しまずあいみのぽんこつ日誌

~アラフォーになったのでタイトル変えました~

紅葉、あと何度。

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週末、京都に紅葉を観に行った。
 
行く先々紅葉はとうにピークを過ぎていて、かろうじて残る葉を愛でる程度だったが、良い旅だった。
 
 
 
京都に行くと、両親の学生時代に思いを馳せてしまう。
それがわたしが唯一知っている二人についての話だからだ。
 
 
僅かに残る、紅々と色づいた葉を眺めながら、三十年前の二人を思う。
 
 
周囲に分かり合える人が居なかった同郷の二人が、それぞれ大学進学時に片田舎を脱出するかのように下宿先を京都に選び、そこで出会った。
 
 
本を読み、意見を交わすことを何よりも好んだ母は、大学院で哲学を専攻していた父と話すことが楽しくて仕方がなかったらしい。
友人を持たない母が、楽しく話が出来る唯一の相手だったそうだ。
 
 
その後、父が家庭の事情で希望していた研究者の道に進めなかったこと、子どもが産まれた後の互いへの失望や誤解の数々を経て、二人の仲は修復不可能なまでに拗れた。
 
 
最期まで顔を合わせることなく、分かり合えない二人だった。
 
父が亡くなってからも、母はたまに思い出したように愚痴をこぼすだけで、父の話を滅多にしなかった。
 
 
そんな母が、この間ふと漏らした。
 
 
「パパは旦那や父親としては好きになれなかったけど、価値観は合ったし人間的には面白い人だったから、最近本を読むとお父さんに話しかけるの」と。
 
 
「死が二人をあの頃に戻したのね…」と一瞬思ったけれど、自分の都合の良さを棚に上げて、他人の軽薄さと大げさを嫌がる父母なので、「マジか。」とだけ呟いた。
 
 
特に父は世間の軽薄さを忌み嫌っており、わたしが中学生の頃によく、TVで「天国へのメッセージ」なんかを読み上げる番組を観ていると、「死んだ後に、伝えられることなど何もない。生きている者の気休めと傲慢だ。」と毒づき、茶の間を白けさせた。
 
そしてその二年後に、亡くなった。
 
 
 
カップルが並ぶ鴨川を横目で見ながら、ふと「しかし心の中は自由だ」と思った。
 
 死んだ人を生きてるかのように想うことも、別れた人と再会したかのように話しかけることも出来る。
失った人に、懐かしさや愛しさを感じることも出来る。
 
そこに何を見い出そうとも、他人が口を出すことは野暮というものである。
 
 
だけども、あの鴨川沿いに仲睦まじく並ぶカップルたちのように、互いの気持ちを伝えあうことは、もう出来ない。
わたしにとっての「死」や「別離」の残酷さはそれだ。
 
はらりと朽ちた葉が、流されていった。
 
 
四十九歳の若さで亡くなった父は、母と四度、京都の紅葉を眺めた。
 
 わたしが五十まで生きた場合、紅葉を楽しむことができるのはあと二十二回。
 七十まで生きられたとしても、あと四十回ちょっとである。
 
 
そして母は、恐らくあと十五回ほどだ。
 
 
紅々と色付いた、数少ないもみじの葉を見つめながら、母のことを思った。