アラサーOLクソ日誌。

整体に家賃の1.5倍ぶっこむ整体ソムリエ兼アラサーOLのクソだけどいとおしい日々を綴った人生日誌です。

感想:二村ヒトシ著『なぜあなたは愛してくれない人」を好きになるのか』

以前年末年始に、影響を受けた、二村ヒトシさんの『恋とセックスで幸せになる秘密』に加筆された、文庫改訂版『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』を読んだ。

 

 文庫改訂版ということで、改訂前の内容と重複する本文は省略し、今回加筆された部分を中心にご紹介します。

二村さんは前回の『恋とセックスで幸せになる秘密』を書き終えた後、本当はこの本で出てくる「インチキ自己肯定したヤリチンとは自分のことではないか」と気付き、向き合ったとおっしゃっていた。

確かに、今回加筆された3つの対談(2人の女性読者との対談/信田さよこさんの対談/編集者 丸山さんとの対談)を 通して、鋭い女性陣に素晴らしいツッコミを浴び、「この本に書いてることあなたご自身の問題ですやん」の連続。

 

本当に正直な方だなぁ…と私は思ったのだけど、そのなかで 特に印象に残ったのは二村さんの下記の発言。

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・「女の人の心の穴に、タッチ・アンド・ゴーじゃないですけど入っといて逃げ出すみたいなことを繰り返す、僕自身の心の穴というものがありまして…(中略)…時間が経つと冷たくなるんです…(中略)…で、僕には常に女性に怒られているっていう感覚があるわけです」

・「プライベートでは女性の感情が憎くなる。責められると逃げ出したくなるし、僕自身が感情を揺さぶられることに耐えられなくなるんですよね。罪悪感と自分を守りたいという気持ちが同時にあって」(信田さんとの対談の中で)

 ・「俺を苦しめないでね、菩薩(のような女性)なんだから苦しめるはずがないよねって予防線を張ってるんだもんなぁ」(あとがき)

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 ・・・思い当たるフシはありませぬか。

関係を持つまでのあのグイグイくる感じ、あるいは 「好きだ」「会いたい」の連絡で期待させてきたかと思えば、徐々に連絡が取れなくなったり、そっけなくなったり。

最初はそんな気なくても、人は一度心をタッチされてそっぽ向かれると、途端に執着しちゃう。

だから不安になって「話したい」と連絡してしまうんだけど、追えば追うほど相手は逃げて、そのままかえってこなくなる。

もしくは予期せぬタイミングでフラれたりとか。

 

そしてそんな関係を一度でも持つと、追いかける方は「相手を責める権利」があるみたいな被害者意識を、持ってしまう。

責めたり恨んで追いかけてる間は、あの人の心の中に自分の居場所が少しでも残ってるような気がして。

「相手を責める権利」だけが二人を最後繋いでいるような気がして。


「傷つけられた」って、みんな怒るんだけど、その怒りの原因は「自分が望むことを相手がしてくれない」という期待からの落胆か「自分が嫌がることをされる」という被害者意識なんだよね。 

だから向こうにしたらそれが「なんでそこまで責められてるのかわからない」ってなって、その温度差が余計に争いを生むのだけど。

 

その時点で本気にしろそうでないにしろ、相手の心の中に入っては、ピューッと逃げてく、

それはさながら恋愛ピンポンダッシュ

男も女も一度はしたことがある・されたことがある人もいると思うのですが・・・。

 

・・・・・そんな状況に対して、

「男性は狩猟本能が強いから女性に追われると逃げたくなる」ってよく言いますよね。

あれって狩猟本能云々以外にも、二村さんの言葉を借りると「罪悪感」と「自己防衛反応」じゃないかと。

「自分が恋させたり、依存させたくせに、その女性(もしくは男性)を、結果的に「ウザく」感じる」のは、「後ろめたさ、怒りや面倒から自分を守りたい」そんな弱さが作用しているのではないかと。

ただ二村さんは「罪悪感」という言葉を使っていたけど、同じことを繰り返すタイプが使う「罪悪感」という言葉は、その追いかけてる相手が期待している「罪悪感」とはかなりの溝というか温度差があるんじゃないかって。

 

本当は「罪」というほどの意識もなく、心底反省なんてしてなくて、そのうしろめたさは、夜中に食べたポテトチップスみたいなものにすぎないんじゃ…と思うのです。

「恋している方」は「恋されている方」が感じる「罪悪感」や「反省」の感情に一縷ののぞみをかけるわけじゃないですか。

でもやめようやめよう思っても、ポテチ食べちゃうじゃないですか。夜中に。

ドーパミンが欲しいんですね、みんな。

 

