがtwitterでこんなことをつぶやいていたの。

【ファーさん6月23日のつぶやき】

ふむふむふむ、これだね。

【人付き合いは「腹六分」で 美輪明宏さん】

人付き合いは「腹六分」で 美輪明宏さん アールグレイはいかが?/ウェブリブログ

「人間関係は腹6分でちょうど良い」そうわかっているはずなのに、人はその目分量を守らない。守れない。

「目分量を守れない」ことのひとつに、人は人との間に「関係性」を作ろうとし、名前をつけたがり、「関係性」に役割を望む(そしてそれは度が過ぎて、押し付けになる)ことがあるんじゃないかと思う。

 

人と人を「点」と「点」のままで許さず、「点」を「関係性」という線でつなごうとし、そして「関係性」を理由に、相手に対して「こうあってほしい、あるべきだ」を望む。 

本当は相手の愛らしいところ、いびつなところ、強さ弱さなど、その人独自に「感じる」ものがあって「もっと一緒に居たい」と思ったのに。その時点で、その人は「点」であったはずなのに。

その人と自分(点と点)をへその緒のごとく当然のように一本の線で結び、その線に「恋人」「妻、旦那」「一番好きな人」「セカンド」「愛人」「親友」「パートナー」など、色んな「なまえ」を付ける。「なまえのない関係」に耐えられないから。「わたしたちっていったいどういう関係なの?」と。

 そしてその名前のある関係性を逆手にとって相手との線の太さ、強度をはかる。「恋人、夫婦だったらこうあるべきでしょ」と。

 

わたし自身、昔はただ「恋されてる」ことを逆手にとって、相手に当然のように糸をくくりつけ、その強度を計ったり試したりしていた。 

そしてそのしっぺ返しかのように、逆の立場にも立つことにもなった。

 「惚れた弱み」というけれど、それはヒリヒリして、楽しくて、刺激的で、しかしとってっつっもっなっくっ疲弊するものだった。

でも、それはわたしが点である彼との間に線を結びたがって、その線を維持したいがために勝手に振り回されていただけなのだ。

それは「愛」ではなく、「自己肯定の低い片想い」だったんだと思う。我ながら。

 

以前、相手の浮気だなんだで悩んでいる時、ある人に「執着してるうちは、それは愛ではなくてただの恋だ」と言われたことがある。

「あなたのしてることは愛じゃないよ、ただの執着、恋だよ」「相手を愛してあげなよ」と。

それを聞いて、あぁ相手と自分を腹の底から切り分けて考えられるようになって、はじめて執着から解放され、「愛する」ことが出来るのかなと思った。 

だとすると、愛するということは「点」と「点」のまま居られる、存在しあえるということなのだろうか。

そんなことをぐるぐると考えた挙句に、でもそんなこと考えなくたって、お互い線で結び合うことが「心地良い」と思えれば、それでいいんだろうな、とも思う。

周りを見ているところ、もっと自然にやきもち焼きあったり、信じ合ったり、支え合ったりしてるもの。

目分量を計り間違えると、大概の関係は破綻に向かう。だけど目分量を間違えても許してもらえる、受け入れられる相手だって居るんだろう。 

わたしにも出来るようになるのかな。

果てしない難題である。

 

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「なぜ男は歓楽街に行くのか」

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先日、ある男性と世間話の延長線上で、「なぜ男は歓楽街に行くのか」という話をした。

もちろん性欲もある。だけどそれだけでもないんじゃないか。

その男性が言った。

「女性に底抜けに優しくされたいから」だと。


歓楽街の夜の蝶・キャバクラ嬢や風俗嬢など、プロの方たちは、めったなことが無い限り「お客さま」を否定しない。

男性にしてみれば、普段なら女性に責められる自分の愚かさもだらしなさも、気持ち悪さもウザささえも、ミーラーボールの如くキラキラくるくる変わる表情で明るく飲んで騒いで、ボディタッチなんてしてくれちゃったりして笑い飛ばしてくれたり、

壇蜜ばりの微笑で「お疲れさまだね」「●●サン(しかも男性の大好きなサン付だったりあだ名呼びである)すごいよ、頑張ってるよ」「大丈夫だよ」と己を全肯定してくれる。

 激戦の歓楽街で働く彼女たちは、人一倍プロフェッショナルである。

壇蜜が世の男性を「殿方」と呼んで労り、おっさんは週刊誌片手に心の目頭を熱くした昨今であるが、彼女は歓楽街の女性たちと同じことを誌面とブラウン管の中で全うしようとしているように見える。)

 

かたや素人女子たちは、どんなに優しい彼女だって妻だって、

「いついかなる時も彼氏や旦那を優しく、包容し、全肯定してくれる」ことはまず、ない。

 

