しまずあいみのぽんこつ日誌

~アラフォーになったのでタイトル変えました~

ベッキーについて妄想あれこれ~彼にイイコぶっちゃう問題~

先月の『週刊文春』に、ベッキーから届いたという手紙が掲載されていた。

事実の詮索や是非は置いておいて、わたしがこの騒動の当初からずっと感じていたこと・・・「ベッキーにとって、今回の相手の男は心の穴だったんだろうな・・・」ということである。

流出したLINEのやりとりは、不倫真っ最中の温度感で送られたものなのだろうが、圧巻なのは事が公になった後も、不倫相手に対して感情的にならず、健気かつ気丈にも振る舞う彼女の態度だ。 

不自然に感じるほどの一貫したスタンスに、空恐ろしいものを感じた。

ベッキーに肩入れするわけでもないし(出来ないし)、サンミュージックに借金があるわけでもないが、さすが生き馬の目を抜く芸能界で17年も生き残ってきた人。その善悪は置いておいて、突き抜けている。

いくら楽観的な気質だとしても、記者会見を開くほどの事態にまで発展すれば、「あんたが優柔不断で脇が甘いせいで、こっちは吊るしもんなんだよ!」くらいのことを言いたくもなる。

いわんやその後に及んでさらに「逆に堂々と出来るキッカケになるかも」とか言われたら、どんなに好きでも「じゃお前も晒し者になれや・・・」と怒髪天ものだ。

「憧れのミュージシャンと不倫」なんて設定はわたしのような身分では想像できない程、ドーパミンがドバドバ出て、思考・感情がマヒするのかもしれない。元来の気質に因るものであるにせよ、そうやって一時の感情に溺れたものであるにせよ、あの状況であの振る舞いは並大抵のメンタルでは出来ないと思うのは買い被りだろうか。

本音や弱音が吐けない関係性は不安を募らせる。恋人だろうが夫婦であろうが「本当に愛し合ってるとは言えないんだろうな・・・」と卑屈になってしまう。

その意味で、ベッキー自身が関係性の危うさを認識し、あえて「恋人未満」だと置きに行っていたとしたら、件の「友達」発言も、本人の認識としてあながち全て嘘じゃないのではと思ったり・・・いや、ホントただのミーハーの勘ぐりなんだけど。

 

いずれにしろわたしがどうこう言える筋合いはないのだが(じゅうぶん言っとるがな)、この件を見るにつけ、「言いたいことの言えない恋愛はどっちに転んでも地獄谷」と、己の閻魔帳(別名:恋のべからず帳)に鬼の形相で筆圧強めに書き足すのである。

ベッキーがそうだったかどうかはさておき、自己欺瞞を続けながらでもある人と一緒に居たい、という感覚は残念ながら理解できる。

他の人と付き合っているときはそうでもないのに、その人を前にすると、もはや条件反射的に無理したり、媚びたり・・・。心の穴に引っかかっちゃう相手っているんだよなぁ・・・。

私事かつかなり昔のことになるが、ある元彼にわたしは「夜のスターリン」(もはやよく付き合ったな)と呼ばれていたのだが、その数年後に付き合った別のある人はわたしを「女神」と呼んだ。ある友人は、元来誰と付き合ってもマリーアントワネットが大阪のおばちゃんに転生したかのような、極上のワガママと安っぽい世話焼きをある意味黄金バランスで共存させていたのだが、とある別の彼の前では、常に微笑をたたえた壇蜜崩れ(失礼)を演じており、常に彼を立て、動静はたおやか。「彼から古風な女と言われる」というノロケを聞かされた時は友人一同噴飯した。

そして蓋を開けてみると、スターリン時代は数年に及ぶ長期政権を樹立したが、エセ女神は数ヶ月であっけなく自滅。壇蜜崩れもたった三ヶ月あまりでスピード解雇である。

わたしたちはとても落ち込んだ・・・エセ女神&壇蜜崩れ@磯丸水産で、イカの肝をつぶしつつ大反省会である。

当時はとても落ち込んだ。イカの肝かアンコウの肝しか喉を通らないくらい落ち込んだが、3ヶ月後には「いやー、そもそもの初期設定からして無理ゲーでしたわ!」と益々肥大化した肝を座らせホッピー片手に開き直るスターリンとオバネット。

当時その彼に支配的な態度を取られ、自分は唇噛み噛み我慢していたかというと、そんなことはない。その人に好かれたくて、好意的な反応が嬉しくて、もう条件反射的に常にポジティブな態度を取り続けたのはわたしの依存心からである。最後の女に選んでもらいたかったのかもしれない。

相手の理想(というか都合の良い)の女性像を演じ、媚びることである程度関係は継続するかもしれない。でも泣いたり怒ったり「感情を持つ生身のわたし」が生き場を失くしてしまう。「好きなら仕方ないじゃん。」その通りなのだけど、アラサー以上の身にはこれが結構しんどくて、首が詰まるのだ。

 ・・・なんかベッキーの話から自分の話に・・・畏れ多くも前座にしてすみません・・・。

話が拡散してしまったけれど、ベッキーが今回最終的に出会ったものが、びっくりキノコ頭の男性ではなくて、初めて出会った己自身、であったら良いなと思う。

【以下中村うさぎさんのインタビュー記事を引用】

am-our.com

依存によって最も醜い自分に出会うことは
いい経験になる

中村うさぎ AM 恋愛 甘えと依存
©AM編集部

 

 

 

 

 

 

―依存をしたことですごくいい体験をしたことはありますか?


中村:恋愛で男に依存したことで、いい経験をしたことなんて一度もないと思う。

依存って執着なので、しすぎると苦しいからね…。
しいていうとしたら「私ってこんなにばかなんだなー」と最も醜い自分と出会ってしまう体験ができることかな。
そういうコントロールできない自分を発見していくことは、とても貴重だと思うんですよ。


 恋愛って最も自分を知るチャンスだと思うのね。
やっぱり人ってきれいごとをいってしまうし、きれいごとを言っている自分が本当の自分だと思ってしまう。


 心の中でドロドロしたことを思っていても、そんなことは口には出さないし態度にも出さず、
そんなこと思っちゃだめ! って自分に言い聞かせて、もっとポジティブに考えよう!  とかさ。
そんなことができる間は依存じゃないから。
でも恋愛でバカになって、私はこんなに愚かだし、こんなに醜いし、こんなに視野が狭くて、だめな人間なんだ、ということをちゃんと知らないといけないと思うんだよ。
自分をきれいにきれいに美化したままでいたら、「己を知らない」という理由でどっかでつまずくから。

「人間って『自分がいかに下らない人間か』ということを思い知ることで、スーッと楽にもなれるんじゃないかな」とは敬愛してやまないかのタモさんの名言である。もしかしたら自然体とは、己の醜悪さに気付いたその先にしか無いものかもしれない。

 ・・・と、ここまで書いてベッキーが昨夜のテレビ番組に出演したことを知った。

「金スマ」でベッキーが中居に明かした本音 涙声で語った「記者会見のウソ」【書き起こし】 - ねとらぼ

特にファンではないし、フォロワーシップも持ち合わせていないけれど、同世代の同性として、お互い少しでも生きやすく生きれたらいいよなぁ、と一方的に思う。

醜くてどうしようもなくても、自分自身を抱き締めずにはいられない。周りにその醜さを気づかれてるんじゃないかとビクビクしながら(そして大概気付かれている)、だけど時々その醜さのおかげで愛されながら、生きていく。

 

まぁそれこそ友人でも何でもないので、一方的な妄想なんだけれど・・・。

男は縦幅・女は横幅、最終的には経験の幅がそのまま魅力になる。

男女のもつれは芸と女の肥やし、と陰ながらエールを送りたい。

「小さなOK」を出し合って、人は生きてる。

友人に勧められて、遅ればせながら漫画『サプリ』を読んだ。

 

ぅぅぅっ・・・っこれはビジネス経典である(目頭熱)・・・。

 

話のあらすじを言っちゃうと

①深夜残業当たり前・休日出勤ご褒美です状態広告代理店勤務の27歳女性が、仕事が激忙しくて学生時代から付き合ってる彼と別れる(身に覚えあり)。

②別れて間もなく、元彼が他の女性と結婚(身に覚えa(ry)⇒失恋後、不倫中の同期のイケメンやさ男が異動してきて再会し、お互いの傷を癒しあうも、恋愛に不器用過ぎる主人公は結論うまくいかず。

③そのあと振り回す危なげオラオラなコワモテ系の男(職業カメラマン)に惹かれたんだけど・・・(普通コレで婚期遅れる)

④どっこい!二人の関係は成就+継続し、なんと子どもを授かりました!

⑤しかし主人公は彼に子どもが出来たことを言えないまま、カメラマンの男は自意識炸裂し中田英寿よろしく自分探しに海外に行ってしまう・・・

⑥数年後再会。主人公は未婚の母。子どもは産みましたけど、お前はこれからこの子とわたしと一緒に生きていく覚悟はあるか、と彼にビンタ!母は強し!持つべきものは己の経済力!さすが電通社員!(電○とは言ってないけど)

 

・・・まぁそんな話なんだけど(サマリが雑ですみません)、わたしがことごとく刺さったのは、上記の主人公の恋愛云々というよりも、主人公と先輩社員のやりとりである。

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 「仕事は女を救わない」とはよく言われるけど、半分その通りだと思うし、半分そうじゃないのかもと思う。

と言うのも、わたしは今仕事をしている会社に、人間として育てられた感がある。会社は第ニの親だ。そう書くと社畜感みなぎってるけど、ホントにそう思っている。

 

わたしは新卒で入社した今の会社に、2度目の就職活動で内定をもらった。1度目の就職活動では、最終面接で落ちた。落ちた理由を、自分なりに理由を分析すると一言で言うと「自信が無く、危うかったから」だと思う。

その頃の私は今よりさらに自信が無くて、自信がないくせに完璧主義でプライドが高かったから、相手によって自分の出し方を変えてしまう「わかりにくい子」「危うさのある子」だったのではないかと思う。

結果、就活留年させてもらったわたしがやったことは、社会と自分自身に「慣れる」ことだった。慣れない存在である「大人」に対して自分自身を言語化し、その中で自己理解を深め、不要な自責や背伸びを止めようとしていった。

 

そんなこんなで所属企業を問わず述べ100人強の大人の方にお時間を頂き、話をさせてもらう中で、自己開示や自己受容を少しずつではあるがうっすら体得していき、結果二度目の就活で一度目に落ちた希望の会社に入社することが出来た。

 

