しまずあいみのぽんこつ日誌

~アラフォーになったのでタイトル変えました~

「幸せの要件定義」

最近お悩み相談的なやり取りさせて頂くことがあるのだが、みんなとても頭の回転が早く、美しい人ばかりだ。

 

言葉選びや気遣いから垣間見える、その思慮深さを目の当たりにするにつけ、今までの人生、たくさんのことを考えてきたんだなぁ…

というよりも、考えざるを得ない状況を乗り越えてきたんだろうなぁと、(馴れ馴れしくて申し訳ないけれども)、愛おしさを感じ、涙ぐむ。

 

 何の役に立てるわけでもないのだけど、そういった思いに駆られてしまう。 

 

それは彼女たちの言葉の節々に、自分自身と同じように、自己肯定感の低さ・がんじがらめになった高いプライドを感じるからだ。

そしてその向こうに「救われたい」気持ちが垣間見えるように思うのは、自意識過剰だろうか。

思慮深いからこそ、あからさまに甘えたりできなくて、それが「(特定の異性に)救われたい病」「(ありのまま)報われたい病」になってそれがダダ漏れているように感じる。 

わたしはここ最近、そんな生きづらさを抱えたわたしと彼女たちが「生きやすくなる」出口はあるのかと思案していた。

 

そのきっかけになったのが、敬愛する川崎貴子さんの以下のブログ記事である。

こじらせ女子の末路 | @ninoya_blog


<以下一部抜粋>

私の友人達(アラフォー以降)は、女性特有のめんどくささが無い。
決断が早くロジカルで、悩みがあっても自分自身で整理することが得意な人が比較的多い。皆、例えストレスが溜まっても、「ガハハハ!と笑いながら山賊みたいに酒を浴びて終了。」というタイプなのだが、年下の友人達、特に恋愛相談に来る若いお嬢さん方は真逆。彼女達は大抵「こじらせ女子」だ。

可愛くてスタイルも良く、学歴も高いし仕事もデキる。そんな非の打ちどころのないお嬢さんにいったい何のお悩みが?と思い話を聞いていると、途中から雲行きはバンバン怪しくなり、彼女達の奇行の数々が露わになってくる。その度に、「うわ!めんどくさっ!」と、私は彼氏、もしくはデートのお相手男性の代わりに心の中でシャウトしている。

シャウトしながらも私は、彼女達の事が実はとても好きなのだと自覚している。
…(中略)…ま、今生私に好かれても何のメリットも無いし、「こじらせ」は、恋愛、結婚市場においてはデメリットばかりなので早々に卒業をお奨めし、卒業できる方法をアドバイスさせていただいている。

 

何故なら「こじらせ女子」は長く患うと完治しない病だから。

若いうちに自覚し、思考パターン+行動パターンを改めないと、「こじらせおばさん」「こじらせお婆さん」と、健やかに成長を遂げてしまうからである。

 

この記事には川崎さんのお母様が永遠のこじらせ少女で、その反面教師論が綴られている。

同じように『永遠のメルヘンサイキッカー』の母

母の狂気 - アラサーOLクソ日誌。

を持つわたしとしては、これを拝読した時、突き上げるような痛みと衝撃を感じた。

スマホの画面に夢中になるあまり、はずみでウォシュレットを「最強」にしたからだけではない。

 

「"こじらせ"は、そろそろ概念として一周した感がある」とは友人談だが、「若いうちに自覚し、思考パターン+行動パターンを改める」有効性(年取ってからじゃ遅い)は不変だ。

 

恋愛や結婚に限った話ではなく、長い人生全般に言える話である。

既婚・未婚、彼氏の有無、仕事の有無や職種が「幸せ」を決めるわけじゃ、もちろんない。

だからこそ、「自分の欲しいもの」「抱えなくていいもの」を明確にすることが大事なのである。

 

「幸せになる」ために必要なことはなぜか?

それはまず「幸せの要件定義」をすること、である。

幸せになりたいのに「なれない」のは、

「自分が幸せな状態の要件定義」が出来ておらず、

「(目の前の感情に都度流されるから)目的意識が弱く」、

「正しい努力が出来ていないから」、その一択である。

 


実はそういう女性に足りないのは、日頃「スペックで男選びすぎ」とか「Ca●Cam系にはなれないわ~w」とバカにしているような、いわゆる「ゆるふわ女子」のその「目的意識の強さ」なのだ。

そういう女子たちは「自分が何を欲していて」「何が無いと生きられなくて」をよく知っている。

 

そうなれないのは、キャリア女性にありがちな「選択肢の多さ」が問題ではない。

だったらキャリア女性全員が路頭に迷ってる。

 

問題は「自分が幸せな状態」を素直にイメージできていないことだ。

自分の頭の中にないものを、そりゃ実現できるわけがない。

 

「モテないわけじゃないんです」

「結婚はしたいけど、恋の仕方を忘れた」

「結婚したいのに、する気がない男とズルズル…」

「つまらない結婚ならしたくない」(じゃあ貴女にとって楽しい結婚ってどんなの?)

「専業主婦は嫌だけど、このまま男性化して働くのはちょっと…」

 

 

たとえば、不特定多数の男と寝まくる女が居たとする。

彼女が「世界中のイイ男とヤリたい」という目的意識の下に実行しているとしたら、それは敬意を表すべき目的達成意識もしくはミス・トレジャーハンターだが、「本当は特定の彼氏や旦那に愛されたいのに、寂しさに流されて」だとしたら、その打ち手は「不毛の極み」と言うほかない。

幸せの要件定義、目的意識、そのための正しい打ち手とはそういうことだ。

 

もっというと「要件定義を明確にする」ためには、自分に対して上記のような、あぁだこうだと不要なエクスキューズや、不当な要求をしないことである。

そのためには「今の自分に対して腹を括る」ことだ。

前述の目的意識の強いビッチがもし、「付き合う前に寝たら、本命になれないって言うし…」なんて言い出したら、国会で議員が全会一致で議席からズッコケるくらいのドリフ感である。

永田町に激震が走るとはこのことである(違。

 

そういうタイプが、なぜシンプルに要件定義が出来ないのかと言うと、「自分の感情を抱きしめ過ぎている」からだ。そしてその感情によって、目的意識が流される。

どんな感情も、美しくてもったいなくて抱きしめちゃう。

 それは幼い過去や普段、いろんなことを理解したふりをして自分の感情を抑え付けて来たからかもしれない。

「自分を分かってる」という自己認知があったり、「キミは分かっているね」と他人に言われて、なおさらそこにすがりついて離れられないのかもしれない。

 

不要なプライドや意地は、捨てるのはムリでも、出来るだけうまく散らして付き合って行こう。

自分自身を「救う」ことと、自分にすがりついて生きることは別物だから。

 

自分の幸せを要件定義し、腹括りをし、そして依頼心を抜け出した者だけが、前述のミス・トレジャーハンターになれる。

ビッチにはなりたくなくても、「目的意識を持つ」者だけが、見る者に爽快感すら感じさせるような、「幸せ」を味わえるのだ。