アラサーOL クソ日誌。

~タイトルを付け間違えました~

愛なんてクソくらえ、夏。

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※ 本文と写真は何の関係もありません。

 

アラサ―女子のための性愛コラムサイト『AM』というサイトがありまして

AM「アム」|非恋愛時代に未来はあるのだろうか

 そこに「ファーレンハイトさん」という、「男女のモテをアジテーションする」脱力系ヤリチン(しかもイケメンだった・・・)コラムニストが寄稿されてるんですが、

【この方です】

https://twitter.com/fahrenheitize

 そのファーさんがtwitterでこんなことをつぶやいていたの。

【ファーさん6月23日のつぶやき】

ふむふむふむ、これだね。

【人付き合いは「腹六分」で 美輪明宏さん】

人付き合いは「腹六分」で 美輪明宏さん アールグレイはいかが?/ウェブリブログ

「人間関係は腹6分でちょうど良い」そうわかっているはずなのに、人はその目分量を守らない。守れない。

「目分量を守れない」ことのひとつに、人は人との間に「関係性」を作ろうとし、名前をつけたがり、「関係性」に役割を望む(そしてそれは度が過ぎて、押し付けになる)ことがあるんじゃないかと思う。

 

人と人を「点」と「点」のままで許さず、「点」を「関係性」という線でつなごうとし、そして「関係性」を理由に、相手に対して「こうあってほしい、あるべきだ」を望む。 

本当は相手の愛らしいところ、いびつなところ、強さ弱さなど、その人独自に「感じる」ものがあって「もっと一緒に居たい」と思ったのに。その時点で、その人は「点」であったはずなのに。

その人と自分(点と点)をへその緒のごとく当然のように一本の線で結び、その線に「恋人」「妻、旦那」「一番好きな人」「セカンド」「愛人」「親友」「パートナー」など、色んな「なまえ」を付ける。「なまえのない関係」に耐えられないから。「わたしたちっていったいどういう関係なの?」と。

 そしてその名前のある関係性を逆手にとって相手との線の太さ、強度をはかる。「恋人、夫婦だったらこうあるべきでしょ」と。

 

わたし自身、昔はただ「恋されてる」ことを逆手にとって、相手に当然のように糸をくくりつけ、その強度を計ったり試したりしていた。 

そしてそのしっぺ返しかのように、逆の立場にも立つことにもなった。

 「惚れた弱み」というけれど、それはヒリヒリして、楽しくて、刺激的で、しかしとってっつっもっなっくっ疲弊するものだった。

でも、それはわたしが点である彼との間に線を結びたがって、その線を維持したいがために勝手に振り回されていただけなのだ。

それは「愛」ではなく、「自己肯定の低い片想い」だったんだと思う。我ながら。

 

以前、相手の浮気だなんだで悩んでいる時、ある人に「執着してるうちは、それは愛ではなくてただの恋だ」と言われたことがある。

「あなたのしてることは愛じゃないよ、ただの執着、恋だよ」「相手を愛してあげなよ」と。

それを聞いて、あぁ相手と自分を腹の底から切り分けて考えられるようになって、はじめて執着から解放され、「愛する」ことが出来るのかなと思った。 

だとすると、愛するということは「点」と「点」のまま居られる、存在しあえるということなのだろうか。

そんなことをぐるぐると考えた挙句に、でもそんなこと考えなくたって、お互い線で結び合うことが「心地良い」と思えれば、それでいいんだろうな、とも思う。

周りを見ているところ、もっと自然にやきもち焼きあったり、信じ合ったり、支え合ったりしてるもの。

目分量を計り間違えると、大概の関係は破綻に向かう。だけど目分量を間違えても許してもらえる、受け入れられる相手だって居るんだろう。 

わたしにも出来るようになるのかな。

果てしない難題である。

 

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「なぜ男は歓楽街に行くのか」

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先日、ある男性と世間話の延長線上で、「なぜ男は歓楽街に行くのか」という話をした。