たくさんの人のおかげで、その一年で若干の成長を遂げたものの、もちろんそう簡単に人間が変われるはずもなく、入社当初は全く自信が無く自分の言葉で話せなかった。

人の表情を見ることだけに長け、自分はと言うと臆病なポーカフェイスで「何考えてるかわからない」と先輩や同期によく言われた。

 

だけどその一方で、日々余裕がないほどには真面目だったので、仕事では目の前の仕事を精一杯こなし、お客さんに応え続けた。

業務内外、苦手な営業も宴会芸もとにかくコミットすることで、お客さんや上司に「おまえは(泥臭いけど)いいなぁ。」と言ってもらえた。

初めて他人から貰った「いいなぁ。」のつぶやきに、わたしは思いのほか励まされた。徐々に自分を受け入れられ、自然と自分を出せるようになった。

すると徐々に自分の引き出しを開けていくことを覚えた。辛いことも苦しいことも、「人間の引き出し、幅をつくるための経験だ」と思えるようになった。生きるのがなんだか年々楽になっていった。

就活面接でオドオドしていた女子大生は、いつの間にか聞かれてもいないのにインターネッツ上で持論を主張するアラサーになっていた(良いやら悪いやら)。 

 

そんな風に仕事を始めて6年目になったいま振り返ってみると「若いうちにたくさんの成功体験を積むこと」の大事さを痛感する。

若いうちからたくさんの打席に立つ×「小さな成功体験」を積むことで、自分の引き出しを増やしていく。引き出しの数と幅がそのまま自信になる。

そのためには小さな「OK」をくれる人たちに出会うこと。そんな環境に身をおくこと。特に自己肯定感が低くなりがちで、内省傾向の強い女性には、とても大事なことだと思う。

とは言うものの、年次が上がれば周囲からの期待値や越えなければならないハードルは当然上がり、「自分の能力で、ここで働き続けることは難しいな」とか「後輩の方が全然優秀じゃん・・・」とかしょっちゅう卑屈になっては落ち込んでいる。

そんな自分自身こそが、限界作っているんだなともよく思う。完璧主義のくせして承認欲求の高い性質はなかなか治らない。 

 

でもその度に前を向くのは、「わたしなんか・・・」の先には何もなく、誰も救わないし、救われないんだということを知ったからだ。それは恋愛も仕事も一緒である。

強く想い、がむしゃらにでも頑張ったその先には必ず何かがあったし、それはそのまま自分の肥やしとなっている。

 

そして今度はその肥やしで、後輩だったり「この人の背中を押してあげたい」そう思う人が居たら、自分の経験と感性を総動員して小さな「OK」を出して受け容れる。それは仕事に限らず、友人・恋愛・家族でも。

その「OK」に説得力を感じてもらえるような人になりたいし、そんな「力のあるOK」を出せる人であり続けるために、わたしは日々いろんなことを乗り越えながら生きている。

自分自身、自己肯定感は相変わらず低く、人の性質はなかなか変えられないなと痛感する日々だけど、「小さなOK」を積み上げることで、自信を培っていくことができると確信している。

 

そうやって巡りめぐって「小さなOK」を出しあって、人は生きてるのかもしれない。

 

 【ご参考】

特に女性のキャリア形成、自己肯定感の持ち方という観点で、すごく参考になる、岡島悦子さんの記事です。

careerhack.en-japan.com

「好き」と「大切」がわかる人。

以前、なじみの整体師の方と「パートナー」についての話になった。 

「人間て、“自分ひとりの力で生きてる”と思ってる人間か、“周りに生かされている”と思ってる人間か、大きく分けてそのふたつなんですよ。“周りに生かされている”と本気で思っている人は浮気しないですよね。」

「パートナーって最悪の状況からギリギリのところで救ってくれる存在じゃないですか。どんなに追い込まれてても、一緒に寝るだけで救われる時ってあるじゃないですか。そんな人にはやっぱり笑ってて欲しいし、傷ついている顔なんて見たくないですよ。」

・・・奇しくもその話をしたのは、当時付き合っていた彼が、酔っ払ったついでに浮気をゲロってきた翌日であった。

詮索もしていなかったのに、突然ゲロを浴びせるなんて、れっきとしたテロである。

 

そんな折に整体師の話を聞いて思ったのは、「ひとを好きになる」と「ひとを大切する」は違うんだなということだった。

 

「好き」だけで恋は出来る。だけど、「好き」だけじゃ人と人との関係は続かない。

 

結局「好き」は「自己愛」の延長で、その「自己愛」は相手を傷つけることもある。

そこからお互いに「大切」と思いあえる関係にシフトしていかないと、二人の関係は耐久レースと化し、いずれ関係性を続けることが出来なくなる。

 

そんなことを思った時に、過去七年間付き合った別の元彼を思い出した。

その彼とは別れた一年後に、一度再会したことがある。会ってる間中、彼はわたしの言動に「成長したね」と言っては泣いてくれた。

別れた後も、わたしをもう「好き」じゃないのに、ずっと「大切な人」として思ってくれたんだ・・・。

nyankichitter.hatenablog.com

そんなことを思い出して、「なるほど今回の彼は、わたしのことは好きは好きだったんだろうけど、大切だと思っていなかったのだな」と合点がいったのである。

思えば当時なんとなく不安になって、「わたしのこと好き?」なんて聞いていたのだけど、その問いは全く本質的ではなくて、論点は「好き嫌い」ではなかったのだ。

 

「好きと大切は違う」は、「対自分自身」にも同じことが言える。

「自分が好き」なことと、「自分が大切」なことは似てるようで違う。

むしろ自分が好き過ぎると、「自分を大切にする」ということからは遠ざかってしまう。

それは自己愛から人や自分に求めれば求めるほどいつまでたっても「満足」することが出来なくて、そしてその満たされない渇望感がさらなる泥沼を生むからだ。

 

強い自己愛や欲を持つ有名人や経営者などが、世間的名声や栄光の陰で自暴自棄なプライベートを送っていることは、時々耳にする。

実際に目のあたりにした時には、その根深さに「これが業というものか」と思った。

そんな「自己愛」の追求は、「自己満足・快楽の追求(追究)の旅」とも言えるし、「延々の自滅」ともいえる。

 

 

 

突如としてCHAGE&ASKAの話を出したけど、元彼やASKA(並べちゃったよ)を批判したいわけじゃなくて、今からそいつを殴りに行って欲しいわけでもなく(殴って欲しい気もするけど)、自分自身に対しても「同類なんじゃ」という疑念を抱くからである。

 

「大切」より「好き」を優先した過去。「好き」を「大切」につなげられない関係構築力。 

もちろんそれらの恋愛から学ぶことは多かったが、「大切にする力」は一向に身に付いていない気もする。

 

20代半ばから「好き」と「大切」、「欲望」と「愛」について、壊れた時計の振り子のように、ずっと行ったり来たりを繰り返している。我ながらバグってるんじゃないだろうか。

 

そんなモラトリアムな状態が嫌いと問われれば、寂しくはあるが、決して嫌いではないのである。わたしの自己愛も相当なものだ…。

 

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「何があれば、産めるの?」

「子どもが欲しいかわからないというキミに、これ以上時間を費やせない」

そう言って、付き合っていた彼に昨日フラれた。

わたしは、これまでの人生で、「子どもが欲しい」と思えたことがない。

友人や知人に、子どもを持ちたいかを尋ねると、「欲しい!」もしくは「まぁ、いつかは・・・。」と返事がかえってくる。
けれどわたし自身は、そんな「いつかは・・・」という感覚さえ持てたことがなかった。

「アタシなんてこれからって時に子どもが出来ちゃって~!」と笑い飛ばすタフな女性に遭遇すると、「ななななんで避妊しないの?!そこは調整出来るはずでは?!」とその思い切りの良い「ウッカリ」にひっくり返り、そんな「ゆるい許容範囲」を持てる彼女たちをうらやましく思った。

 

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とは言うものの、クソ天邪鬼なことは承知の上で書くと「子どもは一生欲しくない」と言い切れるかというと、そう言い切ることも出来ない。

どうして当たり前の様に「子どもが欲しい」と思えないのだろう、と何度も考えた。

何のために産むのか?

育てたいために産むのか?

誰のために産むのか?

子どもは産んでくれなんて頼んじゃいない。

その問いに答えが出ないからだ。

 

そう思えない理由のひとつとして、わたしが自我との折り合いが付いてないからのように思う。

幼い頃から演劇や舞台に没頭し「何者かになりたい願望」が人一倍強かった。十数年前、地方の片田舎で、もはや憧れを通り越して強迫観念に近いものに追い立てられていた中高生時代。

そして自分の人生を思うように生きられず、シングルマザーとして追い詰められていた母親が「子どもなんて産むもんじゃない」とよくこぼしていたこと。

その言葉自体にショックを受けていたというよりも、「自分の人生で実績を作らないまま子どもを産んでしまうと、後悔と手遅れ感で恐ろしいことになる」という強迫観念が、より強いものになっていった。

そんな家庭環境を「しんどいな」とは思っても「不幸だ」と思ったことはない。どんな愛情深い母親でも、追い詰められるとそのようなことを思わないわけではないだろう。加えて、母親は子どもの頃のトラウマから、精神的に不安定で幼かったから口に出してしまったのだと思う。

 

✳︎

「あなたくらいの年頃はみんなそう言うのよ。でもみんな早く産めばよかったって後悔している」

説教したいだけのおっさんのみならず、本当に心配をして経験談のシェアを厭わない諸先輩方にそう言われると、「こんなこと言ってる間に手遅れになるんじゃないか」そんな気持ちだけが迅る。

ある大先輩には「キャリア女性は勢いじゃないと結婚しないし、産まないから!」と一刀両断され、あぁ爽快だなぁと圧倒された。でもそれでもその後もぐじぐじと、踏ん切りはつかないままだ。

 

冒頭の彼とのやり取りに話を戻す。

お前は結局どうしたいんだと問われ、答えた。

「一生欲しくないと決まっているわけじゃないけど、欲しい・産みたいと言い切れない」

すると彼はこう続けた。

「それはいつ決まるの?何があったら決められるの?」


「・・・わからない。」

 

「逆算して設計すれば答えが出るんじゃないの?出ないってことは、やっぱり欲しくないんじゃないの?」

 

「…欲しくない。」そう答えたら彼に別れを告げられるだろう。するとわたしは「あんなに言ってもらえたなら、彼の子どもを産んでも良かったんじゃないか」と後悔するんじゃないか。

でもわたしのことだから、そんな後悔は半年も経てば薄れ、次の恋や仕事にまい進しているという予想はつく。いつものことだ。

 

