アラサーOL クソ日誌。

クソみたいな愛おしい日々。

浜崎あゆみ『M 愛すべき人がいて』の読後感想(※ネタバレ注意) あゆの「はじまり」と「永遠」。

※勢い余って超長文です…。

この記事は、あゆデビュー〜全盛期に思春期を過ごした世代ど真ん中のアラサーがしたためる、『 M  愛すべき人がいて 』の個人的な読後感想です。

※すごいネタバレの感想文になるので、未読の方ご注意ください。関係者の方、盛大にネタバラシしてすみません…。書籍と電子版2冊買いました。許してください…。

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巷で話題になってんだか、なってないんだかわからない、『 M 愛すべき人がいて 』を読んだ。

M 愛すべき人がいて

M 愛すべき人がいて

 

個人的には、当時のファン&松浦氏の奥さんの元ファンとしては、本は出して欲しくなかった…と当初思っていた。

だけど、ミーハー軽薄なわたしがじっとしていられるはずもなく、発売初日に書店に赴いた。 

この本には、あゆがスターダムに駆け上がるまでのデビュー秘話と、デビューのきっかけをもたらした、松浦専務(当時)との大恋愛とその喪失が描かれている。

感傷的・刹那的であり、痛々しく、滑稽さもある…当時ファンであった自分にとっては、エモさの玉手箱なのであった。

バカにして、「エモい」と言ってるんじゃないのだ。本を読み進めながら、脳裏に当時のあゆが浮かぶだけじゃなく、厨二病の危篤患者であった中学生当時の自分の姿も浮かんだことも、エモさを感じた理由である。複雑な読後感であった。

これまであゆの恋愛遍歴は、メディアで色々取り沙汰されてきたけれど、この本の中には、松浦氏以外、一切登場しない。

7年もの間公然の仲であった長瀬智也、よくわからないオーストリア人の元旦那、何がしたいかよくわからない元お抱えダンサー、よくわからないアメリカ人の元旦那、最近でいえば『 FRY DAY 』で報じられた、一年前に「一座」(あゆはともにステージに立つパフォーマーを、総じて一座と呼んでいる)に雇い入れたばかりの20歳歳下ダンサー、その他数名も一切出てこない。

そう、この本は、あゆと松浦氏ふたりによる、ふたりについての本なのだ(この本は、著者の小松 成美さんによる、ふたりへのインタビューがベースとなっている)。 

この本はメディアでは「暴露本」と言われてるけど、内容は半分かそれ以上は、ファンの方&元ファンの方にとっては、既知の内容だと思う。 

個人的には、松浦 “ 専務 ” という響きがたまらなく懐かしい。松浦氏の現在の役職は “ 代表取締役会長CEO ” とのことだけど、デビュー当時あゆがよく氏のことを“ 専務 ”(もしくはプロデューサー)と呼んでいたのだ。

この本の目次には、「序章 Mとの再会」「第一章 Mとの出会い」「第二章 Mへの想い」「第三章 Mと歩む」「第四章 Mを信じる」「第五章 Mとの別れ」「終章 Mとの……」と記載がある。

2000年代初頭のケータイ小説さながらの目次を見て、そっと表紙を閉じた人は多いのではないだろうか。 でも、めげないで、ついて来てもらいたい。

以下に、章ごとの感想をしたためたいと思う。

 

「序章  Mとの再会」

遡ること数年前、あゆはよくわからない白人男性と結婚し、アメリカに居を移していた。

ここでは「二年前の年末、一人に戻ってマリブにある家を引き払った」との1行で、すべてが終わったことになっている。そして空港に着いたあゆを、ひとり待っていたのは “ M ” こと松浦氏だった。

あゆはここで、松浦氏に積年の想いを伝える。

ずっと会いたくて話したくて、でも会うことも言葉を交わすこともないと決めていた彼は、時を経ても変わっていない。

あゆね…今だから歌える歌を、届けていきたい。いろんな経験をしてきた今だからこそ、歌える歌があると思っているから 

マサ、もう一度、あゆの近くにいて。昔のように二人で一緒にファンが待ってくれている歌を、パフォーマンスを、作っていきたいの。会社はとてつもなく大きくなって、マサの立場も仕事の量もあの頃とは違うとわかっているけど、今は、マサの力が必要なの 