もちろん性欲もある。だけどそれだけでもないんじゃないか。

その男性が言った。

「女性に底抜けに優しくされたいから」だと。


歓楽街の夜の蝶・キャバクラ嬢や風俗嬢など、プロの方たちは、めったなことが無い限り「お客さま」を否定しない。

男性にしてみれば、普段なら女性に責められる自分の愚かさもだらしなさも、気持ち悪さもウザささえも、ミーラーボールの如くキラキラくるくる変わる表情で明るく飲んで騒いで、ボディタッチなんてしてくれちゃったりして笑い飛ばしてくれたり、

壇蜜ばりの微笑で「お疲れさまだね」「●●サン(しかも男性の大好きなサン付だったりあだ名呼びである)すごいよ、頑張ってるよ」「大丈夫だよ」と己を全肯定してくれる。

 激戦の歓楽街で働く彼女たちは、人一倍プロフェッショナルである。

壇蜜が世の男性を「殿方」と呼んで労り、おっさんは週刊誌片手に心の目頭を熱くした昨今であるが、彼女は歓楽街の女性たちと同じことを誌面とブラウン管の中で全うしようとしているように見える。)

 

かたや素人女子たちは、どんなに優しい彼女だって妻だって、

「いついかなる時も彼氏や旦那を優しく、包容し、全肯定してくれる」ことはまず、ない。

 

全肯定ですよ!全肯定!!(ガタッといきなり立ち上がる)

 

べつにこちらとて、きついこと言いたくて接しているわけじゃないけど、ホルモンバランスも乱れれば、家事育児仕事もあり、女性が男性をいついかなる場合も全肯定するには、現実があまりにも過酷過ぎるのである。

それを要求するのは「心をなくせホルモンなくせ殺せ己の自我までも」と言ってるもんだからね。(何の標語)

そんなのまず無理ですと。


それに、優しい彼女や妻が居ても、「こんなことを言うと、すると怒られるのでは、嫌われてしまうのでは」と遠慮してしまうのが普通の(性格の良いほうの)男性である…。

 

以前、下記のエントリに、男性は基本的に「何でも自分を許して愛して肯定してくれる、理想の母親のような(母親にかつて許されていた、もしくは求めていた愛情で包容してくれる)女性=菩薩」を無意識で求めてしまう傾向にあるのでは、と書いた。

「感想:『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』」

http://nyankichitter.hatenablog.com/entry/2014/04/30/013339

 

そんな無意識の下に隠した母性への幻想を歓楽街に求めてるんじゃないだろうか。


かたやそう言うと決まって、

「彼女やプロの人には勃起とセット、母親には求めない」(当たり前や)

「彼女には愛情を求めるけれど、プロの人には性欲のみ(`・ω・´)キリッ」

という人もいるでしょう。

 

よかったですね、割り切れてて。。

・・・でもわたしはあえて言いたい。

 

「実際、そんなに性欲強いですか?」と。


ある作家の方とのLINEで、「男も女も性欲ないのにセックスしようとしすぎ。愛されたさを性欲だと思い込んでますよ、女も男も。」って話をしていたのだけど(しかも朝6時)、わたしは寝ぼけ眼でまさに、とひとり膝を打ったね。

ひとは、「底抜けに優しくされ」て、「自分を全肯定してもらいたい」という気持ちを多かれ少なかれ持っている。

そしてひとは愛されたさ(精神的なさみしさ)と性欲をよく混合する。


そんな混合した夜の翌朝「こんなことをしても満たされない・・・」と気付くこともある。

そう、わかっちゃいるんだけど、今すぐ、確実に愛されたさを解消しようとする。

プロアマ関係なく、このことをお互いに理解しあっている関係、理解しあってなくても一夜限りなら傷も浅いというもんだが、大概は片方がもう片方に執着し出すものである。

(ホルモン分泌の性質上、女性は一度セックスした相手に対して愛情を抱きやすい。そして途端に執着された男性は逃げる。「やり逃げ」と呼ばれるものがこれである。男女逆の場合、女性が追いかけられます。だから女もやり逃げして執着されることも可能)