「子どもが居ない将来を想像したことが無いんだよ。」と彼は続けた。なるほどそういう考え方もあるのか…。わたしは逆に、居る未来を想像したことがない。

自分の人生にOKを出せたら、そう思えるのだろうか。いったんここまでやれたからOKだよ、今のわたしなら産めるよと、決められる日が来るのだろうか。


何が実現すればわたしは後ろ髪惹かれることなく、後悔や罪悪感を感じることなく「子どもが欲しい」と思えるのだろうか。純度100%そう思える人こそ、少ないのかもしれないけれど。

 

だけど一方でこんな気持ちがフツフツと湧き上がる。

「手遅れにはなりたくない」

わたしはいつからそんな気持ちで、ものごとを選択するようになってしまったんだ。子どもだって、そんな理由で産み落とされちゃたまったものでは無いだろう。

 

どんな状況になっても、自分自身の在り方に腹括りをし、受け容れることが大事だとわかっている。そうしないとどんな選択をしても、一生無限ループの「タラレバ地獄」だ。

 

たくさんのものを失い、選び、逃しては得て拾っては捨てる。「選ぶことは捨てること」そうやって人は人生を作っていく。

もっと言うと「選ぶことイコール捨てること」にしかならないものなんて、所詮それまでなのかもしれない。恋も、仕事も、人生も。

そんな啖呵はいくらでも切れるのに、いつまでも選択肢をあげつらうことだけを心の拠り所にして、タラレバばかり考えている。

 

「子どもなんて産むもんじゃない。」

 

母の声を背中で聞いたあの頃から、十数年経った今もこの東京で。

【感想】愛する技術は女の業を助く。『愛は技術 何度失敗しても女は幸せになれる。』

今回は先日発売された川崎貴子さんの『愛は技術』を読んだ感想をしたためたいと思う。

amzn.to

 川崎さんと言えば、ブログ「酒と泪と女と女」が大人気。

女性に特化した人材紹介業の経営者であり、仕事恋愛結婚、悩める女性たちを1万人以上フォローしてこられた、人呼んで「女のプロ」である。

 

川崎さんを存じ上げたのは、1年前にブログを拝読したことがきっかけ。

心をえぐられるようなアラサ―女性のリアルを愛のムチでビシバシ浮き彫りにされ、しかもそれが割と笑えない現実なのに、思わず他人事のように笑っちゃう面白さだ。

 

ご本人も“愛しかないけど、媚びも甘えも無い”、良い意味で本当に「ブログや著書そのまま」の方。

下記リンクでは川崎さんの特に反響のあった記事を特集されているので、ぜひご一読をお勧めしたい。

ninoya.co.jp

 

【読後感想】

さて、本題の『愛は技術』。28歳・独身OLのわたしは読者対象ど真ん中。

本の概要は、ライター・福田フクスケ氏のレビューがうまくまとめられているなぁと思うので、そちらを引用させていただこうと思う。

 

news.mynavi.jp

モテテク本や恋愛自己啓発本にすがってしまいがちな女性にこそ、手に取って欲しい本。愛されないからといって、自己反省や自己責任で自分を責めるのではなく、"自分が愛するに値する男を自分から選ぼう"と説く本書は、そのための"男の見きわめ方"をスキルやライフハック(=技術)として授けてくれるのである。
著者の川崎貴子氏は、女性のための人材コンサルティング会社の社長として辣腕を振るってきたゴリゴリのバリキャリ女性。加えて、バツイチ・子持ちの末に、8歳年下のダンサーと再婚したという波瀾万丈な経歴の持ち主だ。そんな人生経験から彼女が導き出した結論は、とにかく「自分の人生を他人マターにしない」こと…(中略)…「条件の良い完璧な相手に見初められる」「信念も価値観も相性もすべて合う運命の相手」と出会える、といったロマンチシズムもばっさりお捨てなさい、と川崎氏は喝破している。相容れないのは当たり前。大事なのは、お互いの欠損を埋め合わせ、価値観の違いをすり合わせようと努力できる男性かどうか。相手がそれに値しないとわかったら、執着や依存をせずに鮮やかにリリースするのも肝要だと言うのだ。

 

たとえば第1章では、パートナーの選び方として、「『結婚向きの男』5つの条件」というものを下記のように掲げられている。

 

「『結婚向きの男』5つの条件」

(1) 「ありがとう」「ごめんなさい」が言える
(2) 「会話力」「傾聴力」に長けている
(3) 相談力がある
(4) 心に何かの傷を持っている
(5) 情緒が安定していること

 

上記に年収や学歴などのスペックや、いわゆる「頼もしい男らしさ」が一切採用されていないのは、フクスケ氏が先述のレビューにて下記のように指摘している通りだと思う。

 

裏を返せばこうした古めかしい"男らしさ"が、これまでにいかに男女間の対等なパートナーシップを阻害してきたか、ということでもあるのだろう。

 

「『結婚向きの男』5つの条件」を挙げつつも、現時点で「5つすべての条件を満たす男性を探そう」もしくは「そんな男性に選ばれよう」なんてハナ想定していないのがこの本の大前提である。

 

コミュニケーション次第で良好なパートナーシップを築くことが出来る可能性のある男性を見極める、そして育てられる女性になることを指南している。

 

川崎さんの再婚されたお相手も、川崎さん曰く当時はほとんど当てはまっていなかったという。

連合艦隊司令長官・山本五十六さながら「やってみせ 言って聞かせて させてみせ 褒めてやらねば 人は動かじ」と呪文のように唱えながら遂行した結果、6年の歳月をかけて良好なパートナーシップを築かれたとか。

  

男性についてばかり書いてしまったけれど、わたしがこの本記事で言及したいのは上記のように「育てることのできる女になる技術」についてである。

 

男性が子どもだなんだといつまでも文句をつけるのは、「自分の幸せを他人(男性)マター」にしていることにほかならない。

そのためにはまず女性自身の自立が肝要なわけだが、第4章(P.171)に、『自分を幸せにする技術』として、以下の5つのトピックスが記載されている。

 

こじらせ女子の末路/「女を不幸にする思考」5パターン/薄情女の言い訳/「痛い女」になってしまう魔の瞬間/アラサ―の選択「大人の女道」

 

『こじらせ女子の末路』については、下記のブログ記事がベースになっており、この記事は昨年秋に、わたしが最も心をえぐられた文章である。

ninoya.co.jp

(前略)年下の友人達、特に恋愛相談に来る若いお嬢さん方は真逆。彼女達は大抵「こじらせ女子」だ。
可愛くてスタイルも良く、学歴も高いし仕事もデキる。そんな非の打ちどころのないお嬢さんにいったい何のお悩みが?と思い話を聞いていると、途中から雲行きはバンバン怪しくなり、彼女達の奇行の数々が露わになってくる。その度に、
「うわ!めんどくさっ!」
と、私は彼氏、もしくはデートのお相手男性の代わりに心の中でシャウトしている。
(中略)「こじらせ」は、恋愛、結婚市場においてはデメリットばかりなので早々に卒業をお奨めし、卒業できる方法をアドバイスさせていただいている。
何故なら「こじらせ女子」は長く患うと完治しない病だから。
若いうちに自覚し、思考パターン+行動パターンを改めないと、「こじらせおばさん」「こじらせお婆さん」と、健やかに成長を遂げてしまうからである。その生き証人が私の母だ。

 

えぐられた理由は2つ。

記事中で語られた川崎さんのお母様についての描写に、自身の母の姿を見たから。

わたし自身が20数年、目の当たりにしてきた、「こじらせてしまった女性」が孤独を極めていくさまそのものだった。

 

そしてもうひとつは、わたし自身に流れるその血脈が年々色濃いものになっているという、うっすらとした自覚が確信として突きつけられたからだ。

 

低い自己肯定感と高いプライド、せき止めようにもダダ漏れる支配的で独善的な性格。

頼まれもしないのに、強がりと自虐で塗り固めた鎧をまとう一方で、心の内戦・少女性を垣間見せるという救われたがりの幼稚さ。

 

わたしはいつの間に、こんな風に「痛い自我」が固まってしまったのだろうか。自らの行く末を思い、途方にくれてしまった。

 

川崎さんはこうも語っている。

現代女性は多様な生き方を選べる訳だが、その選択を迫られる時期が結構早いという事、そして、個人の社会的能力に関係なく、選択によっては人生がドラスティックに変わっていく事、などが男性とは未だ決定的に違う。

自分の選択を信じ、捨てた他の道を振り返らず、果敢に生きていけたらそれは幸せな事だ。しかし現実は、自分が捨てた他の道を幸せに生きている女性達の姿ばかりが目につく。
特に、選択した道が上手く行かなくなったり、体調がすぐれなかったり、孤独にさいなまれたり、そんな「魔の時」に、ある女達は「痛い女」に変貌を遂げる。
痛い女の何が悪いと、思う人もいるだろう。でも、周囲に迷惑をかけるだけじゃなく、その「痛み」は本人に何十倍にもなって帰ってくる。そして、痛い女は更に孤立し、もっと痛い結末へと自分を導いていくのだ。

 

『愛は技術』の根底には、その根本にある女性の「自己肯定感」についての思想が流れている(「母親の呪縛~自己肯定できない女たち」P.214)。

 

自己肯定感を持ち幸せに生きるためにどうすればよいだろうか。

最近はそのアンサーとして「ありのまま生きる」的な論調がもてはやされるが、川崎さんは必ずしもそういう論調を是としていないように思う。

 

わたしが冒頭で川崎さんの執筆されたものを良い意味で「甘え」がないと評したのは、こういうところでお茶を濁さない、甘やかさないからだ。

 

むしろ幸せに生きるためには、コントロールしなければならないことの方が多い。

内からせりあがってくる苦しみや辛さをありのまま発露することではないし、逆に身に降りかかる辛苦を、いたずらに我慢したりするのでもない。

 

特に川崎さんが指摘するように、「キャリア系女性」や真面目な女性ほど、我慢してはならないところで持ち前のガッツや強い責任感で自身を犠牲にし、その反動で時に独善的な甘えが露呈したり、ぷっつり糸が切れるところがある。

 

わたしはそれを当人の気質が劣っているのはなく、人よりも理想と根性を持つ特性と、普段厳しく甘えられない環境に身を置いているという結果の裏面だと思う。

 

本書ではそんなキャリア系女性が「ダメんずという事故物件を引き受けてしまう件」「イイトシした男の母親代わりになってしまう件」などの「あるある現象」もフォローが行き届いている。(第2章『愛しい男を育てる技術』「男をだめにするキャリア女性たち」)

 

【大人には「大人の女道」】第4章『アラサ―の選択「大人の女道』にこんな記述がある。

一歳でも若く居たいという女性自意識から逆行するかもしれませんが、ライフステージに何かとリミットがある女性側が、とっとと腹を括って大人化した方が圧倒的に合理的なのです。

ninoya.co.jp

 

この記事を最初に読んだとき個人的には、「選ばれる客体からの脱却を目指し、愛され女子HOW TOをむりやりマネしようとすることと、大人の女になるための痩せガマンは根本的に何が違うのだろう?」という疑問と窮屈さを感じてしまった。

 

その疑問は今回『愛は技術』を読んで腹落ちした。

人間にとっての幸せは、究極「人を愛し、愛されること」であり、その手綱を握る主体が誰であるかが重要だと理解したからだ。

 

誰もが「幸せになりたい」と思う。しかしどれだけの人が「自分の幸せ」に対して腹を括れているだろうか?