勇気を振り絞った言葉に、マサはたっぷりと時間をかけて答えた。 

もう一度俺がやる。だから迎えにきた

「あゆの目指す場所は、この世界の外にはない。俺たちが立っている世界の、ずっと先にあるんだよ」

「自らの美学を貫き、この世界を去っていくアーティストもいるよ。でも、あゆはそうしない。ステージに立ち続ける。年齢なんかにとらわれない。それがアーティストの姿だから」

デビュー20周年に向けて歩き出そうとするあゆが、また羅針盤として松浦氏を頼り、再び二人の二人三脚が始まったのだ。

※序章の描写では、ふたりは別れて以来、長い年月会っていないかのように描写されている。 

しかし、本で空白の期間とされている十数年の間にも、実際には雑誌の連載記事やSNSなどで定期的にツーショットを度々掲載している。

実際の空白期間は謎であるが、「事実を基にしたフィクション」とのことなので、まぁここは盛ってるのかなと思いつつ、序章はライトに読み進めた。

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あゆが松浦氏と再会後に書いた「æternal」が収録されているミニアルバム。近年のあゆの曲のなかでも、特に情感のこもった、あゆらしい良曲である。

別ジャケットで、際どく胸のあたりに写る男性の手は、松浦氏のものであるが、「こういうことしなければ…」と思ってしまう…。

 

「第一章 Mとの出会い」

さてここからが本番である。
二人が出会ったのは六本木のクラブのVIPルーム。ある年の大晦日パリピでごった返すVIPルームの中心に、有名なヒットメイカーである専務は居た。

専務に呼び止められ、電話番号を聞かれた10代のあゆ。専務からの電話を待ちわびる日々のはじまりである。
この頃あゆは、芸能活動のために高校入学と同時に博多から母親と祖母と中野に引っ越しており、実家住まいという設定。
専務からの電話が鳴るなり、あゆは呼ばれて飛び出てハクション大魔王の速さで専務の元へ駆けつけた。
駆けつけるのは、ベルファーレのVIPルームであることもあれば、高級レストランであったり、専務の身内との打ち合わせの席だったりするのだが、あゆはいつも黙って専務の隣に座っているだけであった。

そのうち専務はあゆをミュージックバーに連れ出し、歌わせるようになる。何を言われるでもなく、毎回延々と歌わされ続けるのだ。
これがその辺の男だったら「ミュージックボックスちゃうで」とキレそうになるものの、専務が既婚者と知りながら、既に恋心を抱いていたあゆは。

そのうち芸能の仕事よりも、専務との時間に重きをおくようになる。

また同時に、元々本意でなかったグラビアや、元ヤンのあゆに清純派女優の仕事ばかりさせようとする、所属事務所との契約を解除したあゆ。前後して、芸能人が多く通う高校も自主退学する。
突然事務所を辞めてきたというあゆの先を案じた専務は、「You 無職ならうちで歌っちゃいなよ」と言い、そこから二人は二人三脚でデビューを目指すことになる。

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(あゆと専務が知り合った頃、元所属事務所・サ●ミュージック時代の、あゆのシングルデビュー時)

 

「第二章 Mへの想い」

あゆは専務からのお達しにより、3ヶ月間、ニューヨークでの修行を課せられることになる。
ひとりで送り込まれた極寒のニューヨークでの武者修行中にも、週に1度かかってくる専務からの電話を楽しみに、スパルタのレッスンに励むあゆ。
そして専務は出張の際、あゆに会いにニューヨークに立ち寄る。二人でニューヨークの街を散歩している折に立ち寄った、5番街プラダで、専務は「似合うから」と言って、あゆにコートをプレゼントする。
専務と別れ帰路に着いた後、真新しいコートに顔を埋め、専務の名前をひとりつぶやくあゆ。さながらプリティウーマンである。

片思いの相手は、既婚の15歳上のヒットメイカー。自分の知らない新しい世界に、エスコートしてくれる年上の男性。
こういう非対称性のある恋愛って楽しいだろうなぁ…と思えてならない描写の数々。憧れと恋心の交差は、恋愛の中でも最も甘美な脳内ホルモンを出してくれるんである。知らんけど…。

しかも相手は、“ 誰にも褒められたことのなかった自分 ” を評価してくれ、一度は諦めかけたはずの芸能界で、華々しくデビューさせてくれると言っている。
盆と正月と世界中の祝日を集めても足りないくらい浮かれて当然であるが、あゆのそれは秘密の片思いである。「歌手なんて無理」と戸惑うあゆだったが、専務の「俺を信じろ」の言葉に従った。