女のプロであるクラブのお姉さんだって、「枕」ナシにお客を長い間引っ張るのに一苦労なのである(「いかにヤラずに、単価高く、長く通ってもらうか」の攻防戦)。素人娘言わんをや。

男性客はお店で肯定された延長線上で、お店の外の自分も、肯定してほしくてそのお姉さんと関係を持とうとするんだよなぁ。

「オレってただの客なの?」って。

そう、ただのお客なんだけど。

もちろん「入れ込んだ分の投資を回収したい」、という思いもあるけれど。でもそんな損得勘定なら、同じこと繰り返さないでしょ。 


底ぬけに優しくされたくて、愛されたくて、自分を全部肯定してほしい。

ただの「性欲」とは言い切れない、そんな不器用な人間の欲求が、歓楽街のネオンを今夜も煌々と光らせる。 

もしかしたら歓楽街から離れた町の、ネオンの何万分の一の灯りの部屋でも、誰かが誰かのための歓楽街になっているかもしれない。 

明け方、相手を優しく肯定してあげた方は、今度は自分が底抜けに優しくしてもらいたくなるかもしれない。

優しくされた方も「本当はあの人に、底抜けに優しくされたかったな」ってまた泣けてくるかもしれない。(こんなツライ話ないけど)

 

そんなことを帰りの電車でつらつらと綴り、今宵もわたしは煌々と灯る赤と黄色と白と緑の光の中へ吸い込まれ、「金麦」という「一見、夫婦愛がテーマのCMに見えて実は不倫がテーマ」の快楽装置に手を伸ばす。

(訳:サンクスはわたしにとって平日の歓楽街である)


誰かに底抜けに優しくされたい、そんな夜もある。

でも誰かに連絡したくても、なおさら傷ついてしまいそうで、出来ない。


明日も早い。早く酔っ払って眠りにつかなきゃと、ぼんやりとした頭で何も起こらない携帯を弄ぶ午前1時。



アラサーOL華金徒然草。

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朝、貧血の身体をよよよと引きずりながらすっぴんで出社して、この年次になってもトイレで化粧直しも出来ないチキンなわたしは昼過ぎに一番奥の個室でとりあえず眉毛書いて、よよよとおぼつかない足どりで再びフロアに戻った。

お昼過ぎになっても頭働かないからコンビニでアリナミン注入して、夕方頃やっと本調子だぜって仕事し出すんだけど後ろ倒しにした仕事は当然終わらない雰囲気を醸し出してて体力の限界が仕事の限界という言葉が脳裏をよぎる。


後輩には先輩風吹かせて脚を組み、当時のわたしには到底理解出来なかったであろうことをくどくどとのたまわり、上司には苦笑いしながらへぇ頑張りますと応え、夕飯がわりにちょっとした野菜とドーパミン分泌のためのお菓子を食べて仕事をやっつける。


ドーパミン効果もむなしく残務との戦いに負け、マルイもルミネも閉まった時間に、仕事帰りの買い物なんてコンビニかドンキしか行ったことないなと思いながらあー脚痛いと無理に履いたヒールをひきずりならす帰り道。コツコツ。


iPhoneで聞いてるのはなんとglobeで「小室哲哉にとってKEIKOは何がほかと違ったんだろ」「ってか長年ユニット組んでて気付かないってどういうことや」とか思いながら今時globe聞いてる人ってどんだけ居るんかな恥ずかしいなまぁいいけどってひとりごちてナチュラルローソン寄って金麦とおツマミ買って、家帰る直前にプシュッとして、部屋に入ってとりあえず服脱いで倒れこむ。つかれたー。


小一時間程弄んだ携帯には当然何も起こらなくて、この時間が無駄なんだよないい加減風呂入らなきゃと重い身体を起こそうとして腹筋しなきゃいけないのに、とか思う。お風呂に入ろうと下着に手をかけたところでしまったお風呂入るまで金麦ガマンしておけばよかったと、後悔がちょっとにじんだ湯船に顔うずめて何が悲しいかわからないけどいやほんとはぜんぶ悲しくてさみしくて一瞬泣いたような気分になるけど泣けなくてたぶんこの気持ちは金麦のせい。