 

川崎さんは本著で「自分の人生を他人マターにするな」(=だから「白馬に乗った理想通りの男性を待つのではなく、愛する技術を身に付け、愛する人・自分自身を育む」ことや、そのためのキャリアアップが必要)という主張を一貫してされている。 

 

人は一時の感情や脳内ホルモンに翻弄され、「不幸せ方面」に流されやすい。

 

しかし選択肢と迷いの多い女人生の岐路に居ても、自分自身の手綱をしっかりと握りしめていれば、例え一度や二度方向を間違えたとしても、必ず幸せになれるというのがこの本のメインメッセージではないだろうか。

 

あとがきにこんな一文がある。

 

「「何度失敗しても大丈夫。幸せになれるよ。だって女だし!」というメッセージをひとりでも多くの女性たちに届けられるように、私自身も失敗を恐れずチャレンジし続け、これからも「女の生き様」を刻み続けたいと思っております。」(『愛は技術』P.247)  

 

いつの間にか「女子」ではなくなっていたアラサ―世代。

 

歳下からは「アラサ―になりたくない」と思われ、上から見たら「まだまだ経験不足」とみなされるのかもしれない。

だけどその妙を味わいながら、「大人の女の人生」を歩みはじめるのも悪くないな、そう思わせてくれる一冊だと思う。

 

アラサーOL徒然日誌

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早朝に目をさまし、二度寝したら仕事でやらかす夢をみた。よくない夢のせいで、低血圧の身体がいっそう重い。ふらふらと起きて、代謝を上げるために白湯を飲むべく、机上のティファールをにらみつけ、携帯で時間を確かめる。毎朝まいあさ、湯も沸かせない時間まで起きれない自分がうらめしい。枕元の飲みかけのペットボトルに手を伸ばしてなんとか目を覚ます。

タンスの引き出しを開け、ねじれた黒いかたまりの中から、生地をつまんで確かめ、ひとつ選ぶ。裏起毛のタイツは、数年以上前から市場に出回っていたのだろうか。

涙袋製造シャドウや国籍不明のカラコン、矯正下着。しかるべき世代のアンテナにしかヒットしない「奥の手商品」というものがある。

一昨年までは、80デニールのタイツにも抵抗があった。加齢とは、媚びや気まずさに開き直りが勝つことなのか。いま手にしている裏起毛のタイツは150デニール、50デニールの実に3倍。開き直った後の加速は誰にも止められない。

電車待ちの間、駅の自販機でホットのお茶を買い、カイロ代わりにするのが日課だ。乗りこんだ電車では、目の前のシートに座る8人中7人がスマホを見ていた。これじゃ交通広告も商売あがったりだわなと週刊誌の中吊りを見やると、かつてはよくCMで見かけたタレントが袋とじになっていた。あっという間だったな…。手のひらの中の液体はもうぬるくなっていた。 

 

始業時間、気配を消してデスクに滑り込む。昨日の自分が残タスクを殴り書きしたポストイットが解読できずに、ひそかに2秒停止する。昨日のわたしがうらめしい。

時計はいつの間にかもう14時を回っていて、取りそびれたランチをコンビニで調達しようと財布を持ってフロアを出た。なかなか来ないエレベーターを待っている間、2年半前に別れた元彼の結婚がふと頭をよぎる。

エレベーターがやっと来るも、混みあっていたので、見送る。こういう時は無理やり乗ってもわざわざ止まらせたくせに見送っても、どちらにしろ気まずい。

目の前に来たタイミングで乗らないと、またしばらく待たなければならないのは、何事も同じなのだろう。そして乗り過ごせば乗り過ごすほど「気長に待ちさえすれば、いつか乗れるだろう」と横着に構えてしまう。
先週末とある会で「女性の生き方指南」のような本を何冊も出している著名人に、「あなたは頭でいろいろ考えすぎなのよ。」と言われたことを思い出す。

目の前に座っていたわたしより2つほど上の、髪をきれいにアッシュに染めた主婦が言った。「プライドが高いんですかねー。」「そうね、ごちゃごちゃ理屈並べて、足がすくんでんのよ。」

 

ショーケースに並んだ炭酸水に手を伸ばす。きっと今日も帰りは遅くなる。

すこし前、大学時代の後輩が「恋愛と結婚は別ものとわかってるけど、結婚向きの人を好きになれない。」とこぼした。すると既婚者の先輩が「結婚に夢見すぎじゃないの」と言った。後輩は一瞬表情をこわばらせた。

みんな、自分の生き方を肯定したい。自分の生き方を肯定しようとして、ほかのだれかの芽を意識的・無意識的につもうとしてしまう。ぺしゃんこにしてしまう。

店内を回遊するも、目ぼしい商品がはけてしまったランチ後のこの時間に特段惹かれるものもなく、ブロッコリーとタコのサラダに手を伸ばす。アンチョビで和えたら、どんな組み合わせもなんとかなるのだろう。何が「マリアージュ」になるのかなんて、食べてみなければわからない。それはそうなのだけど。

フロアに戻りメールを起動すると、同期の退職報告のメールが届いていた。女はいつも迷っているようで、腹を決めてからは周りがついていけないほど行動が早い。同期間でお互いの近況報告が続くが、わたしの近況・・・はなんだろう。返信を打つ手が止まったまま、メールを閉じる。

 

夕方から夜まで、後輩から立て続けに仕事の相談を受けた。独善的で説教臭くて高圧的。そういう自分をさいきんよく見かける気がする。昔、同性の先輩がイラついている時「あぁはなりたくないよね」と言ってる子がいた。「だって怖いじゃん。」その一言が頭をよぎる。

「怖い。」「疲れてるね。」という言葉ほど、働く女を傷つける言葉はないと思う。そんな自分が嫌で、でも止められない。誰か止めてと思う一方で、誰にも気づかれないで欲しいと願う。頑張りすぎる、マジメすぎる、主観や正義感が強すぎる。女が仕事に躓く時、実は「足りない」なんてことは少なくて、なんでも「すぎる」時が多い。 「女」というより、わたしの場合だけかもしれないけど。上手にやってる人も居る。あの頃の自分の視線が痛い。

 

春雨スープとお菓子を夕飯代わりにして、やっとひとり落ち着いてもくもくと仕事を片付ける。今日も、明日の自分にポストイットに希望を託す。こうやって社会の債務は先送りされているのだ。これにて本日閉店、失礼します。

ビールが飲みたいけど、今日は昼間の炭酸水の残りでがまんする。

 

ツンとする夜の冷たさ。通り過ぎる、28の冬。寄り道したコンビニで、今朝中吊り広告に載っていた、袋とじの見出しを見つける。ほとんど見かけなくなっていた彼女は、この数年どんな日々を過ごしていたのだろう。

年中真夏な男性週刊誌の表紙と比べて、女性ファッション誌の踊るような季節感。可愛いけれどどこか垢抜けなくて男性受けの強かった印象の石原さとみが、こんなに複数の女性誌の表紙を飾るなんて、時代はわからないなぁと思いつつパラパラめくる。

「女の人はやっぱり恋をしていなきゃ。」芸能人が女性誌のインタビューでそう答えるのは、業界ルールのひとつかなにかなのだろうか。

 そういえばあのアッシュの髪色の主婦は、今でも旦那に恋してときめいてると言っていた。自分から猛アタックして付き合い、結婚出産に至ったそうだ。結婚後も、はたして恋をするものなのだろうかと気になって、婦人公論の表紙を見ると、今月の特集は『大人の恋 運命の引き寄せ方』だった。やはり、先のことはわからない。

それよりも何よりも、石原さとみも美容と健康のために白湯を常飲していることを知った。やっぱり白湯なのだ。明日の朝こそ白湯を飲んでやると、ひとり決意を固め、帰宅する。

 

帰宅後風呂を沸かし、あたたかい湯船に顔をうずめる。きょう一日の自分の言動を振り返る。 

 「あなた傷ついたって言うけど、私の方がもっと傷ついてるんだからね。」

 あの作家の女性がその後に続けようとした言葉が、「だから人生にもっと飛び込め」なのか「だからつべこべわかったようなことを言うな」なのかはわからない。だけど、こうやって自己憐憫にまみれるくらいなら、頭でっかちで足がすくむくらいなら、飛び込んでいった方がいいのだろう。

・・・さっき雑誌で見た、石原さとみが履いていたようなシフォンスカートの鮮やかさが浮かんだ。 女の季節は、巡り続ける。 去年よりひとつ歳を重ねたわたしにも、春はもうすぐやってくる。春には、肩の凝らないGジャンに、去年よりもすこしだけ丈の長い春色のスカートを合わせて出かけたい。

「快」に生きる。

友人の小野美由紀ちゃん@MiUKi_None(https://twitter.com/MiUKi_None)が、この度処女作となるエッセイ集を出版した。

 

傷口から人生。 メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった (幻冬舎文庫)
傷口から人生。 メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった (幻冬舎文庫)

 

  • 作者: 小野美由紀
  • 発売日: 2015/02/10
  • メディア: 文庫

内容はこれからゆっくり読ませていただくので、読後感想はしたためられないのだけど、彼女が処女作の発売に寄せたブログ記事誰かを恨んだり、不幸を人のせいにしないためには、好きなように生きるしかない。ー「傷口から人生。」発売によせて | None.がとても素晴らしかったので、久々にブログを書こうと思った次第。

わたしの独断で、刺さりまくった箇所を勝手に抜粋させていただきます。

 