しかしその後、専務があゆを業界関係者に売り込みはじめたものの、「あの顔は売れないよ」「あの声は売れないよ」などと反対される日々。実際あの頃は、あゆのようなガチャガチャした顔立ちは、未だ珍しかった。

本によると、芸能関係者との商談の席で、あゆのデビューについて反対されたりコケにされたりする度に、専務はテーブルの下で拳を握っていたそうだ。
そしてあゆは自分のために怒り、拳を握ってくれる専務を見る度に、親愛の念を感じていた。
「あゆは、あゆのままで良い。世間の好みすら、変えてやれ」とあゆを肯定し続ける専務。

実際あゆはその後、「可愛い顔」の価値観まで変えてしまうのだから、“ カリスマ ”とは大したものである。

このあたりのことが「 Trust 」や「 TO BE 」の歌詞になっている様子が書かれていることは、この本を読まなくても、当時ファンだった方はご存知だろう。

誰もが通り過ぎてく 気にも止めない どうしようもない
そんなガラクタを 大切そうに抱えていた
周りは不思議なカオで 少し離れた場所から見てた
それでも笑って言ってくれた "宝物だ"と
大きな何かを手に入れながら 失ったものもあったかな
今となってはもうわからないよね
取り戾したところで きっと微妙に違っているハズで

君がいるなら どんな時も 笑ってるよ
君がいるなら どんな時も 笑ってるよ
泣いているよ 生きているよ
君がいなきゃ何もなかった

「 TO BE 」

…本の折に触れて、当時のあゆの歌詞と、背景にあるエピソードが併載されていて、わたしはもうエモさで胸がいっぱいである。

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時を同じくして、ビジネスパートナーであった小室哲哉氏と決別した専務。
その前身は専務が興したレコード屋であったという、小さなレコード会社であったエイベックスが、数年で会社として大きくなったのは小室哲哉氏の貢献であった。
そのてっちゃんの抜けた穴を埋めるという重責を負いながら、あゆのデビューに向けて奔走する専務。
あゆは専務に応えたいという気持ちと同時に、専務への恋心を抑えようと、人知れず格闘する。
あゆと出会った当時、既婚者であった専務は、出会いから間もなく離婚した。が、すぐさま新しい恋人を作り、スタッフやあゆとの打ち合わせや会食に同席させていたのである。

私は、毎晩、目を閉じて心を整えた。
それは、「俺を信じろ」と言ってくれた人への思慕が、その恋心が、決して溶け出るようなことがないよう、固く凍らせる時間だった。

あゆが毎晩、幼い恋心をセルフ冷凍していることを知ってか知らずか、専務はデビュー日を決め、あゆに作詞を勧めた。

そこであゆは専務に伝えられない想いを、ラブレターに書くつもりで歌詞にし、便箋に書き写して専務に渡した。

人を信じることっていつか裏切られ
はねつけられる事と同じと思っていたよ
あの頃そんな力どこにもなかった
きっと色んなこと知り過ぎてた
いつも強い子だねって言われ続けてた
泣かないで偉いねって褒められたりしていたよ
そんな風に周りが言えば言う程に
笑うことさえ苦痛になってた


一人きりで生まれて
一人きりで生きて行く
きっとそんな毎日が
当たり前と思ってた 

「 A Song for XX 」

本に書いてあるように、10代の少女の作詞一作目が実際に「 A Song for XX 」だったらば、専務もさぞかし度肝を抜かれたことだろう。
専務へのラブレターのつもりで書いた詩を、本人に手放しで絶賛されたあゆは、「poker face」「 YOU 」…と、日々専務への想いを綴るようになる。

いつだって泣く位簡単
だけど 笑っていたい
強がってたら優しささえ
忘れちゃうから素直になりたい
あなたの愛が欲しいよ  

「poker face」

君のその横顔が
悲しい程キレイで
何ひとつ言葉かけられなくて
気付けば涙あふれてるきっとみんなが思っているよりずっと
キズついてたね 疲れていたね
気付かずにいてごめんね

春の風包まれて 遥かな夢描いて
夏の雲途切れては 消えていった
秋の空切なくて 冬の海冷たくて
夢中になっていく程 時は経っていたね

「 YOU 」

しかし物分かりの良いフリをして、叶わぬ恋を貫こうとしても、多くの人は志半ばで爆発するものである。同様に、あゆもまたラブレターに想いを託すだけでは、恋心を抑えられなくなるり、この恋に終止符を打とうと、ある日FAX(時代…)で、専務に想いを伝えてしまうのだ。