お風呂上がって友だちから「結婚したい!」ってLINEきてて、「どした!」って返したらやつもやっぱり家で金麦飲んでて、お前もか、みたいになって、「一人飲みは危険だ」と意見合致するものの多分来週も金麦買ってるんだろう、お互い。

「なんなら帰りにglobe聞いた」って言ったら「きみのなまえはー」って返ってきてそこでperfume of loveを打ってくるあたりさすがすぎるなと思って今度ははほんとに涙が出そうになった。
そんな親友がいることがやっぱり幸せで、そんな自分も悪くないんじゃないかと思った、そんな夜。





高望みは、せつない。

 

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この間居酒屋で飲んでたら、隣で30代の男性グループが「女はアラサーになったら条件ばかり高望みして、かわいげがない。終了!」「結婚してれば別だけどね~」みたいな話で盛り上がってたんですよ。

27歳文京区シングルの部アラサー代表(なんの競技?)として、その得意におっぴろげた鼻の穴にテーブル上の焼きそら豆を房ごと突っ込んで差し上げたい怒りで二の腕がぷるぷるしたんですが、おぼつかない足どりで(酒で)とぼとぼと帰りましたよ。

 

くっ!!(悔しくて歯ぎしり)

プシュッ(金麦で飲み直す@自宅)

「女は歳を取るほど条件を高望みする」といわれる。年齢、学歴、年収だけじゃなく、「こんなタイプじゃないと話が合わない」「結局見た目がタイプじゃないと続かない」とか。OKが少なくなるというよりはNGが多くなっていく。

それは経験値に比例して、相手や自分に対して期待値が高まって要望が多くなったり、「出し惜しんでるから」と見る向きがあるがそんな理由だけじゃないんだよとわたしは思う。

むしろ、そこまで自分の価値を信じて、要望欲求に振り切れる人は、逆に今までの経験値(交際経験など)が少ない人の方が多い気がする。

過去にある程度の経験値がある人は、「あの人ともうまくいかなかった」って失恋の度に自信喪失しているし、ほかの女の子と比較もしてきたし、過去の「タラレバ」は死ぬほど考えてきた。

そんな自分自身と「男性」に対して、徐々に諦めていってる、もしくは絶望していってるからこそ「この際条件に転ぶか、、、」(最低限そこは頑張らんと、今まで恋愛で泣いたり悩んでたりしたわたしがうかばれんやないか)と思う心理もあるんじゃないかと思うんです。

それを一緒くたに「高望み」と呼ぶなら話は別ですが、冒頭のソラマメ野郎ども(なんか別の悪口みたいだな)がこの背景を理解しているとは思えない。 

もちろん経験と比例して「これなら昔の彼の方が・・・」という心理は、存在します。

「大好きな人と恋愛して結婚したい」という欲求と「若くもなくなっているし、早く手を打たなければ」という焦り、「でも最低限は頑張らないと、自分がうかばれない」というプレッシャーの混在

 ハタから見たら、条件で男を見ているように見える女性のなかには、もし好きな人に愛されるなら、条件なんか度外視で一緒に居たいと思う人だっているわけです。

だけど、それが一番難しいって分かってるから、その諦める気持ちに、せめてスペックで価値をつけるのです。とか。だからね、高望みってほんとは切ないんすよものすごく。

他人の悲しみとせつなさは笑っちゃいけないという家訓にのっとると、「他人の高望みを笑う前に、己の想像力に思いを馳せろ」と思うわけです。

もちろん一番良いのは、年齢とか世間体とか他人の評価なんか気にせず「自分は自分!」と思って人生を楽しむこと。自己受容、自己肯定出来たら、恋愛だって結婚だってぽんぽん出来るし、それが出来なくっても、もっと楽に生きていける。過去の恋愛も執着なくリリース出来る。