この本を通して私が書きたかったのは、「他人や社会を恨まないためにも、自分の好きに生きたほうがいいよ」という事だ。
「あなたがもし、自分のことを「イケてない」と感じているならば、それは他人や社会を恨んでいるからだ」という事を突きつけたくて、この本を書いた。
「他人を許さないと幸せになれないよ」とか「親を愛さないと自分も愛せないよ」とか言うことは、「親なんて許さなくていいんですよ!!」と激怒することと、正反対に見えて全く一緒だと思う。
人生の中の、「誰かのせいで好きに生きれないなあ、しんどいなあ」という部分を解決しようとフォーカスするのではなく、「自分の好きに生きる」領域を、少しずつ、押し広げてゆくことが有効なんじゃないかと思う。“どうにもならない今の時点”の中で、「自分の好きな事、快適にいられること」を押し広げてゆく。本当に、1ミリ1ミリでいいから。
だから、今、何かが上手くいかなくて、苦しかったりもやもやしたり、自責感に苛まれている人は、安心してほしい。無理に、元気を出す必要もない。もやもやした人生を、ただ、快なるままに過ごすだけでいいと思う。誰にどう思われるか、他人に迷惑をかけていないか、社会的にどうかなど気にせずに、ただ、すこしずつ、一個一個の不快のスイッチを、快に切り替える作業に淡々と励めばいいと思う。そうしているうちに、人生が自分をどこかに運んでくれる、ということがある。

以下、(美由紀ちゃんの意図と相違があったら申し訳ないのだけど)自分の感じたことを書きます。


わたしは美由紀ちゃんのこの文章を読んだ時、「(自由な)大人の生き方とはこのことだなぁ」と思った。


というのも、幼少期・思春期に「子どもは居場所を選べないから不自由だなぁ」というようなことを考えていたわたしは、どこかで「大人になる=年々自由になること」だと置いていた。 


なのにここ数年、自分に対して、そして他人に対して、不自由を強いていることをうっすら自覚していたのである。


過去の手痛い失敗を恐れ、臆病になった。

過ちを繰り返さないように、手遅れにならないように、要因や傾向を言語化したはいいものの、頭でっかちで理屈っぽく抑圧的になってしまった。

そしてそんな自分を肯定したいあまり、他人にも威圧的になっていった。

さらにそれが回り回って、いつしか社会にうっすら怒り、妬んでいたのではないかと思う。


例えば、「早く結婚しないと売れ残っちゃうよ」「子どもは早く産まないと後悔するよ」と焦らす世間。

そんな「世間」に憤慨しつつ、自由に生きる歳上の人を横目に「ここまで貫く勇気はない」「手遅れになるのが怖い」と、自分は未だセーフゾーンに居るのだと慰めていた。

所詮若さと勢いだけで生きてきたのだろうか。

「無知故の自信と意志」というコンパスをなくし、道に迷うスカスカになったスポンジは、そんな幾多の情報を摂取して、あっという間に情報デブ、チキンな耳年増になった。

「誰も彼も転ばぬ先の杖話ばかりでうんざりだ!」と辟易する一方で、実際には誰よりも不安を感じていたし、自由に振る舞う人たちのこともそれはそれで妬んでいたように思う。

自分の人生を生きやすくする「経験」や「知識」という杖を得たつもりが、その杖に引きずられるように振り回されていた。

選んだものに腹を括ることを考えず、「何を選ぶべきか」ばかり迷っていた。



 

 

そんな「自分自身への抑圧」を考える際に、わたしは自分の母のことを思わずにはいられない。

 


母の狂気 - アラサーOLクソ日誌。

 

わたしの母は、幼少期から学校や親を恨み「わたしは辛いことがあってもひとりで耐えてきた」「やりたいことはたくさんあったけど、そのせいで出来なかったの」が口癖だった。


ここ数年歳を重ねるごとに、そんな母とカオが似てくることに気づく。


自己謙遜する時の卑屈な笑顔、批判された時の憤り方。

ハタから眺める自分は、母とよく似ていて、低い自己肯定と高いプライドがこじれた、泣き顔とドヤ顔が混じったような、行き場をなくした表情をしている。

母と同じ縄が、わたしにもかかっていたことに気付く。母がかけた縄もあるけれど、わたし自身がかけたものもある。


その縄をほどこうと必死になればなるほど、縄は固く結ばれ、わたしは途方にくれた。


しかし、美由紀ちゃんの記事を読んで、わたしがするべきことは躍起になって縄をほどこうとすることではないんだ、と思った。


母が少しでも快く生きることが、結果子どもに大きな影響を与えるように、自分が心地よく生きることが、自身自身を育む。


わたしが最も記憶に焼き付いている母の姿は、母が父と離婚後、欺瞞や抑圧から解放され自由に過ごしていた頃だ。


母が外に働きに出たのはその時期で、一緒に過ごした時間が最も少ない時期のはずなのに、その頃の母が一番美しく印象深く残っている。

母がのびのびと快く生きている、それだけで心が軽くなり、前向きになれた。


自分の母親の話ばかりしてしまったけれど、このことは親子関係だけでなく、自分自身との関係、夫婦や恋人、職場での関係も当てはまる気がしている。


自分に正論を強いること、我慢すること、理解したフリをすること、大人ぶること、諦めること。

その負荷は他人へのそれとつながる。


自分に課しているその重いバーベルの重量は、必ず他者にとっても重しになっている。


美由紀ちゃんの書いているように、「自分の好きなこと、快適にいられることを1ミリずつでもいいから押しひろげ」、「快」のスイッチに切り替えていけば、その縄は少しずつゆるゆるとほどけるかもしれない。


息継ぎなしのクロールや不自然なバタフライを続けなくても、ゆるい平泳ぎをするように、ここちよい方を見つめ、一見流されるようにゆるゆると泳いでいけばいいのかもしれない。

 

通勤電車の中で彼女の記事を読みつつふと窓に目をやると、窓に映る自分が去年より少しだけ老けた気がした。



「自分がより自分らしく居れる」という愛

こんなことあまり大っぴらに言うことじゃないが、わたしは結婚式が苦手である。長時間の着席に凝り性末期の身体が耐えられない。さらに自意識過剰なゆえにその演出にこちらまでとても恥ずかしくなってしまうのだ。家族で観る恋愛ドラマみたいなものである。

唯一「ご両親へのお手紙朗読」コーナーは安心して顔を上げて拝聴出来るが、まともに内容を覚えていないような我々が拝聴する必要はなく、親子親族間でめっこり振り返りをしてもらえば済む話だとも思っている。

だいたい、結婚する時は「日頃の感謝を云々」「未熟な私どもに今後もご指導ご鞭撻を」と言っておきながら、離婚時には「二人で決めたことなので」と言うのはなんなのだろうか。だったらハナから他人を巻き込まず、二人きりで始めてほしいものである。
・・・と、もうここまで読んでいただいた時点で、読んでくださった方の半数強に軽蔑されてる気がする。 

だがしかし昨日は、大学時代に愛した後輩のひとりが結婚するというので、迷いに迷って断ることが出来ず、人生で数回目の披露宴に馳せ参じた次第である。 結果、柄にもなく、目頭が熱くなってしまった。

何故かと言えば、5,6年ぶりに再会した後輩である新婦が、彼女が私と出会った18歳の頃のまま、いやそれ以上に無邪気に愛されていることが伝わったからである。 

彼女とは大学のサークルの先輩・後輩として出会った。私の所属するサークルの新入生歓迎コンパに、天然記念物と見まがう天真爛漫さで乗り込んできた九州女子だった。

コンパ会場の居酒屋で他の新入生女子が当たり障りなく先輩たちと盛り上がってる中、何故か居酒屋の畳で突然スライディングをかまし始めた彼女。だいぶ昔に言われた「痩せたら香里奈に似てる」という冗談を間に受け、18時以降は麦茶しか飲まないダイエットを実践していた彼女。

そんな彼女を「逸材だ」と思い「キミはいいね!」と口説きまくった。

他の新入生コンパでも浮いていただろう彼女は、その時目をうるうるさせながら懐いてくれた。そんな無邪気すぎるほど無邪気で、明るくて正直でそしてなによりひとに対し惜しみなく心を尽くす子だった。

そしてそれゆえに誤解されたり、傷つくことも数多くあっただろう。わたしはそんな彼女を自分がかけられるすべての言葉を尽くして、肯定したいと思った。 それは彼女の明るさと無邪気さに、当時の自分が誰より救われていたからである。

そんな彼女と彼女の旦那になった彼の馴れ初めは、エピソードによると新卒の入社同期とのこと。急接近のきっかけは、新婦が誕生日に近所の居酒屋でひとりで飲んでいた(泣ける)ところに、偶然今までまともに会話したことのなかった新郎が同期友人と同じ店に訪れ、彼女は今日はわたしの誕生日だと彼らを巻き込んだらしい。このエピソードもなんだかとことん、彼女らしい。 

彼女を愛しそうに見つめる新郎に嬉しくなり、写真撮影の際に「いい人に出会ったんだね」と声をかけると、彼女は「こんなわたしを好きになってくれた人が居ました~!!」と目をうるうるさせながら言った。

そんなの、当たり前じゃんか(号泣)。

一部始終、あんなにニコニコ心から無邪気に笑ったり、感情のままに涙したり、時に目の前の食事に食い意地を見せる自由な花嫁を初めて見た。

そんな様子を見ながら、私はこの記事のことを思った。

「愛とは、誰かのおかげで自分を愛せるようになること」 芥川賞作家・平野啓一郎氏が説く"自己愛"の正体 | ログミー[o_O]

「愛とは誰かのことを好きになることだ」。この定義自体はもちろん間違っていませんが、今僕が付け加えたいのは、愛とはむしろ「他者のおかげで自分を愛することができるようになることだ」と、そういうふうに考えてみたいと思います。

あの人の前でなら自分は思いっきりリラックスして、素直になれて、いろんなことをさらけ出せる。他の人の前では決してできない。

不幸にして、人間の関係には終わりが来ることがあります。喧嘩別れしてしまうこともあれば、死別してしまうこともあるかもしれません。誰かを失ってしまう悲しみはもちろん、その人の声が聞けない、その人と抱擁できない、いろいろなことがあると思いますが、もう一方で、「その人の前でだけ生きられていた自分を、もう生きることができない」という寂しさがあるのではないでしょうか。

あんなに自由にいろんなことをしゃべれたのはあの人の前だけだった。あんなに素直になれたのはあの人の前だけだった。あんなに馬鹿なことをしてあんなにくだらないことをできたのはあの人の前だけだった。

その人がいなくなってしまって、自分はもう、好きだった自分を生きることができない。それが別れの悲しみなんじゃないでしょうか。

逆ももちろん真なんです。僕は誰かから「あなたのことを愛してます」と言われれば、有頂天になりますね。「やったー!」と。しかし、誰かから「あなたのおかげで自分のことを好きになれた」と告白されたなら、あるいは「他の誰といる時よりもあなたといる時の自分が好き」と告白されたなら、それはなにかもっと胸に迫ってくるものがある気がします。

