しまずあいみのぽんこつ日誌

~アラフォーになったのでタイトル変えました~

「小さなOK」を出し合って、人は生きてる。

友人に勧められて、遅ればせながら漫画『サプリ』を読んだ。

 

ぅぅぅっ・・・っこれはビジネス経典である(目頭熱)・・・。

 

話のあらすじを言っちゃうと

①深夜残業当たり前・休日出勤ご褒美です状態広告代理店勤務の27歳女性が、仕事が激忙しくて学生時代から付き合ってる彼と別れる(身に覚えあり)。

②別れて間もなく、元彼が他の女性と結婚(身に覚えa(ry)⇒失恋後、不倫中の同期のイケメンやさ男が異動してきて再会し、お互いの傷を癒しあうも、恋愛に不器用過ぎる主人公は結論うまくいかず。

③そのあと振り回す危なげオラオラなコワモテ系の男(職業カメラマン)に惹かれたんだけど・・・(普通コレで婚期遅れる)

④どっこい!二人の関係は成就+継続し、なんと子どもを授かりました!

⑤しかし主人公は彼に子どもが出来たことを言えないまま、カメラマンの男は自意識炸裂し中田英寿よろしく自分探しに海外に行ってしまう・・・

⑥数年後再会。主人公は未婚の母。子どもは産みましたけど、お前はこれからこの子とわたしと一緒に生きていく覚悟はあるか、と彼にビンタ!母は強し!持つべきものは己の経済力!さすが電通社員!(電○とは言ってないけど)

 

・・・まぁそんな話なんだけど(サマリが雑ですみません)、わたしがことごとく刺さったのは、上記の主人公の恋愛云々というよりも、主人公と先輩社員のやりとりである。

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 「仕事は女を救わない」とはよく言われるけど、半分その通りだと思うし、半分そうじゃないのかもと思う。

と言うのも、わたしは今仕事をしている会社に、人間として育てられた感がある。会社は第ニの親だ。そう書くと社畜感みなぎってるけど、ホントにそう思っている。

 

わたしは新卒で入社した今の会社に、2度目の就職活動で内定をもらった。1度目の就職活動では、最終面接で落ちた。落ちた理由を、自分なりに理由を分析すると一言で言うと「自信が無く、危うかったから」だと思う。

その頃の私は今よりさらに自信が無くて、自信がないくせに完璧主義でプライドが高かったから、相手によって自分の出し方を変えてしまう「わかりにくい子」「危うさのある子」だったのではないかと思う。

結果、就活留年させてもらったわたしがやったことは、社会と自分自身に「慣れる」ことだった。慣れない存在である「大人」に対して自分自身を言語化し、その中で自己理解を深め、不要な自責や背伸びを止めようとしていった。

 

そんなこんなで所属企業を問わず述べ100人強の大人の方にお時間を頂き、話をさせてもらう中で、自己開示や自己受容を少しずつではあるがうっすら体得していき、結果二度目の就活で一度目に落ちた希望の会社に入社することが出来た。

 

たくさんの人のおかげで、その一年で若干の成長を遂げたものの、もちろんそう簡単に人間が変われるはずもなく、入社当初は全く自信が無く自分の言葉で話せなかった。

人の表情を見ることだけに長け、自分はと言うと臆病なポーカフェイスで「何考えてるかわからない」と先輩や同期によく言われた。

 

だけどその一方で、日々余裕がないほどには真面目だったので、仕事では目の前の仕事を精一杯こなし、お客さんに応え続けた。

業務内外、苦手な営業も宴会芸もとにかくコミットすることで、お客さんや上司に「おまえは(泥臭いけど)いいなぁ。」と言ってもらえた。

初めて他人から貰った「いいなぁ。」のつぶやきに、わたしは思いのほか励まされた。徐々に自分を受け入れられ、自然と自分を出せるようになった。

すると徐々に自分の引き出しを開けていくことを覚えた。辛いことも苦しいことも、「人間の引き出し、幅をつくるための経験だ」と思えるようになった。生きるのがなんだか年々楽になっていった。

就活面接でオドオドしていた女子大生は、いつの間にか聞かれてもいないのにインターネッツ上で持論を主張するアラサーになっていた(良いやら悪いやら)。 

 

そんな風に仕事を始めて6年目になったいま振り返ってみると「若いうちにたくさんの成功体験を積むこと」の大事さを痛感する。

若いうちからたくさんの打席に立つ×「小さな成功体験」を積むことで、自分の引き出しを増やしていく。引き出しの数と幅がそのまま自信になる。

そのためには小さな「OK」をくれる人たちに出会うこと。そんな環境に身をおくこと。特に自己肯定感が低くなりがちで、内省傾向の強い女性には、とても大事なことだと思う。

とは言うものの、年次が上がれば周囲からの期待値や越えなければならないハードルは当然上がり、「自分の能力で、ここで働き続けることは難しいな」とか「後輩の方が全然優秀じゃん・・・」とかしょっちゅう卑屈になっては落ち込んでいる。

そんな自分自身こそが、限界作っているんだなともよく思う。完璧主義のくせして承認欲求の高い性質はなかなか治らない。 

 

でもその度に前を向くのは、「わたしなんか・・・」の先には何もなく、誰も救わないし、救われないんだということを知ったからだ。それは恋愛も仕事も一緒である。

強く想い、がむしゃらにでも頑張ったその先には必ず何かがあったし、それはそのまま自分の肥やしとなっている。

 

そして今度はその肥やしで、後輩だったり「この人の背中を押してあげたい」そう思う人が居たら、自分の経験と感性を総動員して小さな「OK」を出して受け容れる。それは仕事に限らず、友人・恋愛・家族でも。

その「OK」に説得力を感じてもらえるような人になりたいし、そんな「力のあるOK」を出せる人であり続けるために、わたしは日々いろんなことを乗り越えながら生きている。

自分自身、自己肯定感は相変わらず低く、人の性質はなかなか変えられないなと痛感する日々だけど、「小さなOK」を積み上げることで、自信を培っていくことができると確信している。

 

そうやって巡りめぐって「小さなOK」を出しあって、人は生きてるのかもしれない。

 

 【ご参考】

特に女性のキャリア形成、自己肯定感の持ち方という観点で、すごく参考になる、岡島悦子さんの記事です。

careerhack.en-japan.com