一生、隠しておこうと決めていた想いですが、告白します。
あなたが好きです。
ヴェルファーレで出会った時から、ずっと好きです。あなたが好きだから、私は歌手になったのだと思います。
(中略)
もちろん、あなたにとって私はプライベートな意味で必要な人間でないことも分かっています。私は、あなたから愛されることはないでしょう。
だから、今日限り、あなたを諦めます。
(中略)
全力で歌うことを誓います。専務が自慢できる歌手になります。どうか信じてください。

ところがどっこい、専務からも想いを同じくしているという返信が翌朝届いたのだ。

その日のうちに、専務はスーツ姿であゆの実家まで高級車を乗り付けた。そしてあゆの母親に交際宣言した後、横浜にある自身の実家に、あゆを連れて挨拶。
盛ってなきゃ逆におかしいという程の展開だが、19歳の新人歌手と34歳のレコード会社役員兼プロデューサーという、二人の蜜月のはじまりである。

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全盛期を迎える前の、華奢で儚げな雰囲気のあゆ、可愛かったな…。

 

「第四章 Mを信じる」 

親族への交際宣言から、あゆはまもなくデビューを迎える。同時に青山で同棲を始めた二人は、目まぐるしい日々を送りながら愛を育む。
あゆはこれから立派な歌手になり、いつか専務を守れるような存在になりたいという強い思いを込めて、「For My Dear...」の詩を書いた。

ふたりはスケジュールをやりくりして、やっとの思いで休みを取った。夕方〜翌朝までという短時間ではあったが、その貴重な休日に、ふたりは横浜みなとみらいにあるホテルに出掛ける。薄暗の夏の海を眺めながら、ふたりは、出会いからこれまでの出来事を語り明かした。
そして、この日からあゆは専務を “ マサ ” と呼ぶようになる。

ふたりの蜜月がありありと浮かぶような描写に、きっとその夏の思い出は、あゆの心に深く刻まれているのだと思える。

「Trust」で、「あなたから見つけてもらえた瞬間 あの日から強くなれる気がしてた」「もうひとりぼっちじゃない」と歌う、このあたりのあゆは、本当に嬉しそう。
あの頃の、笑うと少し不揃いの歯がのぞく、初々しいあゆが思い起こされて、またもやエモさに押し潰されそうになる、まったくの赤の他人のわたし。

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そう、この時は「Trust」で「恋が皆いつか終わるわけじゃない」と歌ってるのだ…

 

「第五章 Mとの別れ」

1999年はあゆの代表曲のひとつである「Boys & Girls」が発売され、本格的にブレイクした年である。
が、あゆはこの年に、受け止められないほどの賞賛と孤独を一気に味わうことになる。

専務と、1秒でも長く時間を過ごしたいという望みも叶わず、殺人的なスケジュールを強いる「浜崎あゆみ」という巨大な虚像が、心身ともにあゆを追い詰める。
そしてその状況を作り出しているのは、プロデューサーである “ max matsuura ” こと専務であり、ほかでもないあゆが愛する“ マサ ” であった。
「“ max matsuura ” から逃れたい、助けて欲しい」とあゆが顔を埋める相手には、その叫びは届かない。

あゆは“ max matsuura ” と愛する“ マサ ”の間で立ち尽くすようになる。
また一方で専務も、大きな事業となりつつあった、「浜崎あゆみ」というプロジェクトの仕掛け人の張本人として、計り知れない重圧を背負っていた。

ほどなくして専務は、そのストレスから心身を侵すほどに、アルコールに依存してしまう。

すれ違う二人の関係を思い、果たされなかった夏の約束を歌った「 Boys & Girls」がリリースされる頃には、二人の同棲は形だけのものになっていく。
ちなみに、当時の雑誌のインタビューであゆが「 Boys & Girls 」の歌詞に込められた思いについて「ある意味裏切りみたいなものがテーマかもしれないですね」と答えていて、こんなキラキラした曲なのに、なんのこっちゃと首を傾げていたのだが、この本を読んで納得…。

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「 Boys & Girls 」=「松浦勝人 & 浜崎あゆみ」を意味している(驚)。果たされなかった、専務との夏の約束を歌っていたのだ…