自分の存在がそんなふうに他者の存在を肯定させているんだということには、なにか感動的な喜びがあります。人間はそんなふうに、好きな自分っていうのを一つ見つけるごとに、生きていくための足場というのができていくんでしょう。

私が今回何よりも嬉しかったのは、彼女が歳を重ねても、精神的に不自由になることなく、むしろ新郎から愛されることにより、さらに自由に彼女らしくなっていることだ。

そして式の間も、「自分を貫いて」「自分らしく!」と、至る場所でメッセージしていた彼女。それは彼女自身の半生の試行錯誤や葛藤が紡ぎ出した答えなのだろう。

その答えを強固な足場の一つとして、これからも夫婦を超え、家族を超え、世の中の多くの人に、その底抜けに明るい笑顔をたくさんの人に見せてほしいと願ってしまう。 

 

老若男女、お金や権力の有無、外見や立場や才能にかかわらず「どんな人からも受け入れられ、愛される人」なんてどこにも居ない。みんな心のどこかで拒まれることを恐れ、受け入れられることを願っている。そのうえでさらに「居心地の良い自分」「自分のことが好きな自分」で居させてくれる人は、ほんの一握りだ。

だからこそ、愛とは特別で、人を自由にするものなのだと思う。ありのままの自分で愛し愛される関係を築いたことで心から自由になった彼女。このうえないほど、本当に美しく、晴れやかで伸びやかな花嫁だった。

 

紅葉、あと何度。

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週末、京都に紅葉を観に行った。
 
行く先々紅葉はとうにピークを過ぎていて、かろうじて残る葉を愛でる程度だったが、良い旅だった。
 
 
 
京都に行くと、両親の学生時代に思いを馳せてしまう。
それがわたしが唯一知っている二人についての話だからだ。
 
 
僅かに残る、紅々と色づいた葉を眺めながら、三十年前の二人を思う。
 
 
周囲に分かり合える人が居なかった同郷の二人が、それぞれ大学進学時に片田舎を脱出するかのように下宿先を京都に選び、そこで出会った。
 
 
本を読み、意見を交わすことを何よりも好んだ母は、大学院で哲学を専攻していた父と話すことが楽しくて仕方がなかったらしい。
友人を持たない母が、楽しく話が出来る唯一の相手だったそうだ。
 
 
その後、父が家庭の事情で希望していた研究者の道に進めなかったこと、子どもが産まれた後の互いへの失望や誤解の数々を経て、二人の仲は修復不可能なまでに拗れた。
 
 
最期まで顔を合わせることなく、分かり合えない二人だった。
 
父が亡くなってからも、母はたまに思い出したように愚痴をこぼすだけで、父の話を滅多にしなかった。
 
 
そんな母が、この間ふと漏らした。
 
 
「パパは旦那や父親としては好きになれなかったけど、価値観は合ったし人間的には面白い人だったから、最近本を読むとお父さんに話しかけるの」と。
 
 
「死が二人をあの頃に戻したのね…」と一瞬思ったけれど、自分の都合の良さを棚に上げて、他人の軽薄さと大げさを嫌がる父母なので、「マジか。」とだけ呟いた。
 
 
特に父は世間の軽薄さを忌み嫌っており、わたしが中学生の頃によく、TVで「天国へのメッセージ」なんかを読み上げる番組を観ていると、「死んだ後に、伝えられることなど何もない。生きている者の気休めと傲慢だ。」と毒づき、茶の間を白けさせた。
 
そしてその二年後に、亡くなった。
 
 
 
カップルが並ぶ鴨川を横目で見ながら、ふと「しかし心の中は自由だ」と思った。
 
 死んだ人を生きてるかのように想うことも、別れた人と再会したかのように話しかけることも出来る。
失った人に、懐かしさや愛しさを感じることも出来る。
 
そこに何を見い出そうとも、他人が口を出すことは野暮というものである。
 
 
だけども、あの鴨川沿いに仲睦まじく並ぶカップルたちのように、互いの気持ちを伝えあうことは、もう出来ない。
わたしにとっての「死」や「別離」の残酷さはそれだ。
 
はらりと朽ちた葉が、流されていった。
 
 
四十九歳の若さで亡くなった父は、母と四度、京都の紅葉を眺めた。
 
 わたしが五十まで生きた場合、紅葉を楽しむことができるのはあと二十二回。
 七十まで生きられたとしても、あと四十回ちょっとである。
 
 
そして母は、恐らくあと十五回ほどだ。
 
 
紅々と色付いた、数少ないもみじの葉を見つめながら、母のことを思った。
 
 
 
 

「幸せの要件定義」

最近お悩み相談的なやり取りさせて頂くことがあるのだが、みんなとても頭の回転が早く、美しい人ばかりだ。

 

言葉選びや気遣いから垣間見える、その思慮深さを目の当たりにするにつけ、今までの人生、たくさんのことを考えてきたんだなぁ…

というよりも、考えざるを得ない状況を乗り越えてきたんだろうなぁと、(馴れ馴れしくて申し訳ないけれども)、愛おしさを感じ、涙ぐむ。

 

 何の役に立てるわけでもないのだけど、そういった思いに駆られてしまう。 

 

それは彼女たちの言葉の節々に、自分自身と同じように、自己肯定感の低さ・がんじがらめになった高いプライドを感じるからだ。

そしてその向こうに「救われたい」気持ちが垣間見えるように思うのは、自意識過剰だろうか。

思慮深いからこそ、あからさまに甘えたりできなくて、それが「(特定の異性に)救われたい病」「(ありのまま)報われたい病」になってそれがダダ漏れているように感じる。 

わたしはここ最近、そんな生きづらさを抱えたわたしと彼女たちが「生きやすくなる」出口はあるのかと思案していた。

 

そのきっかけになったのが、敬愛する川崎貴子さんの以下のブログ記事である。

こじらせ女子の末路 | @ninoya_blog


<以下一部抜粋>

私の友人達(アラフォー以降)は、女性特有のめんどくささが無い。
決断が早くロジカルで、悩みがあっても自分自身で整理することが得意な人が比較的多い。皆、例えストレスが溜まっても、「ガハハハ!と笑いながら山賊みたいに酒を浴びて終了。」というタイプなのだが、年下の友人達、特に恋愛相談に来る若いお嬢さん方は真逆。彼女達は大抵「こじらせ女子」だ。

可愛くてスタイルも良く、学歴も高いし仕事もデキる。そんな非の打ちどころのないお嬢さんにいったい何のお悩みが?と思い話を聞いていると、途中から雲行きはバンバン怪しくなり、彼女達の奇行の数々が露わになってくる。その度に、「うわ!めんどくさっ!」と、私は彼氏、もしくはデートのお相手男性の代わりに心の中でシャウトしている。

シャウトしながらも私は、彼女達の事が実はとても好きなのだと自覚している。
…(中略)…ま、今生私に好かれても何のメリットも無いし、「こじらせ」は、恋愛、結婚市場においてはデメリットばかりなので早々に卒業をお奨めし、卒業できる方法をアドバイスさせていただいている。

 

何故なら「こじらせ女子」は長く患うと完治しない病だから。

若いうちに自覚し、思考パターン+行動パターンを改めないと、「こじらせおばさん」「こじらせお婆さん」と、健やかに成長を遂げてしまうからである。

 

この記事には川崎さんのお母様が永遠のこじらせ少女で、その反面教師論が綴られている。

同じように『永遠のメルヘンサイキッカー』の母

母の狂気 - アラサーOLクソ日誌。

を持つわたしとしては、これを拝読した時、突き上げるような痛みと衝撃を感じた。

スマホの画面に夢中になるあまり、はずみでウォシュレットを「最強」にしたからだけではない。

 

「"こじらせ"は、そろそろ概念として一周した感がある」とは友人談だが、「若いうちに自覚し、思考パターン+行動パターンを改める」有効性(年取ってからじゃ遅い)は不変だ。

 

恋愛や結婚に限った話ではなく、長い人生全般に言える話である。

既婚・未婚、彼氏の有無、仕事の有無や職種が「幸せ」を決めるわけじゃ、もちろんない。

だからこそ、「自分の欲しいもの」「抱えなくていいもの」を明確にすることが大事なのである。

 

「幸せになる」ために必要なことはなぜか?

それはまず「幸せの要件定義」をすること、である。

幸せになりたいのに「なれない」のは、

「自分が幸せな状態の要件定義」が出来ておらず、

「(目の前の感情に都度流されるから)目的意識が弱く」、

「正しい努力が出来ていないから」、その一択である。

 


実はそういう女性に足りないのは、日頃「スペックで男選びすぎ」とか「Ca●Cam系にはなれないわ~w」とバカにしているような、いわゆる「ゆるふわ女子」のその「目的意識の強さ」なのだ。

そういう女子たちは「自分が何を欲していて」「何が無いと生きられなくて」をよく知っている。

 

そうなれないのは、キャリア女性にありがちな「選択肢の多さ」が問題ではない。

だったらキャリア女性全員が路頭に迷ってる。

 

問題は「自分が幸せな状態」を素直にイメージできていないことだ。

自分の頭の中にないものを、そりゃ実現できるわけがない。

 

「モテないわけじゃないんです」

「結婚はしたいけど、恋の仕方を忘れた」

「結婚したいのに、する気がない男とズルズル…」

「つまらない結婚ならしたくない」(じゃあ貴女にとって楽しい結婚ってどんなの?)