とは言っても、さみしい夜も不安になる夜もあって、そんな時は月でも愛でながら金麦飲みましょう。そら豆の塩茹でも酒の肴にしてさ。

他人にとって「脳内麻薬にしか過ぎない自分」

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常に唐突感しかありませんが、今日は「自分はアッパー系・ダウナー系、どちらの脳内麻薬が欲しくなってしまうのか、もしくは他者にどちらと見なされるのか」がわかることで、自分やあの人の欲望の正体が見えてくるよ!という記事です。

「あんな優しい彼(彼女)が居るのに、なんでわたし(俺)はもの足りなく感じちゃうんだろう

「なんであの人はわたしじゃなくて仕事や遊びを優先するんだろう」

その理由は「その人が出したい脳内麻薬にあるのです」というお話です。

脳内麻薬の話になる前に、イメージしやすいよう、麻薬=ドラッグの話をします。

ご存じの通りドラッグは大きく分けて2つ、アッパー系とダウナー系に大別できます。

アッパー系は興奮剤として精神を通常以上に高揚させる作用、一方ダウナー系は抑制剤で、興奮・緊張を抑制しリラックス状態をつくる作用があります。

代表的なものでいうと、

◆アッパー系・・・コ⚫️イン・LSDなど

◆ダウナー系・・・大麻やヘ⚫️インなど

がそうなのですが、何も麻薬に手を出さなくても、人間は本能的にもっと強力な麻薬を自分で作り出しているんですね。

脳内麻薬については、中野信子さんの本がとても面白くわかりやすいです。

【脳内麻薬について】

脳内分泌される、人間の思考と行動の源泉である「脳内麻薬」。上記の麻薬をそのまま置き換えてみると以下の通り。

◆アッパー系・・・ドーパミン・(アドレナリン)

◆ダウナー系・・・セロトニン

たとえば、残業時や気の乗らない時に甘じょっぱいスナックを食べたくなったり、時々無性に焼肉やマックのフライドポテトが食べたくなる。これは脳が興奮剤としてのドーパミンを欲しているからなんです。

一方、快楽物質セロトニンは自然やヨガ瞑想、深い睡眠から得ることが出来ます。あと鶏肉をよく噛むとセロトニンが出ます。

人間が感じる「幸せ」はセロトニンからもたらされます。いつもごきげん、笑顔の人は基本的にセロトニンの分泌が十分に安定している人です。(イライラしてる人はセロトニン不足のノルアドレナリン過多)

セロトニンは人を殺すことも止めることが出来ると言われています。犯罪者の再販防止にセロトニンを注射でぶっさせばいいとかいう議論もずっとされてますからね。

そんなセロトニンですが過多になると、「欲も恐れも無く、何もする気が起きない」という状態になり、それはそれで社会生活が困難になります。俗世を解脱した仙人状態ですね。

そんな風に人間は、その時分泌されてる脳内麻薬によって思考・行動が決まるそうです。

そして乱暴に言うと、宇宙に存在するものすべてを、脳内麻薬の対象としてジャッジしていると言えます。

 

【他人にとっての「脳内麻薬としての自分」】

~アッパー系・ドーパミン編~

たとえば、楽しいこと・刺激大好き!常にわくわくして感性を磨きたい!という人は、恒常的にアッパー系・ドーパミンの分泌を優先的に求める傾向にあります。だから常に選択肢の中で、楽しい方・刺激のありそうな方を選択し、そのほかのものは後回しに。

これを仕事や趣味だけでなく、恋愛にも求めてしまった場合、「刺激を求めていつも遊んでしまうワタシ(オレ)」になる可能性があります。

例えば『英雄色を好む』はこのパターンですね。英雄は人生全てにおいて超絶アッパー系・ドーパミン志向なので。●原●太郎さんとか。老いてなおセックス!みたいな。

こういう人は常にアッパー系を求めてるからこそ世間から突き抜けられるんですよね。周りを見ても、政治家とか起業家などに特に多い印象。

常に刺激を求めたり、相手をとっかえひっかえし、そして時間がたてば飽きて(=安心する=セロトニン分泌)しまう。

自分を愛してくれる優しいダウナー系彼氏と付き合ってるのに「もっと刺激が欲しい!」と彼女が不満を感じている理由も、これなのです。

得てして「愛」と呼ばれるものは、物足りないものと言われますよね。

そういう人は「満たされない 」と言うけれど、常に新たな刺激、ドーパミンを求めてるのだからそりゃそうで、その人にとってはドーパミンを出してるつかの間の状態が最も「満たされている」状態になる。

