しまずあいみのぽんこつ日誌

~アラフォーになったのでタイトル変えました~

女と「仕事論 」異論反論オブジェクション

数年前に美容室で読んだ、あるアラサー向け女性ファッション誌の一番後ろに「新卒入社時に優秀なのは女性ばかりなのに、途中で成長が止まり、失速する」という主旨のコラムが載っていたことを、昼間会社の給湯室で焼きそばの湯切りをしていてふと思い出した。

数年前にとったメモを見返しながら書いているので引用が誤っていたら申し訳ないが、著名なコラムニストの方が執筆されたそのコラムは、以下の論旨で展開されていたと記憶している。

『女性は若いうちに「周囲に誉められたい」という「承認欲求起因」の仕事の仕方から早く卒業し、「結果を勝ち取るという過酷なゲーム(=仕事)の面白さに目覚めよ」』
 ・・・果たして読者は「その通りやで!」と突如としてプレイヤーモードに入れたりするのだろうか。個人的には、仕事をする上での大前提は「個々人のモチベーションの源泉=個人が持つエンジンは異なること」だと思っている。
そのエンジンと仕事や役割との接点を探し、成果に結実させることが仕事の難しさ・醍醐味であり、マネジメントの力量ではないか。
もちろんこれもひとつの考え方でしか無いけれど、同じく「仕事はゲームとして楽しめ」的な考えも価値観のひとつであるが、その一択にしか正しさがなかったのが、働く女性にとっての不幸のひとつであったと個人的には認識している。
かつてキン肉マンのごとく「必達」と額に書かれたマスクを被り、行動・成果ともにガチガチの目標でバキバキに鍛えられ、成果を強いられることには抵抗感を感じないわたしでも、ゲーマーになることを強制されるオヤジメントはまっぴらごめんである。
 
また先述のコラムでは『入社時に優秀であった女性たちがアラサー期になって男性同期に「追い抜かれる」「成長がストップ」する現象』の理由として、その要因が「家庭との両立」や「男性同士でつるみ情報やポストを独占するホモソーシャル問題」など多岐に渡ることを指摘しつつも、女性の「内的要因」として以下の2つの理由を挙げていた。
まず、「結婚や出産についての迷いから仕事へのモチベーションが落ちたり、パワーをセーブしてしまうこと」。
・・・個人的には、これには思い当たる節がある。「この会社でエラくなれる自信はしないし、他のものを捨ててまでエラくなりたくないし、ていうかそもそも人生どうしたいんだろう・・・。」など迷いや不安があることで、よそ見をしたりブレーキをかけてしまうことは自分自身たびたびあったし、正直いうと今でもある。
20代前半の体力とアドレナリンという「しあわせたまご」を使った成長!進化!爆速ポッポマラソンを経ての20代後半の失速。
すべてを無邪気に先送りできた、20代前半の夢と希望とツケとその他諸々エトセトラを回収・再定義しなくてはならないアラサー期。自分の荷車の荷卸しをしたくても、後輪が思わぬ沼にハマったりして無理やり引き上げるその二の腕もなんだか太ましくなってるし、もう身も心もいっぱいいっぱいに感じる日もある。
そしてそのコラムに「より根が深い要因」として書かれていたのは、以下の内容であった。
『多くの女性は『「わたしを誉めて!」という、真面目な女性が子どもの頃から快感経路を育ててしまった「承認欲求」を断ち切れない。
だが仕事の次元が高くなると、承認欲求を超えた挑戦が必要になる。それが出来なくて、徐々に求められるレベル感とアウトプットにギャップが生まれる。そうするとさらに彼女たちの「仕事エンジン(=誉められること)」が作動しないので、ますます挑戦をせず、評価されなくなる。
翻ってアラフォー近くの仕事が出来る女性は、いわゆる「仕事エンジン」の本質を理解している。
「仕事エンジンの本質」である「結果を出す」という過酷なゲームの面白さに気づき、「ホメられ快感」から「ゲームの勝利快感」へスイッチが切り替わるかどうかで、30代の仕事の面白さと深さが確実に変わる。だから心して今から仕事に取り組んでください』
ここまでメモった当時の自分がもはや気持ち悪いけれど、そのような論調で締めくくられていた。
そこに書かれていることは一理あるかもしれないけれど、個人的には何か特定のものを「エンジンの本質」というのは少し乱暴ではないかと思っている。というのは自分自身、手痛い失敗経験があるからだ。
 
