アラサーOLクソ日誌。

整体に家賃の1.5倍ぶっこむ整体ソムリエ兼アラサーOLのクソだけどいとおしい日々を綴った人生日誌です。

「何があれば、産めるの?」

「子どもが欲しくないというキミに、これ以上時間を費やせない」

 

そう言って、付き合っていた彼にフラれた。

そもそも、これまでの人生で、「子どもが欲しい」と思えたことがなかった。

友人や知人に、子どもを持ちたいかを尋ねると、「欲しい!」もしくは「まぁ、いつかは・・・。」と返事がかえってくる。
私自身はそんな「いつかは・・・」という感覚さえ持てなかった。

「アタシなんてこれからって時に子どもが出来ちゃって~!」と笑い飛ばすタフな女性に遭遇すると、「ななななんで避妊しないの?!そこは調整出来るはずでは?!」とその思い切りの良い「ウッカリ」にひっくり返り、そんな「ゆるい許容範囲」を持てる彼女たちをうらやましく思った。

 

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とは言うものの、クソ天邪鬼なことは承知の上で書くと「子どもは一生欲しくない」と言い切れるかというと、そう言い切ることも出来ない。

どうして当たり前の様に「子どもが欲しい」と思えないのだろう、と何度も考えた。

何のために産むのか?

育てたいために産むのか?

誰のために産むのか?

子どもは産んでくれなんて頼んじゃいない。

その問いに答えが出ないからだ。

自身の自我との折り合いも付いてないように思う。

幼い頃から演劇や舞台に没頭し「何者かになりたい願望」が人一倍強かった。十数年前、地方の片田舎で、もはや憧れを通り越して強迫観念に近いものに追い立てられていた中高生時代。

自分の人生を思うように生きられず、かつシングルマザーとして追い詰められていた母親がたまらずこぼした「子どもなんて産むもんじゃない」というぼやきは、それ自体にショックを受けたというよりも、「自分の人生で実績を作らないまま子どもを産んでしまうと、後悔と手遅れ感で恐ろしいことになる」という強迫観念をより強いものにした。

 

そんな家庭環境を「しんどいな」とは思っても「不幸だ」と思ったことはない。どんな愛情深い母親でも、追い詰められるとそのようなことを思わないわけではないだろう。加えて、母親は不安定で幼かったから口に出してしまったのだと思う。

 

✳︎

「あなたくらいの年頃はみんなそう言うのよ。でもみんな早く産めばよかったって後悔している」

説教したいだけのおっさんのみならず、本当に心配をして経験談のシェアを厭わない諸先輩方にそう言われると、「こんなこと言ってる間に手遅れになるんじゃないか」そんな気持ちだけが迅る。

ある大先輩には「キャリア女性は勢いじゃないと結婚しないし、産まないから!」と一刀両断され、あぁ爽快だなぁと圧倒された。でもそれでもその後もぐじぐじと、踏ん切りはつかない。

冒頭の彼とのやり取りに話を戻す。

お前は結局どうしたいんだと問われ、答えた。

「一生欲しくないと決まっているわけじゃないけど、欲しい・産みたいと言い切れない」

すると彼はこう続けた。

「それはいつ決まるの?何があったら決められるの?」


「・・・わからない。」

 

「逆算して設計すれば答えが出るんじゃないの?出ないってことは、やっぱり欲しくないんじゃないの?」

 

「…欲しくない。」そう答えたら彼に別れを告げられるだろう。するとわたしは「あんなに言ってもらえたなら、彼の子どもを産んでも良かったんじゃないか」と後悔するんじゃないか。

でもわたしのことだから、そんな後悔は半年も経てば薄れ、次の恋や仕事にまい進しているという予想はつく。いつものことだ。

 

「子どもが居ない将来を想像したことが無いんだよ。」と彼は言った。わたしは逆に、居る未来を想像したことがない。

自分の人生にOKを出せたら、そう思えるのだろうか。いったんここまでやれたからOKだよと、決められる日が来るのだろうか。


何が実現すればわたしは後ろ髪惹かれることなく、後悔や罪悪感を感じることなく「子どもが欲しい」と思えるのだろうか。純度100%そう思える人こそ、少ないのかもしれないけれど。

 

だけど一方でこんな気持ちがフツフツと湧き上がる。「手遅れになりたくない。」そんな気持ちで、ものごとを選択するようにいつからなってしまったのかと。子どもだって、そんな理由で産み落とされちゃたまったものでは無いだろう。

 

どんな状況になっても、自分自身の在り方に腹括りをし、受け容れることが大事だとわかっている。そうしないとどんな選択をしても、一生無限ループの「タラレバ地獄」だ。

 

たくさんのものを失い、選び、逃しては得て拾っては捨てる。「選ぶことは捨てること」そうやって人は人生を作っていく。

もっと言うと「選ぶことイコール捨てること」にしかならないものなんて、所詮それまでなのかもしれない。恋も、仕事も、人生も。

そんな啖呵はいくらでも切れるのに、いつまでも選択肢をあげつらうことだけが楽しくて、タラレバばかり考えている。あれから、十数年経った後もこの東京で。