しまずあいみのぽんこつ日誌

~アラフォーになったのでタイトル変えました~

辛い恋の続け方・終わらせ方

恋愛が「辛く苦しい」ケースに本人が陥った時、周囲に相談するとほぼ99%の確率で「やめときなよ」ってなるじゃないですか。

相談者のことを大事に思ってくれてる人ほど、イバラの道を進もうとするその姿を見て「今すぐやめとけ」「ほかに合う人はいっぱいいる!」って反対してくれる(一部の人は“面白がって”行くとこまで行け、と言うけど) 。

ただ、それで諦められたら苦労しないんすよね。聞けるならひとのアドバイスを聞いた方が絶対にいいんだけど…。

ただわたし自身は、ハタから見たら身をすり減らすような不毛かつ無謀な挑戦であっても、自分の感情の「ほんの一滴、たったの1ml」を大事にしようと決めた上での行動なら、行くところまで行けば良いと思ってるんです。

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 先日、行きつけの整体師さんと深夜施術中に脳内ホルモンの話をしていて、話していたのが『一滴・1ml追求論』。

今どんなに苦しい恋愛をしていても、ほんの一滴、たった1ミリでも「幸せだな、楽しいな」と心の底から思えるのであれば(=幸せ脳内麻薬が分泌されるのであれば)まだ好きでいてもいいんじゃないの、という自論です。 

それは「たかだか一滴、たったの1mlが人間に与える影響は、想像以上に大きい」から。

たとえば人間が「嬉しい」「幸せ」と感じる時は、脳内で興奮ホルモンのドーパミンや、幸せホルモンのセロトニンが分泌されているのだけど、 人に幸福・快楽をもたらす幸せホルモンの量なんて、大きなプールに一滴くらいの量なのだそうです。その「たかだか一滴」が人間の「美味しい・楽しい・気持ち良い・嬉しい」を作り出す。

整体で言えば、体の不調を引きおこす要因の骨格のズレや歪みも、元々はたった1mmのズレなのだそう。

わたしはそれを聞いて、「たかだか一滴」、「たったの1ml」が人間に与える影響は、想像以上に大きく、尊いと思ったんです。

頭ではわかってても、どうしても一滴、たった1ミリが諦められない恋愛をしているなら、徹底的に限界までやり抜くのもひとつ。

もちろんそれと引き換えになるものはあるだろうけれど、幸不幸や損得は自分で決めるものだから、自分で決めたならやり抜けば良い。

「自分を信じる」ということは「いざとなったらわたしは自分でシャッターを下ろせる」という覚悟を持つこと。周りを巻き込まず、自分のケツ拭く覚悟があるのなら、すべてを終わりにするのは、シャッターを下ろす時で良い。

他人からは「愚か者だなぁ」と笑われるかもしれないけれど、「好きなうちは止められない」。もちろん自制心や自己防衛力でコントロール出来るならそうすれば良いけど、「出来るならやってる」となるような出来事は、長い女の人生、人生一度や二度起こる人には起こる。

そして自分で幕を引く瞬間は、思いっきり白くて鮮やかな、大きな白旗をあげてやろう。大きな白旗は、また次に海に出た時に力強い帆となって、風を受けて次の航路へと導いてくれる。敗北を認めたら、撤退を決めたら、悩まない。「あの時間、経験が無駄だったかどうか」なんて考えても仕方ない。そんなこと考えてる時間が一番無駄だ。

自分の人生の出来事に意味付けするのは自分自身だし、人生の答え合せはあの世に逝きがてらやれば良い。

本気の恋をすると、人は誰かに傷つけられるんじゃない。頭ではわかっていながらも、自分で自分を傷つけるのだ。

だから被害者意識や恨みつらみそねみは、持ち越し禁止。自分を選ばない男に傷なんて付けさせてどうするのだとわたしは思う。

自分の心に本気でつけた傷は、女の勲章である。それが女の甲斐性だわたしは思う。