しまずあいみのぽんこつ日誌

~アラフォーになったのでタイトル変えました~

「子どもを持たない」ことを悩んでいる・罪悪感を感じている方へ

ご無沙汰しております、フランスから本帰国しました。思えばもう3年前にOLじゃなくなっているのでブログ名を変更したいのですが、なんと名乗っていいか…

何にしても今より悪くなることは無いんですが、もう何を名乗っても恥ずかしい自意識にかられております。

 

さて、2年半前に【何があれば産めるの?から妊娠に至るまで】という記事を書きました。

2015年28歳の私が、当時付き合っていた相手に「子どもが欲しいかわからないというキミに、これ以上時間を費やせない」と言われてフラレたよんという記事を書いた後日談です。

物心ついて32歳まで「自分は子供を産まなくていいや、産めない」と思っていた私が、結婚し妊娠に至った時の心境を書いたのでした。

nyankichitter.hatenablog.com

 

2015年の記事はこちら

【何があれば産めるの?】

nyankichitter.hatenablog.com

 

読み返すとゲロ吐きそうな暗さですが、ありがたくもその記事を読んでくださった方々から、以前このようなメッセージをいただきました。

「わたしも子どもが欲しいと思えません。でも今後年齢を重ねても絶対欲しくないかと言われると自信がなく、焦ってしまいます」

「手遅れになってからは遅いと言われると、心が揺らぎ、モヤモヤしてしまいます」

 

その心境に至るまでの背景は人それぞれだから安易に「気持ちがわかる」なんて言えないけれど、わたしも妊娠する前、まったく同じ心境でした(言うとるがな)。

マウントや直接的な悪口はさておき、親切で言ってくれているはずのアドバイスや老婆心までも重たく感じ、心の澱となっていました。

 

そのいっぽうで産後は、「どうせ産むなら巻きで産めばよかった…」とも正直思うので、先人たちの言う通りやないかと呆れてます(自分に)。体力的に育児がキツい、第二子のことを考えるとリミットが迫ってるというのが理由です(第二子については夫婦間で意見の相違がありますがそれは置いといて)。

 

そんな実体験があるから、わたしが過去モヤモヤを感じていたアドバイスを、自分もつい口に出しまいそうになる瞬間もあります。

 

「で、結局産んでどうだったのさ?」と聞かれると、子どもは可愛いです。

息子は今2歳で未だ保育園に入れられてないのですが、こんなに一緒に居ても3分に一度は可愛いと口走ってしまうほど愛しいです。もちろん、イライラして手をあげそうになる日もあります(イヤイヤ期真只中)。

もちろんまだ子が2歳なので、育児の入り口に立ったばかりなのでわかったようなことは言えません。実際わかってないし。

 

そんな日々の中で、子を持たない友人たちの生活を垣間見ると、アナザーストーリーを考えることは正直あります。

わたしは物心ついて30歳過ぎまで、子どもを持たない人生を歩むとばかり思っていたので、子を持たず自由に生きてる友人や先輩がたを見ると、「あぁわたしもあんな生き方をすると思っていたのになぁ」と思うことはあります(もちろんその自由度は、子どもの存在関係ないところありますが)。

 

でもそれと同時に、息子というこんなに愛しい存在が毎日頑張って生きてくれていることへの感謝も感じています。

 

産んだことに後悔は一切ないです。

なのでタラレバというかアナザーストーリー的な感覚です。

タラレバは、自分の心の中に秘めてる分にはなんの問題もないと思ってます。

タラレバは考えてもしょうがないことかもしれないけど、「考えてもしょうがないこと」をふとした時に考えてしまうのが人生ってものじゃぁないでしょうか?

 

49対51の差で子どもを持つことを選択し、49の気持ちが完全に消えたわけじゃないけど、51を選択したことはまったく後悔していないです。

とにかく今は自分と子(と夫)のために、自立して自由で幸せでいようという気持ちです。

 

わたしが「子を持つ・持たない」ことに対して悩んでいるとご相談者してくださった方にお伝えしたいのは、【ご自身を責めないでください】ということです。

だって責める必要まっっっっっっったくないんです。

 

「自分は子どもが欲しくない」というと、「フリーライドするな」とか言う人居ますが(先述の2015年の記事のコメント欄で言われたことがあります)、そういうことを言う人たちは、子沢山の家庭の親御さんを日々そんなに敬ってるのでしょうか…

もしくは高額納税者に対して、頭が上がらない思いで日々暮らしてるんでしょうか…

「人類の本能に反してる」って言う人も居たけど、今の人間の生活、人類の本能に反しまくってるし…

 

 

「子供を持つさ悩む人のところに産まれてくる子どもかわいそうだから、絶対親になってほしくない」と、わたしも言われたことがあります(コメント欄が地獄)。

 

でもあれこれ悩んだり考える人たちは、産まれてくる子どもを不幸にしたくないから考えてるのだと思います。だから子どもはなんも可哀想じゃないです。

 

「子どもを持たないことを非難してくる」人たちにもしもし遭遇したら、その人たちが怒ってる本当の理由は、その人たちが抱えている本当の問題は、あなたが子どもを持たないと決めたことじゃないです。

人の決断を尊重できない何らかの理由や問題が、その人の中にあるんだと思います。

なので「それってあなたの感想ですよね?」と思っていいし、「その非難はあなたの問題であって、わたしの問題じゃない」と切り分けてほしいです。

 

 

わたしは子を持たない友人もたくさんいますが、その子とわたしの生活パターンが今現在異なり、もし一時的に付き合い方が変わったとしても、大事で大好きなことに変わりないです。もちろんお互いモヤることもあるでしょう。

でも状況が違うからモヤることなんて日常茶飯事です。子どもの発達を比べてモヤり、セックスレスかそうじゃないかでモヤり、稼ぎを比較してモヤり、介護の有無でモヤる。モヤる人は一生モヤるし、モヤらない人はほぼモヤらないというだけです。

 

子どもが小さいうちは、友人同士で集まっても子供の話になりがちですが、10,20年も経てば、話題は推しと健康と病院と親の介護の話になる。女子会のネタは雑誌『婦人公論』の目次(介護、健康、相続、熟年離婚、終活)ですよ。

 

人は誰でもある面では世間のマイノリティの一員になるし、マジョリティの一員にとなる。

わたしも自分が疎外感を感じる以上に、いろんな場面で世間のマジョリティの一員として、誰かに疎外感を感じさせているに違いありません。

そしてそれは長い人生の間で、「あちら側」にいったり「こちら側」になったりと変化するものだと思います。

 

人生は致命傷を負うこと以外、前を向いて楽しむことができればどんな道を選んでも大丈夫だと思います。

もし何かで49対51の選択をした時は、そこまで考え抜いた経験はご自身の宝物です。

そんなご自身を抱きしめて欲しいです。

全力で自分を肯定して、ねぎらって、セルフコンパッションして欲しいです。

 

「結局あんたは産んだからそういうことを言うんだよ」と言われたらその通りなのですが、自分を責めたり思い悩む方にお伝えしたかった次第です。

 

ではでは。