そんなアッパー志向の男性(女性)と付き合った時、最初はアッパー系だけにテンション高く求められてそれが楽しいんですが、徐々に「もう飽きたんかい?!」「あの頃のグイグイ来る感じはいずこに…」みたいな恋愛あるあるってあるじゃないですか。

それで不安になった方が「嫌いになったの?」「もう好きじゃなくなったの?」とか聞いても、大概が「別にそんなわけじゃない」と気のない返事。

それは必ずしもウソではなく、ただ単に恋愛初期のドーパミンが出なくなって、相手がセロトニンの対象になっただけ。そして彼(彼女)は普段のベースとして「アッパー系のドーパミン」の方が優先順位が高いだけなのです。

それが「飽きられた」現象の正体です。

もちろんセロトニン無しでは生きていけないので、ドーパミンを出す材料(他の女性や友人との遊び、仕事など)がなくなったら、一旦はセロトニンの元へ戻るのだけど。

またドーパミンを求める旅には出るでしょうね。Yes,ドーパミンローリングストーンズ!!

ちなみに、上記の傾向が強い人をドーパミン症候群」と呼びます。

ドーパミン症候群の男友だち(起業家、超ガツガツ系のサラリーマンたち)が疲れただの傷ついただの言ってダウナー系を欲し、ダウナー系の恋人を作ったはいいものの、付き合ったそばから飽きてアッパー系(仕事や趣味や刺激をくれるほかの女)を求め、結果相手を振るという自己中対応をしていると「だからおまえはドーパミン症候群なんだから自覚しろよ!!!」一生「味の素」とハッピーパウダー(お菓子ハッピーターンの粉)に漬かってろよ!!!と拳を震わしてます。

 

~ダウナー系・セロトニン編~

一方、「刺激は仕事やそのほかのことで十分。とにかく安心したい、癒されたい人」。「タイプは家庭的な人です」と建前でもコンプレックスの裏返しでもなく本気で言う人は、ダウナー系・セロトニンを出せる人に魅力を感じるのです。

元々は異性にアッパー系を求めていたけど、アッパー系の仕事や趣味(釣りとかサーフィンとか)にのめりこんだため、アッパー系女性に興味が無くなった、という人も居ます。

むしろ結婚や特定の異性が居た場合は、その人に求められないものを仕事や趣味、友人関係に求めるのがスムーズに生きる方法で、なんでも異性に求めようとすると、リスクを背負う可能性があります。

あとは男性は特に仕事の優先順位が高いので、歳を重ねるごとに、気力も体力も必要なアッパー系の女性を遊びはOKでも本命視しなくなったりするように思います。

時代性なのか、若い人には自身がダウナー系、さらに求めるものもダウナー系嗜好が多いように見えます。周りを見ても、「恋がしたいっ!」的テンション、欲しいものに対してガツガツする姿勢が内にも外にも顕在化してるのはアラサー以降に多いなと。

もちろん、ダウナー系・セロトニン系が正解、万能かと言うともちろんそうではありません。

刺激や楽しさを感じたり、成果を得ようと頑張るのも、褒賞系ホルモンドーパミンを嗜好してこそです。

 

物事の二面性ですね…(誰)。

 

【人は結局見たいようにしか見ない】

上記の通り区分することで、有る程度傾向がつかめはします。

しかし他者にとっての自分となると、その眼差しは相対評価、どこまでいっても人は自分の見たいようにしか見ません。

同一人物に「アッパー系的魅力」を感じる人もいれば、「ダウナー系魅力」を感じる人もいます。

 