全肯定ですよ!全肯定!!(ガタッといきなり立ち上がる)

 

べつにこちらとて、きついこと言いたくて接しているわけじゃないけど、ホルモンバランスも乱れれば、家事育児仕事もあり、女性が男性をいついかなる場合も全肯定するには、現実があまりにも過酷過ぎるのである。

それを要求するのは「心をなくせホルモンなくせ殺せ己の自我までも」と言ってるもんだからね。(何の標語)

そんなのまず無理ですと。


それに、優しい彼女や妻が居ても、「こんなことを言うと、すると怒られるのでは、嫌われてしまうのでは」と遠慮してしまうのが普通の(性格の良いほうの)男性である…。

 

以前、下記のエントリに、男性は基本的に「何でも自分を許して愛して肯定してくれる、理想の母親のような(母親にかつて許されていた、もしくは求めていた愛情で包容してくれる)女性=菩薩」を無意識で求めてしまう傾向にあるのでは、と書いた。

「感想:『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』」

http://nyankichitter.hatenablog.com/entry/2014/04/30/013339

 

そんな無意識の下に隠した母性への幻想を歓楽街に求めてるんじゃないだろうか。


かたやそう言うと決まって、

「彼女やプロの人には勃起とセット、母親には求めない」(当たり前や)

「彼女には愛情を求めるけれど、プロの人には性欲のみ(`・ω・´)キリッ」

という人もいるでしょう。

 

よかったですね、割り切れてて。。

・・・でもわたしはあえて言いたい。

 

「実際、そんなに性欲強いですか?」と。


ある作家の方とのLINEで、「男も女も性欲ないのにセックスしようとしすぎ。愛されたさを性欲だと思い込んでますよ、女も男も。」って話をしていたのだけど(しかも朝6時)、わたしは寝ぼけ眼でまさに、とひとり膝を打ったね。

ひとは、「底抜けに優しくされ」て、「自分を全肯定してもらいたい」という気持ちを多かれ少なかれ持っている。

そしてひとは愛されたさ(精神的なさみしさ)と性欲をよく混合する。


そんな混合した夜の翌朝「こんなことをしても満たされない・・・」と気付くこともある。

そう、わかっちゃいるんだけど、今すぐ、確実に愛されたさを解消しようとする。

プロアマ関係なく、このことをお互いに理解しあっている関係、理解しあってなくても一夜限りなら傷も浅いというもんだが、大概は片方がもう片方に執着し出すものである。

(ホルモン分泌の性質上、女性は一度セックスした相手に対して愛情を抱きやすい。そして途端に執着された男性は逃げる。「やり逃げ」と呼ばれるものがこれである。男女逆の場合、女性が追いかけられます。だから女もやり逃げして執着されることも可能)

女のプロであるクラブのお姉さんだって、「枕」ナシにお客を長い間引っ張るのに一苦労なのである(「いかにヤラずに、単価高く、長く通ってもらうか」の攻防戦)。素人娘言わんをや。

男性客はお店で肯定された延長線上で、お店の外の自分も、肯定してほしくてそのお姉さんと関係を持とうとするんだよなぁ。

「オレってただの客なの?」って。

そう、ただのお客なんだけど。

もちろん「入れ込んだ分の投資を回収したい」、という思いもあるけれど。でもそんな損得勘定なら、同じこと繰り返さないでしょ。 


底ぬけに優しくされたくて、愛されたくて、自分を全部肯定してほしい。

ただの「性欲」とは言い切れない、そんな不器用な人間の欲求が、歓楽街のネオンを今夜も煌々と光らせる。 

もしかしたら歓楽街から離れた町の、ネオンの何万分の一の灯りの部屋でも、誰かが誰かのための歓楽街になっているかもしれない。 

明け方、相手を優しく肯定してあげた方は、今度は自分が底抜けに優しくしてもらいたくなるかもしれない。

優しくされた方も「本当はあの人に、底抜けに優しくされたかったな」ってまた泣けてくるかもしれない。(こんなツライ話ないけど)

 

そんなことを帰りの電車でつらつらと綴り、今宵もわたしは煌々と灯る赤と黄色と白と緑の光の中へ吸い込まれ、「金麦」という「一見、夫婦愛がテーマのCMに見えて実は不倫がテーマ」の快楽装置に手を伸ばす。

(訳:サンクスはわたしにとって平日の歓楽街である)


誰かに底抜けに優しくされたい、そんな夜もある。

でも誰かに連絡したくても、なおさら傷ついてしまいそうで、出来ない。


明日も早い。早く酔っ払って眠りにつかなきゃと、ぼんやりとした頭で何も起こらない携帯を弄ぶ午前1時。