アラサーOL クソ日誌。

クソみたいな愛おしい日々。

「途中で止める」勇気

実家を出て10年以上テレビがない生活を送ってしまったせいで、情報取得はすべてインターネッツ・娯楽もインターネッツ・休日の人との会話はtwitterという、情報感度が異様に高いOLになってしまった。

年に2,3回しかテレビを観ないせいで(しかもひとの家に寄生して)数年前に観た番組の記憶が時々昨日のことのように甦ることがあるのだけど、なかでもよく思い出すのが、神回と名高い辺見マリさんの『しくじり先生』の回(何年前だよ・・・)。

辺見マリさんがとある霊能者とその取り巻きに「13年間で5億円を搾取された」コトの経緯と背景を取り上げた内容だったのだけど、これがわたしとしては非常に示唆に富んだ内容だった。

番組の中で、辺見マリさんはご自身の性格を分析しながら「洗脳されやすい性格」として以下の特性を挙げている。

・責任感が強いしっかり者
・頑固で負けず嫌い
・完璧主義

僭越ながら「これワシのことや・・・」と思わず膝を打ったね。全国の長女の星に生まれついた同志のみなさん、自分のキャパを超えて仕事をがんばってしまいがちな血ヘド吐きOLな同志のみなさん、いかがでしょうか(勝手に同志扱い)。

今回番組のテーマは「洗脳」だったので、「洗脳されやすい」という観点で上記特性が紹介されていたのだけど、ちょっと卑近な例にひきつけると、そういう特性って「ツライ恋愛(および他者との関係や仕事など)を続けてしまうパターン」にも当てはまるんじゃないだろうか。

論理が飛躍して聞こえるかもしれないけれど、仮に「洗脳」の入り口が「他人への信奉・陶酔・投影」「自己陶酔」であれば、それって色んなことにあてはまるなと。

番組中で辺見マリさんは、「洗脳が解けなかった理由」を「途中で止める勇気が持てなかったから」と仰っていた。

しんどい恋愛や仕事をしている時って、身も心もボロボロになってはじめて「これは・・・やべぇパターンだったのだ」と気づくのではない。

ある段階から自分のどこかで「まずいな」「早めに諦めたら撤退したほうが良いんだろうな」っていう感覚が湧いてきて、不安だったり不調だったり心身に異変が起き始める(心身のセンサーがすでに壊れたり麻痺してしまっている場合は別として)。

それはそのまま自身への警鐘になるのだけど、自分の中でいくら暴風・波浪・大雨・洪水・雷警報が出ていても必ずしも止められないもの。

その理由を他人は、依存心が強いとか根拠なき楽観主義とかいろいろ言うと思うんだけど、自分はいつもこんなことを感じてたんすよ。

「こんなことで今さらあきらめちゃいけない」

「もうすこし自分ががんばったら(その先に)何かあるかも」

「自分がもっとここを直せば・完璧にすれば、良い方向に行くんじゃないか」

・・・ゲェ・・・。書いててそのしんどさに自分で吐きそう。なんかおめでたいというか痛々しいというか恥ずかしいというかそのぜんぶだけど・・・。

少し脇道に話が逸れるけど、「bar bossa」店主でコラムを多数執筆されている林伸次さんも、cakesで『負けず嫌いな人は失恋を認めない』というコラムを執筆されている。こちらは「失恋」にフォーカスした記事だけど、そのメンタリズム、なんか共通するものがあるなぁ・・・と思うのはわたしだけだろうか。

たしかにこの記事が当てハマりそうな友人を思い返してみても、軒並み責任感が強く負けず嫌いなガッツある面々。営業とかやれば全員MVP獲れると思う。

しかし負けず嫌いの人は失恋したことを「自分がこの恋で負けた」と考え、それを認められないわけです。おそらくプライドがすごく高いのでしょう。・・・(中略)・・・普通は「相手が自分を好きではない」と知ったら、もちろんひどく傷つきますが、それを無理して「イヤだイヤだ。そんなのイヤだ。お願いだから好きになって!」なんてことは言いません。ああ、この恋は終わり。縁がなかったんだな、次の新しい出会いを探そうというのが普通の反応です。

こんな感情でまた相手の気持ちが取り戻せたとしても、それを「恋愛」とは言えないですよね。もし、いつまでたっても忘れられない人がいる人は、もしかしたら自分の負けを認めくないだけなのかもしれませんよ。

ちょっと言い過ぎましたでしょうか。でも、「そうかあ、これって負けたくないだけなんだ。負けって認めちゃえばいいんだ」ってちゃんと状況を認識できると楽になれませんか? 負けを認めるって時にはどうしても必要です。株でも会社でもビジネスでも勝負事でもそうなんですよね。負けを認めて次へと動くとそこに次のチャンスが待っています。あなたの失恋もそうです。早く負けを認めて次に行きましょう。

負けず嫌いにも色んな考えがあって、「止める勇気=負けを認める器が無い」ケースや、「止めても負けても、大丈夫」「むしろこんな試合に勝っても仕方ない、勝負するべきではないと思える自己肯定感が無い」ケースもある。「勝てるかもしれない(と本人は思っている)のに、負ける」のが一番悔しいやつで、明らかに勝てない試合が増えるごとに、生きやすさを感じる瞬間が増えたりするのだけれど。

個人的には、負けず嫌いな人が負けを認めるって相当難易度が高いなと思う。なぜならそのひとの人生や現在があるのはその「負けず嫌いさ」、意志や意地の強さ(その根底にある自己肯定感の低さやプライドの高さ、ハングリー精神含め)が良くも(悪くも)作用して、その人をいま居る場所まで連れて来てくれたようなものだから。

林さんご自身は「負けを認めた方がラクだし、その人自身の価値と勝負の勝ち負けは関係ないですよ」ということを仰ってくださっていると思うのだけど、実際その渦中に居ると、「そんなこと言われたら、今までの人生を否定しなくちゃいけない」というような気分になってしまったり・・・。

その一方でヤマザキマリさんは、『とらわれない生き方』という著書のなかで「(恋愛や結婚でどんなツライ関係性を築いていても)本当にダメなときは、女のシャッターはいつか閉まる。だから自分を変に守ったりせず、とことんイケ」というようなことを仰っている(主旨を読み違えていたらごめんなさい)。

 【「生き方が甲斐性をつくる」ということがわかる本】

とらわれない生き方 悩める日本女性のための人生指南書

とらわれない生き方 悩める日本女性のための人生指南書

 
 
個人的には、結局のところ「性(さが)」というものはなかなか変えられないので、変えられないうちは個々人のやり方で自身の納得感を得るしかないと思っている。「ほどほどで止めろ」派と「納得するまでとことんイケ」派はもはや宗教が違う。
だけど二度と立ち上がれないくらいボロボロになってしまうのは、本人としても見ている周りとしても辛すぎる。なので自身の「性」を追求しながらも、最低限致命傷を負う前には「損切り」でコントロールしようと思うわけだ。
 
案外「損切り」を「守り」「放棄」と思わず、「攻めの損切り」「最終的に上手くまとめるための一時停戦」と思えば、途中で投げ出せない性格や負けず嫌いでも、やれるかもしれない。
サイバラ先生はご自身の旦那さんとお子さんとの経験や投資の経験から「いかに逃げ足早く損切りするかが大事だと」とよく指摘されている。
辺見マリさんみたいに5億円持っていなくても、人生「時は金なり」。「見切り千両、損切り万両」と言うけれど「止めるはシャクだが、役に立つ」のかもしれない。
 
【損切りと言えばサイバラ大先生】
家族の悪知恵 (身もフタもないけど役に立つ49のヒント)

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