「専業主婦は嫌だけど、このまま男性化して働くのはちょっと…」

 

 

たとえば、不特定多数の男と寝まくる女が居たとする。

彼女が「世界中のイイ男とヤリたい」という目的意識の下に実行しているとしたら、それは敬意を表すべき目的達成意識もしくはミス・トレジャーハンターだが、「本当は特定の彼氏や旦那に愛されたいのに、寂しさに流されて」だとしたら、その打ち手は「不毛の極み」と言うほかない。

幸せの要件定義、目的意識、そのための正しい打ち手とはそういうことだ。

 

もっというと「要件定義を明確にする」ためには、自分に対して上記のような、あぁだこうだと不要なエクスキューズや、不当な要求をしないことである。

そのためには「今の自分に対して腹を括る」ことだ。

前述の目的意識の強いビッチがもし、「付き合う前に寝たら、本命になれないって言うし…」なんて言い出したら、国会で議員が全会一致で議席からズッコケるくらいのドリフ感である。

永田町に激震が走るとはこのことである(違。

 

そういうタイプが、なぜシンプルに要件定義が出来ないのかと言うと、「自分の感情を抱きしめ過ぎている」からだ。そしてその感情によって、目的意識が流される。

どんな感情も、美しくてもったいなくて抱きしめちゃう。

 それは幼い過去や普段、いろんなことを理解したふりをして自分の感情を抑え付けて来たからかもしれない。

「自分を分かってる」という自己認知があったり、「キミは分かっているね」と他人に言われて、なおさらそこにすがりついて離れられないのかもしれない。

 

不要なプライドや意地は、捨てるのはムリでも、出来るだけうまく散らして付き合って行こう。

自分自身を「救う」ことと、自分にすがりついて生きることは別物だから。

 

自分の幸せを要件定義し、腹括りをし、そして依頼心を抜け出した者だけが、前述のミス・トレジャーハンターになれる。

ビッチにはなりたくなくても、「目的意識を持つ」者だけが、見る者に爽快感すら感じさせるような、「幸せ」を味わえるのだ。

 

 

自分を「許す」ための「憎む」強さ

最近「大人になる」ってことをよく考えるのだけど、世の中で使われる「大人」ってイコール「他人を許せる人」って文脈が多いなぁと思う。
ひどい親も、支配しようとする異性も、自分が「大人」になって許しましょうと。許す対象はいつも「他者」だ。だけどわたしは、大人とは「自分を許し、そのためにはまず他人を静かに憎む決断も辞さない人」ではないかと最近思う。
「他者を本質的に許すには自分を許さなければ」という話はよく言われるものの、じゃあまず自分を許すためには何が必要なのかということはほぼ語られていないように思う。
わたしはその解のひとつとして、「他者を憎みきる」ということが必要な気がしているのだ。
 
 常々、世間では「他者を許すこと」は成熟と受け取られ、「他者を憎む」は、未熟さと受け取られがちである。「他者への憎しみ」が「悪」と捉えられ理由として、「憎しみは連鎖するから」と言われることが多いが、「健全に」憎みきった時、それは本当に連鎖するのだろうか。
むしろ憎みきれずに、自分を責めたり、自己正当化したり、同情や救いを求めようとすると、その渇望感や満たされない時の失望がエスカレートし「恨み」へとつながる可能性だってある。
その意味で人生の大きな苦しみのひとつは、親を憎むことだと思う。それは容易に「憎みきれない」から。親が開けた心の穴が、その子どもを何かしらの形で生き辛くしている時。心に巣食うその存在に手をかけて殺めようとするけれど、その対象が自分の親そのものであり、そしてそれが既に自分自身になってしまっていることに気付く。こんなにも憎んでいるはずなのに、むしろ憎むべきであるのに、どうしようもなく愛している。すがりついてしまう。その苦しさは、周囲の想像をはるかに超えているのではないか。実際にわたしは親族にそういう思いを抱える人が居るのだが、彼女の苦しみはわたしには一生かけても理解しきれないと思う。

 

他者を「許す」「憎む」ことが出来るのは、ある意味自分以外の誰か、何かのせいに出来てるからだ。だから「他者を許す」なんてことは世の中で言われてる程、特別美しいことでもなんでもなくて、そうすれば生きやすくなるという手段でしかないという考え方は出来ないか。
その意味では「許す」ことも「憎む」こともさほど変わらないように思う。
そもそも「憎んでしまう」「憎んでも憎みきれない」「恨んでしまう」と自覚のある人は、本当は他人のせいになんてしてなくて、むしろ自分自身を責め過ぎている場合が多いんじゃないかと思う。だから、もう自分を許して欲しい。そしてそのためには親だってなんだって憎んで欲しいと思う。他者を許すなんて、いつだって良いのだから。
 
他者を許したくなれば許せばいいし、憎みたければ憎みきったらいい。「憎みきる」と言うのは、「許せない自分はダメなんじゃないか」なんて思わず、「どうしたって無理」と総括することである。出来れば口に出して何百回何千回、何万回でも。
憎みきってしまえば、歳月を経て自分の中で昇華されていく。いつか「許せる」時が訪れたら許してもいいし、許さなくてもなんの問題も無い。
 「自分を許そう」ということは、気休めなんかではなく、むしろ大変に難しいことだと思う。
だからこそ人が弱さを抱えつつも負の連鎖を断ち切り、立ち上がろうとする姿は美しく、後に続く同じ思いを抱えた人は何よりも励まされ、救われるのだろう。
他者を「許す」ことも「憎む」ことも、自分自身の浄化である。わたしが言っても説得力がなく力不足ではあるけれど、わたしはそんな人を全力で肯定したいと思う。
 

母の狂気

唐突だけど、わたしの小中学生の頃のコンプレックスは
1.長女である
2.くせ毛
3.母親が変(ヘン)
ということだった。
 
今となっては自他ともに認める「病的なシスコン」の私だが、片田舎で過ごす小中学校時代は兄や姉が欲しくて仕方がなかった。
というのも、当時のコミュニティは「あいつのバックには○○さんがついてるぜ」的な不良版スネ夫、マイルドヤンキーど真ん中の会話が日常茶飯事。
有力な姉、兄が居ないというのは、生まれながらにしての権力差、損をしたような気分だった。友人の垢抜けたヤンキーのお姉さんを見る度に、「あたしもあんなカッコイイおねいさんが居たらなぁぁぁ!」と思ったものである。
しかしそんなチーマーのはしくれ的悩み、長年のコンプレックスであった頑固で残念なくせ毛問題よりなにより、母親の破壊力は偉大であった。
 
うちは三姉妹だったので、男の子が欲しいばかりに、里親制度でもらって来たオス猫に勝手に「ペニ」と名付ける。妹が大事にしているクマのぬいぐるみに勝手に「ポコ」と名付ける。
クリスマスのプレゼントが置いてあるのはなぜか毎年12月26日の朝、しかも包みには「サンタクロースママより」という母親に酷似した謎の筆跡。物心つく前から、既にわたしたち姉妹はサンタの正体を知らされていた。
さらに、毎夕食の「いただきます」や、入学式や卒業式の写真撮影を、日をまたいで2回ずつやり直しさせられたり、母親の嫌いな色や文字や数字は、決して口にしてはいけないなど、絶対的不文律が存在した。
お察しの通り、母親はなかなかの強迫神経症である。
 
自分の名前が嫌いな母親は、芸歴も犯罪歴も無いはずなのにいくつかの名前を操っていた。
美容室や化粧品カウンターなど、いろんなところから見知らぬ女性の名前のダイレクトメールが郵便受けによく入っていて、「お母さん、今度は○○になったんだ…。」と、なんとも言えない気持ちになっていた。
ちなみにわたしたち姉妹は、母親の年齢を未だに知らされていない。学校などに書類を出す際も、その部分は見てはいけなかったので、母親の年齢が記載された最終的な書類は、三姉妹誰も見ていない。外見から察するに、推定50代か60代であるが、真相はわからない。未だに毎年誕生日には「(何歳になったかわからないけれど)誕生日おめでとう」と伝えるのみである。
母親はおっとりアニメ声なので、何も知らない他所の家からは「本当に穏やかなお母さんね」とたびたび言われた。が、わたしのヤンキーの友人たちからは「あの子の母親はマジで変わってる」と一目を置かれていた、その実どんなヤンキーも黙る天下無敵の絶対君主ハハジョンイルであった。
父親と別居後はさらにドライブがかかり、娘は誰もそう呼んでないのに、自分のことを「ママ」と呼ぶ、世間知らずでお嬢上がりのメルヘンサイキッカーの母親が次何を言い出すかと、娘たちは日々戦々恐々であった。
 
そんな母が、ある日を境に踊り狂うようになった。
突然の物音に驚いて、自室の2階から台所に降りると、母親がラジカセ(古)でプリンスをかけ、シャウトしていた。
その日から、来る日も来る日も包丁やおたまを持ったまま腰をひねりまくり、洗濯物を振り回しまくり、娘が自宅の固定電話で電話していても容赦無くボリュームをあげて踊りまくる、
わたしの友人を同乗させた車の中でも、ヘビメタの地下ライブの最前列にいるかのごとく、BGMに合わせて頭をガックンガックン前後に振りながら運転していた。友だちの顔を申し訳なくのぞくと、やはり青ざめていたが、「ママ、音楽に反応しちゃって止まらないのよねぇ。」。そう言って来る日も来る日も踊り続けていた。
 
子どもたちにとって最も恐るべきは、そんな母親の奇行が友人にバレることであり、その際たるタイミングが運動会である。
友人が居る場や子どもの運動会でも踊り狂う母を「ここはラテンの国じゃないから!(涙)」と小学生の妹たちは泣いて嫌がったのに対し、中学生になっていたわたしは日々の自分の素行の悪さに後ろめたさを感じて、無抵抗に受け入れることでそのバーターを画策した卑怯者であった。
「ママが楽しいと思えることなんてこれだけなのよ」と言いながら、踊り狂う母の姿を目の端で捉えながら「シュールだなぁ…」と食卓に並んだ夕食に、もそもそと箸をすすめた。
 
中学2年生のある日の夕方、当時親に内緒で付き合っていた髪がオレンジ色のヤンキー彼氏と、近所のショッピングセンターをぶらついていた。飲み物か何かを買いに売り場をうろついていたら、Jポップのインストを死ねるほどチープにした有線にノッて踊る人の姿があった。
 
一瞬で母だと確信し、来た道を一目散に逆走するわたしを不思議に思って、わたしの名前を呼ぶ彼氏。呼ぶんじゃねぇクソがと横目で牽制するも、時すでに遅し。後ろから母親の怒声が聞こえる。「あんた目立つんだから、悪いこと出来ないんだからね!」
ショッピングセンターで、異様に目立つ母を先に発見したのはわたしである・・・。
 
それから半年、離婚や父の死など家庭内でたくさんのゴタゴタがあり、母親は狂気を使い果したかのように消耗していった。そしていつしか、「気付いたら母親が踊り狂う」ことは無くなった。
その後田舎から別の地に移り住み、子は親元を離れ、母はいつのまにか「他所の家から見たまんま」の本当に穏やかな母親になっていった。
自分の歳を気にしたり、よく昔の話をするようになった。毎年ひと回りずつ小さくなったように感じる母の姿に、ハハジョンイルの面影はもう微塵も感じられなくなっていった。
 
先日、中学時代に通った塾の恩師と、わたしたち三姉妹で14年ぶりの再会を祝して居酒屋で飲んでいた。昔話にひとしきり花を咲かせた後、妹たちがさみしそうな顔で言った。
「お母さん、踊らなくなったじゃん。踊ってた時は本当に嫌で泣いてたんだけど、今になって思うと、何で嫌がったんだろう、もっと自由に踊ってって言えたらよかったって最近思うんだよね。」
「うん、今なら思いきり踊ってって思うよ。」 
 