そんな専務とのすれ違いを重ねた時期のとある日、あゆは、専務が仕事用に借りている部屋に訪れた際、知りたくなかった事実に遭遇してしまう。
専務は、自分と会う時間さえも無い程多忙なはずなのに、実はその部屋で、ベルファーレから連れ帰ったと思われる女性やスタッフたちと、 “ 陳腐なパーティー ” に興じていた。
専務が見知らぬ女に、しなだれかかるようにして酔いつぶれているのを目撃したのだ。
自分は専務のために、寝る暇も惜しんで仕事をしているのに…。

あゆは失意のまま部屋を出た後、誰にも告げず2日ほど失踪してしまう。これがあゆファンの中では有名な「あゆ失踪事件」であり、このことを契機に、あゆと専務の間の溝は決定的に広がってしまう。

どれだけ泣いても甘えても、ワガママを言って困らせても、仕事関係者としてなだめるばかりで、もう恋人として取り合ってはくれない専務。
専務との間に出来た深い溝を目の当たりにし、身を切られるような失恋の痛みと、孤独を自覚するあゆ。

専務と二人で生きていきたいという夢が潰え、そして専務と二人三脚で作り上げた、モンスター化してしまった “ 浜崎あゆみ ” を、今後はひとりぼっちで背負っていかなければならないという絶望。
その心境を自身が「絶望三部作」と名付けた「 vouge 」「 Far away 」「 SEASONS 」の詩に託した。あゆは絶望を歌うことで自分を救おうとしたのだ。

君を咲き誇ろう
美しく花開いた
その後はただ静かに
散って行くから…
気付けば いつでも
振り向けば君が
笑っていました
ha-ha-haaa-
気付けば いつしか
君の事ばかり
歌っていました
ha-ha-haaa-
だけどそれは決して
後悔ではなくて
あの日々が
あった証なのでしょう

「 vouge 」

新しく 私らしく あなたらしく 生まれ変わる…
幸せは 口にすれば ほら指のすき間
こぼれ落ちてゆく 形ないもの
(中略)
人は皆通過駅と この恋を呼ぶけれどね
ふたりには始発駅で 終着駅でもあった
uh-lalalai そうだったよね
もうすぐで夏が来るよ あなたなしの…

「 Far away 」

今日がとても悲しくて
明日もしも泣いていても
そんな日々もあったねと
笑える日が来るだろう


幾度巡り巡りゆく
限りある季節の中に
僕らは今生きていて
そして何を見つけるだろう

「 SEASONS 」

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「 SEASONS」のPVのあゆは喪服だったのは、過去を葬り去るためだった

あゆは、踏ん張ったのだ。
自ら、厳しい芸能界に身を投じたとはいえ、ハタチそこそこの年齢で、大きな喪失感を抱えながらも、作り上げてしまった大きな虚像に戸惑いながらも、それでも高い山を登り続けた。大失恋に耐えながら、あの黄金時代を築いたことに感嘆の思いである。

専務から別れを告げられた後も、ふたりが世に送り出した「浜崎あゆみ」をひとりで背負って生きていくことを覚悟したのは、「“ マサ ” が世に送り出した“ 浜崎あゆみ ”を葬り去ることが、どうしても出来なかったから」と、この本で明かしている。
そして別離後も、今回の本の題名ともなった「 M 」で、専務への愛と尊敬を歌いあげた。
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「 M 」はMARIAじゃなかったんかいっ!とずっこけた貴女と、いつか酒を酌み交わしたい気持ちである。

デビューから間もなく「 Trust 」で「恋が皆終わるわけじゃないと」と歌ったあゆ。
しかしその約二年後には、「それでも全てには 必ずいつの日にか 終わりがやって来るものだから」と悟ってしまったのだった。

MARIA' 誰も皆泣いている
だけど信じていたい
だから祈っているよ
これが最後の恋であるように
理由なく始まりは訪れ
終わりはいつだって理由をもつ…

この本には、「M」以降の後日談は、松浦氏との再会を果たした「設定」の、2017年以前の事は書かれていない。

現実では、専務との別れから1,2年後、あゆは「 Dearest 」という曲をリリースする前後に、長瀬智也との交際を発表した。
当時「 Dearest 」の歌詞は、長瀬のことを歌っているのではと話題になった。

