しまずあいみのぽんこつ日誌

~アラフォーになったのでタイトル変えました~

愛を残す生き方

会社の昼休み、小林麻央さんの訃報を知った。

「幼いお子さんを残して、辛いだろうなぁ・・・」「このような若すぎる死は、防げないのだろうか」と、様々な思いが頭をよぎりにわかに感傷的になった。

なんとなく卑しいのではないかと自分でも思うのだけれど、つい反射的に他人の死に学ぼうとしてしまうところがある。翻って自分はどう生きるべきなのか、考えてしまう。

 「日々を丁寧に、大事に生きるべきだ。」
同じように訃報にショックを受けた同世代の女性たちも、様々な想いをSNSに投稿していた。

「日々を丁寧に、大事に生きる」。その言葉にケチをつけるつもりは全くないのだけれど、それがどういうことか、自分自身にはなんとなく実感が持てなかった。
何をしていても思考や感情の一部が明後日の方向に飛んでしまう自分は、なかなかその瞬間や時間を大事にするということが出来ていない気がする。

「小さな幸せを大事にする」「今日が最期の日だと思って生きる」なんてことを決意してもすぐ毎日をうだうだと流すように生きてしまう。だからってそれが「雑に生きてる」ことにはならないとは思うけど。
それでもこうやって感傷的になる以上に、わたしがいま感じるべき何かがある気がする。それが何であるのかと思考を巡らせた。

 

そもそも考えてみると、彼女は自分のたった4つ上、34歳という若さでたくさんのことを成し遂げたのである。
学生時代から生き馬の目を抜くような芸能界で頭角を現し、20代前半で第一線で活躍するトップランナーになり、20代後半には潔い決断を下し新しい世界に飛び込み、34歳の若さで世間に影響を与えた。
芸能人で、梨園の妻で、そして若くして闘病生活を強いられたというストーリー以上のものを、彼女は力を振り絞るようにさらにさらに紡ぎ出していった。

そんな折に彼女のBBCへの寄稿文を読んで、わたしは彼女の「最期」以上に、彼女の「生き方」に学ぼうと思った。

がんと闘病の小林麻央さん、BBCに寄稿 「色どり豊かな人生」 - BBCニュース

2年前、32歳の時に、私は乳癌であることを宣告されました。娘は3歳、息子はまだ1歳でした。

「治療をして癌が治れば、元の自分に戻れるのだから、大丈夫!」と思っていました。

けれど、そんなに簡単ではありませんでした。

今も、私の身体は、がんと共にあります。

私は、テレビに出る仕事をしていました。

病のイメージをもたれることや弱い姿を見せることには「怖れ」がありました。

なので、当時、私は病気を隠すことを選びました。

隠れるように病院へ通い、周囲に知られないよう人との交流を断ち、生活するようになっていきました。

1年8か月、そんな毎日を続けていたある日、

緩和ケアの先生の言葉が、私の心を変えてくれました。

「がんの陰に隠れないで!」

私は気がつきました。

元の自分に戻りたいと思っていながら、

私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とはかけ離れた自分になってしまっていたことに。

何かの罰で病気になったわけでもないのに、私は自分自身を責め、それまでと同じように生活できないことに、「失格」の烙印を押し、苦しみの陰に隠れ続けていたのです。

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それまで私は、全て自分が手をかけないと気が済まなくて、全て全てやるのが母親だと強くこだわっていました。

それが私の理想の母親像でした。

けれど、病気になって、全て全てどころか、全くできなくなり、

終いには、入院生活で、子供たちと完全に離れてしまいました。

自分の心身を苦しめたまでのこだわりは失ってみると、それほどの犠牲をはたく意味のあるこだわり(理想)ではなかったことに気づきました。

そして家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、幼稚園の送り迎えができなくても、私を妻として、母として、以前と同じく、認め、信じ、愛してくれていました。

私は、そんな家族のために、誇らしい妻、強い母でありたいと思いました。

私は、闘病をBlogで公表し、自ら、日向に出る決心をしました。

すると、たくさんの方が共感し、私のために祈ってくれました。

そして、苦しみに向き合い、乗り越えたそれぞれの人生の経験を、(コメント欄を通して)教えてくれました。

私が怖れていた世界は、優しさと愛に溢れていました。

今、100万人以上の読者の方と繋がっています。

人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。

例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。

「まだ34歳の若さで、可哀想に」

「小さな子供を残して、可哀想に」

でしょうか??

私は、そんなふうには思われたくありません。

なぜなら、病気になったことが、私の人生を代表する出来事ではないからです。

私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、

2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。

だから、与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました。

なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。

だって、人生は一度きりだから。

 
小林麻央さんの「闘病」を軽んじているわけではないのを大前提として、それでも「闘病」は彼女の人生の「一部」であるという認識で居たいと思う。

自身が持って生まれたものを磨き上げ、若くして身を立て、自ら望んだものを手に入れた。そして手に入れた大切なものを、育み続けることは生半可な努力では成し得なかっただろう。

どんな境遇でも自らが強くあろうとし、強くなることによって愛を会得した過程こそが彼女の人生なのではないか。というのはわたしの身勝手な解釈だけれども、わたしは彼女の「生き方」にこそ、感化されたいと思う。

わたしには麻央さんのご家族の事情や心情を知る術もないが、だけど彼女の生き方を見ていると、「愛は強さの元に育つ」のではないかと感じる。

愛は周りのひとの様々な感情をも引き出し、織り成していく力がある。その織り成された模様の美しさに、人は心を打たれるのかもしれない。
同じ時代に同世代として生きている者として、わたし自身も出来る限り、美しく、強くありたいと思う。
そして同じ時代に、美しく、そして強く強くあろうとした人、そしていまこの瞬間もそうあろうとしている人に、心から敬意を表します。

  

※「母の愛」が周囲の人の感情や力を引き出し、織り成していく映画です。とてもおすすめです。

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