わたし自身も振り返ってみると、ダウナー系志向の男性に告白されて付き合って、「あれ・・・アッパー系女子だったんだ・・・やっぱ無理」とかなってフラれたりしたことが…ありました…。

 

その頃のわたしは夜中まで働き、週2で整体に通ってとは言え、まだ若さ故のエネルギーと体力があった。

 

その時は知り合いの「超絶ダウナー系セロトニン女子」の顔を思い浮かべながら、「なんでわたしはあの子みたいな癒し系になれないんだろう・・・」と夜な夜な枕を濡らしたり。

挙句「よしっ性格を変えよう!」と無駄な決意をしてみたり。ご存知の通り、決意で性格は変わりません。脳内麻薬を変えるためには究極、身体を変えるしか無いのですが、当時のわたしは今よりさらにアホだった。

 

その後、超絶アッパー系嗜好の人と付き合うんですが、その人は生粋のアーティスト&メンヘラ好きで(彼女たちの起伏の激しさナメてました)、彼からするとわたしは「ダウナー系女子」。

仕事にも超絶アッパーな彼を支えたくて「プロ彼女」の真似事をした結果、「キミは菩薩系だね」と言われ、「あぁ、わたしも美しくて才能のあるメンヘラになりたい…だけどそういう人って大概実家金持ちかパトロン居るか水商売してて生活深夜型だし、そんなんじゃ今のOL生活続けられん…やっぱり恋と仕事の両立って難しいのね…(そしてだんだん論点がズレる)」と、チープな嫉妬で夜な夜な枕を濡らす日々(その枕は大丈夫なのか)。その時はさらにわたしはアホだった。

そんなことを経て自分や相手の嗜好性が判ってからは、上記のようなミスマッチは起こりにくくはなりました。

が、脳内麻薬の変化によって人間いかようにも変化します。

安定してた彼が突然熱病にかかったように(ドーパミン過多)浮気に走ったり。その逆も然り。

だから「わたし(俺)や彼(彼女)の性質はこうなんだ!」ってあんまり決めない方がいいと思ってます。(ドーパミン症候群以外は)

が、やはり傾向値はありますので、ご参考までに。

 

というわけで、人の選択や行動には、その人が求める脳内麻薬が源泉であり、自分も含めて他者をその対象としてジャッジしてますよ、他人からジャッジされてますよというお話でした。

 

だから愛し合ってる二人が、

「わたしが死んだらどうする?」

 

「ぼくも死ぬよ」

という茶番劇がありますが、その質問に誠実に答えると

 

「きみと同じ脳内麻薬を出してくれる人を探すよ

になるのです。

 

それを「嗜好がブレない人ね!」と思うか、「ふざんけんな」となるかは、その人次第なんですけど。

 

感想:二村ヒトシ著『なぜあなたは愛してくれない人」を好きになるのか』

二村ヒトシさんの著書『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』を読んだ(文庫改訂版の前の単行本名は『恋とセックスで幸せになる秘密』)。

www.amazon.co.jp

 

特に印象に残ったのは、巻末の対談の中での二村さんの発言。 

「女の人の心の穴に、タッチ・アンド・ゴーじゃないですけど入っといて逃げ出すみたいなことを繰り返す、僕自身の心の穴というものがありまして…(中略)…時間が経つと冷たくなるんです…(中略)…で、僕には常に女性に怒られているっていう感覚があるわけです」

「プライベートでは女性の感情が憎くなる。責められると逃げ出したくなるし、僕自身が感情を揺さぶられることに耐えられなくなるんですよね。罪悪感と自分を守りたいという気持ちが同時にあって」(信田さんとの対談の中で)

 「俺を苦しめないでね、菩薩(※のような女性)なんだから、苦しめるはずがないよねって予防線を張ってるんだもんなぁ」(あとがき)

 

相手の心の中に入っては、ピューッと逃げていく恋愛ピンポンダッシュである。

 

 「好きだ」「会いたい」の連絡で期待させてきたかと思えば、徐々に連絡が取れなくなったり、そっけなくなったり。関係を持った途端に、フェードアウトされたり。

「回避性」の特性を持つ男性の行動パターンである。

 