そんな男性に対して、「男性が思うようにふるまってくれなかったり、傷つけてきても、女性はどっしり構えていればいい」とよく言うじゃないですか。

女性からすると「心をなくせ」的な無理ゲーを強いられてるんですが、女性向けのコラムでも「そうあるべき!」みたいな感じでよく出てくるんだこの手の説が。いったい女の人はどれだけ頑張んないといけないのと。

 私自身省みても、「イイ女はそんな男性を愛情深く、懐深く受け入れるべきなのだ」って思い込もうとしていたところがあって。

巷で定説の「遊び人の最後の女は、どっしり構えたビックマザー理論」ですね。

 

二村さん(正確に言えば対談相手の信田さん)の言葉を借りれば、男性が女性に対して菩薩や母性を求めるのは、

実は男性の深層心理にある、理想の女性像に執着して、そうでない女性を見下し、その理想の女性像の中に、逃げ込んでいるから。

だそうです。。

 

 男や恋愛なんかで右往左往しない、自分をなんでも許して受け入れてくれる、母親のような人。。

 

 この心理の虚しいところは、男性が理想として求めているのは「目の前の、感情の揺れ動くわたし」ではなく、男性が理想とする「かつての母親、もしくは母親にあってもらいたかった姿」だということ。

「女性のプリミティブな強さに男性は惹かれる」というのも理解できる。

 

でも女の人だって揺れ動くよ。時にみっともなくもなる。

それが「受け入れられない」っていうのは要は「愛されていない」ということなのだけど。

そして女性はそんな揺れ動いた自分、愛されてない自分をますます責めたり、理由を探そうとするのだ(もう号泣)

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さて。

二村さんも向き合っていらっしゃいましたが、人のインチキ自己肯定はなおるのでしょうか。

 「人の心の穴は変わらない」という本書の前提に立つと、「なおらない」ということになります。

(他者がなおせ、というのも、翻ってその人の心の穴です)


結局恋愛は、相手の心の穴が自分の心の穴に作用し、自分の心の穴に気付く行為だと二村さんはおっしゃいます。
 
 
言わば穴がないと、心と心が強烈に引っかからないから、恋が始まらない。

事故的に始まった恋だって、「その人に恋してしまう(反応してしまう)自分の心の穴」が元々あいていたんです。

そしてわたしたちは相手に空いた同じひとつの穴を見て、好きになったり嫌いになったりしている。

無邪気で自由でやんちゃな彼に惹かれて好きになって、彼の奔放さに振り回されて嫌いになる。

愛情深い彼女に惹かれて付き合ったのに、その気持ちが重くなって逃げてしまう。

真面目で穏やかな彼を好きになったのに、刺激が足りない言って飽きてしまう。

 

その人の心の穴を違う角度、左から見て惹かれて、そして右から見て嫌いになっていることに、わたしたちは気づかない。

気づかないまま、「彼は最初そうじゃなかった、わたしがうまく駆け引きすればまたあの頃に戻れるはず」とか「彼女は変わってしまった」って思っちゃうんだ。

違うんだと。

一つの穴から始まった恋が一周しただけなんだ。

 

さらに言うと、恋という心の反応をきっかけに、「愛する技術」を身につけることも出来ます、人は。

相手の心の穴を認め、ゆるしあい、いたわりあい、いつだって一番の味方である。

「この人が愛してくれる、こんな自分でいいんだ」って思いあうことが出来れば。

愛を育んで行く関係の方が、何倍も気持ち良いと二村さんも書いてらっしゃる。

 

だけどそれがわかっていながら、なぜ人は懲りずに何度でも『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』(愛しあえる相手と恋愛出来ないのか)という命題にぶち当たるんだろう。

 

それは「人の心の穴のカタチは変わらなく」て、その穴と穴が引っかかっちゃって恋がはじまり、そして恋の初期特有のドーパミンの快楽の海に、その穴の存在を忘れて溺れちゃうから(過去の痛みを忘れて)。

 

そしてその快楽の海の潮がひいた後、愛する技術を身につけ合うことができないまま、依存したり執着したり逃げたり、憎んだり憎まれたりして、その恋を愛への発展ではなく、破滅へと幕引きしてしまうから。

 

その堂々巡りなんだよね。