自分が入社数年目の時に、後輩の優秀な女性社員のメンターを担当していた時のことだった。彼女は日頃から「今までの人生、怒られないようにいい子として生きてきました。それでやって来れたし、だからそれ以上のものを求められても困るんですよね」と話していた。「おぅ、これが悟り世代か」と新鮮さを覚えたものだが、実際に仕事はその年次には思えぬほど周囲に気を遣い、ソツなくこなしていた。
ただ企業文化として、若手のうちは周囲に変に気を遣うよりも自分の成長を追求するべし・周囲もそれを支援すべし、という社風でもあるため、お行儀の良すぎる彼女はすこし異色の存在であった。
面談や若手研修の振り返りの際も「成長したい、とか何がやりたいとかは特に無いです。なのでそんなに考えないでください。」という「悟りですが、何か?」的低空飛行トーク。「こんなに優秀なのにもったいない」と感じ入ったわたしは、「とは言うものの、もっとモチベーション高く取り組めば新境地開けるかもしれないよ?」と腐った松岡修造のような熱さとしつこさで挑んだ。
後から思えばその言葉は「メンターとして何かしら価値提供しなければ」という焦りと「こっちがこんなに必死になってるのに、そんなテンションで居られるのが許せない」というエゴでしかなかったのだと思う。
 
彼女が受講した若手研修後は、メンターとともに今期の彼女の成長計画を描くという内容であったが、彼女の心のシャッターはものすごいスピードでガラガラと閉まっていき、取りつく島が無くなっていた。
そこでようやく自分の身勝手さと無理解に気付いたわたしは、一方的かつ独善的なコミュニケーションを詫び、時間をかけて彼女の考えていることを教えて貰った。
時間をかけて掘り下げをしていく中で、彼女は自分自身がどうありたいとか何をしたいという意思は強くないものの、周りの役に立ちたいという思いが言動の根底にあることがわかった。「怒られたくない、誉められたい」という気持ちと同時に、そのようなモチベーションが彼女の人生の根底にあったのだ。
もっと言うと、そもそも「怒られたくない」という気持ちで仕事にあたって何が悪かったのかと今では思う。それを勝手に「つまらない、イケてない」と断罪したのはわたしの人間としての幅の狭さ、余裕の無さからであった。
それならまず彼女の不安や恐れを取り除き、成功体験を重ねて貰うことこそがわたしの役目だったのである。その後彼女にはたくさんのことを教えて貰ったが、あの時のことは申し訳ないなと今でも思う。
 
その一方で、仕事というゲームに参戦するプレイヤーが「勝ち負け」を常に志向するならば、ゲームを楽しんだ結果としてステージが上がり、ゲームクリアという出世を果たすであろうことに異論はない。明確なゴールを設定し、腹落ちさせることができるのは優れた能力のひとつだと思う。
だからといってそのような生粋のプレイヤーにお前もなってくれよな!というのは自身の失敗経験を踏まえても、やはり無理がある気がする。
そもそも働く女性の新しいありたい姿を描くべき女性誌が、そんな旧態依然とした現実に追随してどうするのだとも言いたい。
新作コスメで新しいワタシに生まれ変わったり、1ヶ月着回しコーデのなかでプロジェクトの打ち上げの後に甘顔高身長の後輩に告白されたり、憧れの先輩から壁ドンされたり、長年付き合ってる彼氏とは初月ではマンネリ気味のだったはずなのに突如として月末にはおめかしデートからの指輪パカッされたりさんざん俺たちに(金のかかる)夢をみせてくれたよな?とぶんぶん肩を揺さぶってやりたい勢いである。
 
個人的な妬みソネみでやや脱線したけど、そもそも成長スピードを落とさず仕事を楽しむのが大目的なのであれば、個々人のモチベーションの源泉をないがしろにしては成り立たないのではないだろうか。 
長々と書き並べてしまったが、なんにせよ言いたかったのは「何に仕事モチベーションや面白さを求めてもひとの勝手、ほっとけよ」ということである。
焼きそばの湯切りからのそれを言いたいがためにこの文字数・・・件のコラムと押しの強さは目くそ鼻くそだな。