人は一度心をタッチされてそっぽ向かれると、途端に執着しちゃう。

だから不安になって連絡してしまうのだけど、追えば追うほど相手は逃げる。

 

追う方はいつの間にか「相手を追う権利・責める権利」があるみたいな被害者意識を、持ってしまう。

責めたり恨んで追いかけてる間は、あの人の心の中に自分の居場所が少しでも残ってるような気がして。「相手を責める権利」だけが二人を最後繋いでいるような気がして。

 

「傷つけられた」と怒るのだけど、その怒りの原因は「自分が望むことを相手がしてくれない」という期待からの落胆か「自分が嫌がることをされる」という被害者意識である。

相手からすれば「なぜそこまで責められるのかわからず」、その温度差が余計に争いを生んでしまうのだ。

巻末の信田さんとの対談中でも触れられているけど、二村さんは心底では「男性が勝手をしたり傷つけてきても、女性はどっしり構えていればいい」と期待する気持ちがあることを吐露している。

 

女性からすると「心をなくせ」と無理ゲーを強いられてるのだが…。

だけど、女性が書いた女性向けのコラムでも、この手の説はよく出てくる。「遊び人の最後の女は、どっしり構えたビックマザー理論」である。

 

対談相手の信田さんの言葉を借りれば、男性が女性に対して「菩薩」や「母性」を求めるのは、実は男性の深層心理にある、「理想の女性像に執着して、そうでない女性を見下し、その理想の女性像の中に、逃げ込んでいるから」だと言う。 

 

 男や恋愛なんかで右往左往しない、自分をなんでも許して受け入れてくれる、母親のような理想の女性像。それは男性が理想とする「かつての母親の姿、もしくは母親にあってもらいたかった姿」である。

 

男が女に愛情を抱いていない場合、男の目の前の「感情の揺れ動くわたし」は、男の後ろめたさや罪悪感、面倒臭さを誘発するものでしかないのだ。

さらに不幸なことに、女はその「男が面倒臭さを感じている」ことを察して、自分を責めたり我慢してしまうようになると言う苦しさ…。

 

二村さんは、「恋は ”相手の心の穴” が ”自分の心の穴” に作用してはじまるもの。

わたしたちは相手の心にあいたひとつの穴を見て、好きになったり嫌いになったりしている」と言う。

 

無邪気で自由でやんちゃな彼に惹かれて好きになって、彼の奔放さに振り回されて嫌いになる。愛情深い彼女に惹かれて付き合ったのに、その気持ちが重たくなって逃げてしまう。真面目で穏やかな彼を好きになったのに、刺激が足りないと飽きてしまう。

 

ひとつの心の穴を、左から見て恋をして、そして右から見て嫌いになっている。

そして恋の最後には、「彼は最初そうじゃなかった、わたしがうまく駆け引きすればまたあの頃に戻れるはず」とか「彼女は変わってしまった」と被害者意識を持つ。

一つの穴から始まった恋が、一周しただけなのに。

 

二村さんは「恋が愛へと変化しない場合は、全ての恋は必ず終わる。しかし恋よりも愛の方が何倍も気持ち良いものである」と言う。相手の心の穴を認め、赦し合い、肯定し合うことが愛なのだそうだ。

  

だけどそれがわかっていながら、なぜ人は懲りずに何度も「愛してくれない人を好きになる」のだろう。

 

人は「心の穴と穴」が引っかかることで、恋がはじまる。

そして恋愛初期の快楽の海に、溺れる。

快楽の潮が引いた後、「心の穴」の存在や形に向き合い、お互い受容し合うことができれば、「恋」は「愛」へと変わっていく。

しかし多くの場合は、「自分の望むように相手が振る舞ってくれない」と感じるようになる。「恋している側」は被害者意識を持ち、「恋されている側」は、罪悪感や後ろめたさを感じるようになる。依存したり執着したり逃げたり、憎んだり憎まれるようになる。

 

そうやってその恋を「破滅へと幕引き」してしまうからなのだろう。