当時ビジネス オネェキャラだった藤井隆が司会を務める歌番組で、そのことをあゆに突っ込んでいたのを覚えている。
その時もあゆは、「絶望三部作」の時と同様、「過去の自分とのことを、詩に書いた」と答えていたことを記憶している。
今回この本が出るや否や、SNSには「え、「 Dearest 」はさすがに長瀬のことだよね?」と戸惑う声が挙がっていた。
わたしも当時は、あゆが長瀬のことを歌った曲ではないかと胸を熱くしたひとりだ。がしかし今や、「恋愛中は傷つけあったけれど、時が経ち恋の執着を離れ、お互いを愛し、思いやれる一番良い関係性に辿り着いたね 」と専務に対して歌ってるように思えてならない。
長瀬との出会いも、あゆが女優をしていた時からだというが、この曲の歌詞は、付き合って日が浅いはずの二人の曲とは、個人的には思い難い。そこに一周も二周も経た関係性が垣間見えるからである。
もうこの本を読んでしまうと、あゆの松浦氏への想いが強過ぎて、申し訳ないが、ほかの男性たちがモブキャラに見えて仕方ないのだ。

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あゆが辿り着いた場所とは…

まぁわたしの考察なんて、どうでもいいのだけど、あゆは長瀬と7年もの間交際する中でも、「 Part of me 」などの曲で、「わたしの魂の半分は、マサで出来ている」と堂々とその関係性を歌い続けていた。

まったくの余談であるが、わたしは “ 天然 ” と評されることの多い、長瀬智也の寛大なメンタルを讃えたい。いつの世も、業の深い女には、あっけらかんとした男が必要なのである。逆もまた然り。

そんな業の深い曲はいくつかあるが、特に個人的に印象深いのが「 HANABI ~episode II~ 」という曲である。

2003年のa-nationで、あゆはこの曲の最後、とても辛そうな表情してるのだ…。

あゆが何かと歌詞にする「あの夏」。
これまでは「夏に別れた男が、忘れられないんだな…」と勘繰りながら聞いてた。

だが今回本を読んで、あゆと専務が付き合いはじめた頃に、みなとみらいで海を眺めたという描写とつながった。
あゆは、専務との蜜月を過ごしたあの夏と、その一年後の別れの夏のことを歌い続けているのではないか。

本の中で、あゆは「わたしは知っていた。マサのように愛せる人が二度と現れないことを」と語っている。

ジャニーズサイドは軽く訴えた方が良い気がするが、あゆにとっては、松浦氏は恋のはじまりであり、終着点であると同時に、愛のはじまりであり終着点なのだろう。

だから今後、乗る電車(恋人)が変わっても、始発駅と終着駅は変わらない。松浦氏以上に愛せる人が現れないことを、あゆは知っている。「 Far away 」そのまんまやないか…。

序章と最終章で描かれるあゆは、また松浦氏とともに歩めることを、心から喜んでいるように見える。

松浦氏と出会ったことは、あゆにとって最初の「奇跡」であり、松浦氏を愛していることは最後の「永遠」なのだ(「momentum」)。
そして松浦氏とともに在るその地点は、いつだってあゆにとって「はじまり」となり、ともに続いていく。だからふたりは「 TO BE 」で「æternal」なのだろう。
きっと「浜崎あゆみ」としても、あゆの人生としても。

メディアやネットで叩かれようが、もう引退してほしいと非難されようが、「はじまり」がそこにある限り、あゆは歌っていけるのである。

ワイドショーやニュースサイトが本の出版を報じた際、本の帯にあゆが「自分の身を滅ぼすほど、ひとりの男性を愛しました。」と書いたことが物議を醸した。
「ピンピンしてる上に、成功者じゃねぇか」と。
それについて読後の個人的な感想としては、「ひとりの男性を徹底的に愛せることを知ってしまったが故に、一生満たされない思いを抱えざるを得なくなってしまった」のだとしたら、それはまさに業を抱えて生きることにほかならず、「自滅」にあたるなということだ。

むしろ近年のあゆの “ 迷走 ” の理由を、そこに感じてしまうのは、勘ぐり過ぎだろうか。
またなによりもあゆは、唯一心から徹底的に愛した男性から、“ あゆ ” であること以上に「浜崎あゆみ」であることを強いられた。

そしてそれを受け入れ、聴力など身体を犠牲にしてでも、「浜崎あゆみ」であることに人生を捧げた。その意味でも、あゆは自ら「身を滅ぼす」ことを選んだと言えるかもしれない。