すかさず「いや、じゅうぶん自由に踊ってたから大丈夫」と言いそうになったけれど、妹たちの言葉にはそれ以上の思いがあるんだと理解した。本当に心の優しい妹たちである…(シスコン)。
 
その夜母親から電話がかかってきた。用件が終わり、電話を切ろうとする時、今日のことを話そうか、と一瞬考えた。
「お母さんってさ…」
「なぁ〜に?」(アニメ声)
最近、踊ってるの?と聞こうとしたけど、思いが先行するあまり恥ずかしく緊張して、適当に話題を変えて、電話を切った。
 
昔、わたしが友人関係で悩んでると、母は決まってこう言った。「ママは友だちがひとりも居たことがないから、誰にも相談したことないし、ずーっとそうやってきたのよ。そんなくだらないことで悩んだことない。」
当時は、「親としてそんなアドバイスあるかよ」と思っていたけれど、母が「母」になった時には彼女の中ですでに大きな傷があって、わたしたちにはどうすることもできなかった。そしてその傷をなぞるように、年々神経症を悪化させ、懸命に生きる母を、わたしたちは見ていた。
波乱万丈の母の半生。叶わなかった夢、思うようにいかなかった結婚生活。娘三人をひとりで育てるプレッシャー。飼い猫に変な名前をつけるのも、狂ったように踊りまくるのも、全部母親の「狂気の発露」だったんだ。
もちろん「満たされない思いを、踊り狂うことで発散させていた」だけではない。そんなちんけな話じゃないよね、母が踊り狂う時のあの光悦の表情を忘れない。
 
最近よく思う。自分の中に狂気を持っていること、それはとても強く美しいことなのだと。平凡とか非凡とかの話ではない。変えようとしても変えられない。誰もが内側に秘めている「その人たらしめている理由」。
 
そして「自分という狂気に耐える」「自分ひとりでその狂気と向き合う、追求する」その苦しさと難しさを思う。喜びや悲しみ、寂しさ、懐かしさという思念を、人はなかやか自分ひとりで抱きしめることが出来ない。それどころか、今はそれをエサのようにSNSに撒きちらかし、共感や承認を集めようとしている。
そんな「ねぇねぇ聞いてよ!」という行為が、ありふれた日常になった今。自分ひとりで自分という、人生という「狂気」と向き合い、発露し、耐えようとすることは決して容易でないことを知る。
 
母親の狂気は、誰にも理解されないけれど、とても尊く美しいものだと、娘は思っているよ。
何をやってもいいから、あの頃のように自分の狂気を救いあげて、自信満々に突き進んで欲しい。どうか、自分にため息をつかないで。
 
だけど、その狂気だって、気力と体力があってこそ。狂気は有限なのだ。だから、そんな娘のワガママを今さら伝えない方がいいのかもしれないと思って、今日の電話でも何も言えなかった。
 

「愛されていない自分」の正体は自分の被害者意識

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要らぬ焼きもちを焼いたり、不安から相手を不要に疑ってしまったり、「軽んじられてるんじゃないか」とイライラしたり、人間関係のいざこざは自分自身の被害者意識から起こることがある。

「愛されてない」「必要とされていない。」

「大切にされていない。」「わかってもらえない。」

増長した被害者意識はもはや自分の手にはおえず、相手に「そうじゃない」と言って欲しくて、必死に弁解して欲しくて、不安のままに不信感や猜疑心をぶつけてしまう。自己肯定感の低さを相手に埋めてもらおうとする。

確かめたくて怒らせたり、困らせたり、それでも許して欲しいと願ったり。自己肯定の低さから派生した依頼心が「本当は愛してくれていた」「必要としてくれていた」人を傷つける。そしてその結果、取り返しのつかないことになる。相手の心に確かに在ったはずの自分、相手が向けていてくれたまなざしに、失って気付く。

「愛されてない自分」「思われていない自分」は、そのたいがいが実態のない、自分が作り出したおばけである。

「思われていない自分」というおばけの正体は、自分の被害者意識かもしれない。そのおばけを怖がって騒いでるのは自分だけで、ほかの人には見えないのだ。

相手が不安にさせる素振りを見せたから?自分自身にトラウマがあるから?そう思わせる要因もあったかもしれないけれど、それは単なるきっかけに過ぎず、いつも自分の中にいたおばけが出てきたに過ぎない。

自分の被害者意識を癒すためなら、大切な人だって困らせることの出来る貪欲さ、いやしさ、そしてたくましさよ。

もちろん、自分の中のおばけに振り回されることもあるだろう。そんなおばけを作り出してしまうのにはそれ相応の背景があったのだと思うし、おそらくそれ自体は当人に非があるとも言えない気がする。きっと「気づいたら、もうそうなっていた」はずだから。

だけど出来るだけ、自分を想ってくれているかもしれない人に、笑顔を向けよう。相手の言葉をかみしめて、満たされよう。

元々はあなたが原因で作り出してしまったわけでもないおばけに、今のあなたが振り回されるのはバカらしい。被害者意識は自分も相手も深く傷つけてしまう。失ってからじゃ、もう遅いから。

 

 

女が泣く理由

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 彼女は、悲しいときでもハッピーになる方法を知っていたの。

それって大切じゃない?
She was a girl who knew how to be happy even when she was sad.
And that’s important—you know

 

えぇこと言うなぁ…マリリン。

唐突ですがよく「男は女の涙がキライ、面倒」と言われるけど、それは何故なのだろうか。

わたしはその理由のひとつとして、男性は女性が泣くと「泣かしてる俺は悪者」に感じて自分を責め、その罪悪感がお手上げ感・面倒くささに繋がるんじゃないかと思っている。

「いつも泣かしてる=この女を俺は幸せに出来ない=この女では俺が幸せになれない」と。

これって、泣いてる本人からしたら「え?あなただから泣けるんです」って思うかもしれないのだけど、泣いた本人よりも泣かれた相手の方が後に残るダメージが大きく、そのダメージは消化されないまま刷り込まれていく。

実際に泣いてる時間の長さや頻度は関係なく、相手が「いつも泣かせてる」と感じればもうそれは確定事項となる。「泣く」を「怒る」「笑う」にしても同じことが言える。

ひとが、近しいひとを嫌だと感じる時は、だいたい相手を「面倒」もしくは「卑怯だ」と感じ始めた時。そしてひとが一度感じはじめたものを、他人はそう簡単には払拭出来なない。

だからわたしは声を大にして言いたい。  「いいから、一瞬でも多く笑っとけ」と。

「接客じゃあるまいし、いつも女がニコニコしてなきゃいけないの?」と言いたくなる気持ちもよぉくわかるが、逆に言うと女の人の笑顔の力をみくびっちゃぁいけません。

それでも泣いた泣かれたの話が絶えない世の中。その理由はこの二点なのではないかと思う。

①相手に泣いて訴えようとしている、満たされない欲や解決出来ない課題がある

 ②涙を流すことでリラックスホルモンのセロトニンを出したいから

そもそも泣いてる女子は、彼の言葉尻を捉えたり、態度を非難して、場当たり的・衝動的に泣いてるようでいて、その根元的な理由・目的って大体いつも一緒なのではないかと思う。

「安心したい」とか「早く結婚して欲しい」とか「自分の優先度が低い」とか「元カノが気になる」とか、不安・焦り・劣等感など、なにかひとつ特定の満たされない思いが根っこにあって、そこから派生してるだけではないだろうか。

だから本人が「どうしてわたしはいつも同じことを…」とか、彼が「コイツまた泣いたよ」とか思うんですけど、それはその根本の課題や思いが満たされてないというそもそもの根っこが解決されてないから。

その解決にはお互いの認識を言葉でをすり合わせることが必要なのだけど、そんな感情発散モードの時に要件すり合わせなんてほとんどの人は出来ない。出来るなら最初から悩んでない。だけど、言葉による認識すり合わせは大事だから心が安定している時にやるべきだと思う。

 そして感情発散モードの時は「理性的に、認識をすり合わせる」ことは無理でも、「この突発的に流してる涙は目的に対し効力がない。むしろマイナス。」と自覚することは大事だと思う。

そう自覚するとなんかもうバカバカしくなって、「泣いてるのもったいねーや」って思えて来ないだろうか。女の人は現実的だから。

目的達成するどころか、予期せぬタイミングで振られたりなんかしたら、泣くに泣けないじゃないか。

ちなみに友だちは「そういう時は日高屋のカウンターでひとりで餃子とビールでちびちびやりながら美容家・神崎恵の本を読んで心を落ち着ける」って言ってた。すげぇアンビバレンス。でもすごい努力。

泣いた後スッキリした経験のある人もいると思うけれど、涙を流すと頭頂部のツボが開きセロトニンが分泌されるので、涙を流すことにはリラックス効果があるらしい。特に疲れたり、緊張状態の後に涙が出やすいのは、脳が「やべぇ、セロトニン出さなきゃ」と思うから。

特に、疲れてたりすると、誰かと会話してても言わなくてもいいこと言ったり、無駄に感情的になりがち。セロトニン欠乏状態でコミュニケーションしてもいいこと何もないので、彼とのデート前には泣ける映画や動画でも観て涙を流してスッキリしておくことをオススメって書いても誰もやらないと思うけれど、忙しい時こそ涙を流してガス抜きするのは健康にいいみたいだよ!

結局他人と付き合いを続けることって【自分自身との付き合い方を知り、身につけること】なんだと改めて思う。その付き合い方を覚えることが、相手と自分を幸せにすることなんだなぁと。

マリリンを見習って、自分をごきげんにする方法を、スマホのメモ帳にでも書いておこう。

 

『嫁ニモイケズ』

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嫁ニモイケズ

 
妥協モデキズ


友達ノキョリカンモツカメズ


常ニ幸セニナリタイト叫ンデイル


独リ身ニナレバオチツキタイトネガイ


イタライタデ恋ガシタイトノタマウ



キズヲオッテモ全クコリズ


自分ヲカエリミルコトモナク


常ニヒトノ話ヲキカズ


ネタニハシッテイル。


Facebookノ投稿ハリア充ナノニ


「ヨイ報告」ハ未ダニデキズ



SATC臭ヲ醸シダシ


シュールナネタト自虐ヲ肴ニ


爆笑シナガラ酒ヲ飲ム



ソウイウアラサーニ



ワタシハナリタイ。



作:にゃんきちったー@3年前の25歳の誕生日を翌月に控えた晩秋に。