しまずあいみのぽんこつ日誌

~アラフォーになったのでタイトル変えました~

感想:二村ヒトシ著『なぜあなたは愛してくれない人」を好きになるのか』

二村ヒトシさんの著書『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』を読んだ(文庫改訂版の前の単行本名は『恋とセックスで幸せになる秘密』)。

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特に印象に残ったのは、巻末の対談の中での二村さんの発言。 

「女の人の心の穴に、タッチ・アンド・ゴーじゃないですけど入っといて逃げ出すみたいなことを繰り返す、僕自身の心の穴というものがありまして…(中略)…時間が経つと冷たくなるんです…(中略)…で、僕には常に女性に怒られているっていう感覚があるわけです」

「プライベートでは女性の感情が憎くなる。責められると逃げ出したくなるし、僕自身が感情を揺さぶられることに耐えられなくなるんですよね。罪悪感と自分を守りたいという気持ちが同時にあって」(信田さんとの対談の中で)

 「俺を苦しめないでね、菩薩(※のような女性)なんだから、苦しめるはずがないよねって予防線を張ってるんだもんなぁ」(あとがき)

 

相手の心の中に入っては、ピューッと逃げていく恋愛ピンポンダッシュである。

 

 「好きだ」「会いたい」の連絡で期待させてきたかと思えば、徐々に連絡が取れなくなったり、そっけなくなったり。関係を持った途端に、フェードアウトされたり。

「回避性」の特性を持つ男性の行動パターンである。

 

人は一度心をタッチされてそっぽ向かれると、途端に執着しちゃう。

だから不安になって連絡してしまうのだけど、追えば追うほど相手は逃げる。

 

追う方はいつの間にか「相手を追う権利・責める権利」があるみたいな被害者意識を、持ってしまう。

責めたり恨んで追いかけてる間は、あの人の心の中に自分の居場所が少しでも残ってるような気がして。「相手を責める権利」だけが二人を最後繋いでいるような気がして。

 

「傷つけられた」と怒るのだけど、その怒りの原因は「自分が望むことを相手がしてくれない」という期待からの落胆か「自分が嫌がることをされる」という被害者意識である。

相手からすれば「なぜそこまで責められるのかわからず」、その温度差が余計に争いを生んでしまうのだ。

巻末の信田さんとの対談中でも触れられているけど、二村さんは心底では「男性が勝手をしたり傷つけてきても、女性はどっしり構えていればいい」と期待する気持ちがあることを吐露している。

 

女性からすると「心をなくせ」と無理ゲーを強いられてるのだが…。

だけど、女性が書いた女性向けのコラムでも、この手の説はよく出てくる。「遊び人の最後の女は、どっしり構えたビックマザー理論」である。

 

対談相手の信田さんの言葉を借りれば、男性が女性に対して「菩薩」や「母性」を求めるのは、実は男性の深層心理にある、「理想の女性像に執着して、そうでない女性を見下し、その理想の女性像の中に、逃げ込んでいるから」だと言う。 

 

 男や恋愛なんかで右往左往しない、自分をなんでも許して受け入れてくれる、母親のような理想の女性像。それは男性が理想とする「かつての母親の姿、もしくは母親にあってもらいたかった姿」である。

 

男が女に愛情を抱いていない場合、男の目の前の「感情の揺れ動くわたし」は、男の後ろめたさや罪悪感、面倒臭さを誘発するものでしかないのだ。

さらに不幸なことに、女はその「男が面倒臭さを感じている」ことを察して、自分を責めたり我慢してしまうようになると言う苦しさ…。

 

二村さんは、「恋は ”相手の心の穴” が ”自分の心の穴” に作用してはじまるもの。

わたしたちは相手の心にあいたひとつの穴を見て、好きになったり嫌いになったりしている」と言う。

 

無邪気で自由でやんちゃな彼に惹かれて好きになって、彼の奔放さに振り回されて嫌いになる。愛情深い彼女に惹かれて付き合ったのに、その気持ちが重たくなって逃げてしまう。真面目で穏やかな彼を好きになったのに、刺激が足りないと飽きてしまう。

 

ひとつの心の穴を、左から見て恋をして、そして右から見て嫌いになっている。

そして恋の最後には、「彼は最初そうじゃなかった、わたしがうまく駆け引きすればまたあの頃に戻れるはず」とか「彼女は変わってしまった」と被害者意識を持つ。

一つの穴から始まった恋が、一周しただけなのに。

 

二村さんは「恋が愛へと変化しない場合は、全ての恋は必ず終わる。しかし恋よりも愛の方が何倍も気持ち良いものである」と言う。相手の心の穴を認め、赦し合い、肯定し合うことが愛なのだそうだ。

  

だけどそれがわかっていながら、なぜ人は懲りずに何度も「愛してくれない人を好きになる」のだろう。

 

人は「心の穴と穴」が引っかかることで、恋がはじまる。

そして恋愛初期の快楽の海に、溺れる。

快楽の潮が引いた後、「心の穴」の存在や形に向き合い、お互い受容し合うことができれば、「恋」は「愛」へと変わっていく。

しかし多くの場合は、「自分の望むように相手が振る舞ってくれない」と感じるようになる。「恋している側」は被害者意識を持ち、「恋されている側」は、罪悪感や後ろめたさを感じるようになる。依存したり執着したり逃げたり、憎んだり憎まれるようになる。

 

そうやってその恋を「破滅へと幕引き」してしまうからなのだろう。