また、この記事を一読しただけでは、松浦氏が悪い男にしか見えないと思う。

確かにこの本を読むと、当初誰も評価しなかったあゆを肯定し、ブレイクまで伸し上げたことくらいしか、氏の良いところが見当たらず、そのほかは、そこはかとない人でなし感が漂っている。

しかし、本には描かれていない事情がたくさんあっただろう。また本の中には、松浦氏も自滅寸前の勢いで追い詰められていた描写があったことを補足しておきたい。

むしろ上場企業の経営者でありながら、この片手落ちの描写をよく許したなと感心してしまった。

だって、この本で描かれている松浦氏を一言でいうと、「歳が15も離れた未成年に手をつけ、自身がキャパオーバーになると酒に溺れ、彼女が最も大変な時に突き放し、十数年経ってのこのこ会いに来た男」になってしまう。それは、ちょっと、ねぇ…。

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ちなみに表紙の東京タワーの写真は、松浦氏撮影である…

全盛期のあゆの魅力のひとつに、人形のように可愛く、何を着ても似合う外見・才能・富と名声、そのすべてのものを持っているようなのに、どこか影をまとっている…その暗さや刹那さがあった。

そしてそれを表現する力が、浜崎あゆみの最大の才能だと思っている。
その暗さや刹那さの理由は、あゆの生い立ちやパーソナリティからくるものだとばかり思ってたけれど、何よりもこの本で背景として描かれていたのは、専務への叶わない恋の切なさ、大恋愛の喪失からくるものだったのだ。あれ、普通に失恋じゃん!?
だけど当時、その影こそが多くのファンの心を掴んでたのだから、何が功を奏すかわからないというか、スター稼業は皮肉である。

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全盛期のアルバムでありながら、とにかく暗い 名盤「 Duty 」

当時あゆのファンであったわたしは、あゆの影を追い、詩の解釈をすることであゆに近づこうとしていた。
ファンの方々が作った、歌詞考察サイトなるものも、いくつか存在した。音楽番組のあゆへのインタビューでも、詩のことが取りあげられることが度々あった。そういう時にあゆは先述の通り、決まって「これは過去の自分のことを書いた」と言っていたものだ。
しかしその実、デビューからわたしたちはずっと公開ラブレターを読んでいたのである。

だから、今回の出版にあたって、「あの頃の共感を返して欲しい」という声をSNSで挙げた人たちがいる。いや、その気持ちもわかる。
でもあゆの詩を媒介者として、「当時の自分しか持ち得ない感性で何かを感じていた」という事実こそが、何よりも貴重で尊いと個人的には思う。

それは、あゆが特定の人物を想って詩を書いたとしても、ソファで鼻くそほじりながら書いたとしても、変わるものではない。
その意味で、あゆの歌詞は、媒介としての役割を十分に果たしたと思う。
個人的には、自身の多感な時期に、エモさを引き出してくれる表現力を持つアーティストが居てくれたことは感謝したい。黒歴史的に恥ずかしい思い出でもあるが、それこそ思春期というものである。

 

いつだって生身の感情をだらっだらに漏らしながら、表現してきたのがあゆ。
SNSをやり始めてから、そのイタさがコンテンツのひとつになってしまったが、あゆは本質的には何も変わっていない。

これからも、あゆのエモさに心乱されながら、なんだかんだ追いかけ続けてしまうに違いない。

最後にひとつだけ言わせてもらいたい。

この本の出版目的は、「デビュー21周年の、その先20年への覚悟表明」であるというようなことがある記事に掲載されていた。

もし仮にそうであるならば、松浦氏との過去エピソードよりも、いまのあゆが何を感じ、ファンや世の中の声をどう受け止めているのかを、もうちょっとちゃんと知りたかった。

あゆが向き合うことを求められているのは、過去の恋人よりも、ファンや、あゆを応援したいと願う人たちの想いのような気がしているのだが…。それこそ、音楽活動を通して感じ取れという話なのだろうか。いや、最後に普通に当たり前のこと言ってすみません…。

 

そしてここにきて、「終章 Mとの……」について書くのを、失念したことに今更気付く。
「いまが一番幸せ。歌なしの人生は考えられず、これからも歌い続ける」といった内容であったことを最後に補足したいと思う(雑)。

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終章は、これからの決意表明と、松浦氏とのこの壁ドンエピソードでした。
あ、なんかもうちょっとお腹いっぱいです…

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

#浜崎あゆみ