読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アラサーOL悲喜こもごも。

アラサーというかどんサー(30歳)OL。独身モラトリアムを謳歌するアラサーOLの日記です。

「アラサーは第二の思春期」上等論。

f:id:nyankichitter:20141006225728j:plain

 

その悩み多き状態を指して、良くも悪くも(どっちかっていうとネガティブな意味で)「アラサ―は第二の思春期」と呼ぶ人がいるけど、歳くってから思春期を味わえるとか最高じゃないか、と最近思う。

 

世間は「女は30まで」とか「アラサーww」とか無駄に焦らすし、それで焦ったり悩んだりセンチメンタルになると「厨二病乙w」とか「病んでる」とか言われたりもするし。

「お前ら中2どころか近所のいじめっ子のクソガキじゃん」(しかも都議会失言よろしく、いい歳こいたおっさんほどクソガキである)と一蹴出来れば良けれど、ジャイ子OL(おれのことか)だって内心傷ついたりもするさ。

 

世間に何か言われなくても、じゅうぶんプレッシャー感じてたりするのである。

外からも内からも、なんやかやわいてくる、多感な時期である。

 

でもだからこそ、言いたい。

「アラサー思春期こそ、感性を磨くとき。」と。

 

これはどの年齢にも言えることだと思ってるのだけど、

「悩み多き多感なタイミング」こそ、感性を磨ける時。

 

そんな時こそ、思い存分悩み、考え、どんどん人に会い、良き友と語らい、名著や名画に出会い、美味しい酒を飲み、彼や旦那とじゃいけないような店にもこっそり行き舌と腹を肥やし、美しいものをたくさん愛でて、楽しければ朝まで仕事をし、感性を磨けばいいのだ。

 

そのための武器(自立できる経済力、可処分所得、そこそこの会話力、良いものと出会うアンテナや引き出し、働ける体力)は持ってるのだから。

 

さらに言うと、多感な人に向かって「そんなことにいちいち悩んでるなんて無駄だよ」と言う人がいるけれど、だって思春期って悩むものじゃんと思う。

 

「中2病」って割といい言葉だと思っていて、後から考えてみれば&周りからしてみれば、とるに足らないことが気になったり不安で仕方ない病気なんすよ。

 

彼氏が居なかったら「結婚出来ないかも」と焦り、居たら居たで「この人でわたしはいいんだろうか」と悩み、産んでもないのに産んだ後のキャリアに悩み、産んだら産んだでまた悩む。

 

働いてたら働いてたらで「ずっとこのままこの仕事を続けるんだろうか」と悩み、引退したら引退したで焦りや退屈を覚える。

「悩むより行動」したらしたで、新たな悩みが生じる。

 

「悩むと考えるは別物」と言うけれど、ただえさえ不器用な状態になってる人間にそんな器用なこと出来るわけないんすよ。

 

それはその多感な時期を「抜けた人」だから出来ることであって、だったらわかってやれよ(くれよ)と思う。


その「抜けた」感性はその感性で、尊く素晴らしいものだけど。

 

例えば結婚した人は、独身で焦ってた気持ちって忘れちゃうじゃないですか。

なんか相談されても「えーまだ大丈夫だよ~、ゆっくり探せばいいじゃん!」って。

 おいおいあんた、夜な夜なバルでワイングラスの持ち手へし折る勢いで「けぇっこんしたいぃぃぃ!」ってくだまいとったやんけって。アヒージョの海老がふっとぶ勢いでフォークぶっさしてたやろと。

 それくらい気持ちも感性も、状況に応じて変わるんすよ。大人になっても。

----------

「人生に無駄なことは何もない」は半分本当で半分虚実で、「ある事象をその人が無駄と捉えるか捉えないか」でしかない。

 

何を無駄と思うか思わないか、でさえ、その人それぞれの感性に依る。


もっと言えば、「感性」が無いと、人は自分で物事を捉えることが出来ない。

だから、結果「無駄だった」でもいいし「無駄じゃなかった」でもいいから、わたしは自分の拠りどころとなる感性を、磨きたいし、幅を広げたい。

 

十代の思春期には、モテないとか親友が居ないとか、毛がはえて無いやらムケてないやら、可愛くないだの痩せてないだの、親が嫌だ、学校が嫌だ、世間が嫌だ、そんなことを割と誰もが何かしら感じていたと思う。

 

後から考えればそんな「くだらないこと」どうでもよかったな、と思う反面、そうした思春期の心を占めていた「くだらないこと」が、今の自分を作っていたり。

悩みやコンプレックスは、その人の原点、原動力、肥やし、生きるヒントだ。

 

14歳の頃のわたしが、もうすぐ28歳になるわたしをつくり、28歳のわたしが、30代、40代のわたしをつくっている。

----------

思春期第一派の14歳の頃と違って、今は親の庇護も無いし、体力も年々衰えるかもしれないけれど、そのぶん親の干渉に悩まされる必要もないし、友人同士の幼稚で面倒ないざこざもない。


今なら小金も稼げるし、自由だし、これを最高と言わずして何と言おう。

 

もちろんあの頃と比べて、出世やら年収やら結婚やら妊娠やら育児やら、周りの子たちと歴然と差が着いて焦ったり、「現実」に凹むかもしれない。

 

だけどあの頃だってみんな同じ制服着てたからわかんなかっただけで、そんなの生まれた時から歴然とあったのだ。

 

自分じゃ無いほかの誰かになれるような気がしたり、「何者か」になれる気がしていたのは全て錯覚で、教室の机に浜崎あゆみの歌詞を彫ってたあの頃も、若干物忘れが出ていて会社のデスクにいそいそポストイットいそいそ貼ってる今もなんちゃ変わらず、ただただ「自分」がそこに在るだけなんすよ。

 

そんなこんなで「生まれてから死ぬまで自分を生きる」しかないのなら、自分の感性を磨いて、どうせなら味わい深く生きたいものである。