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アラサーOL悲喜こもごも。

アラサーというかどんサー(30歳)OL。独身モラトリアムを謳歌するアラサーOLの日記です。

【感想】愛する技術は女の業を助く。『愛は技術 何度失敗しても女は幸せになれる。』

今回は先日発売された川崎貴子さんの『愛は技術』を読んだ感想をしたためたいと思います。

愛は技術 何度失敗しても女は幸せになれる。

愛は技術 何度失敗しても女は幸せになれる。

 

 川崎さんと言えば、ブログ「酒と泪と女と女」が大人気。女性に特化した人材紹介業の経営者であり、仕事恋愛結婚、悩める女性たちを1万人以上フォローしてこられた、人呼んで「女のプロ」。プライベートは2児のママ・執筆活動をされている素敵な方です。

 川崎さんを存じ上げたのは、1年前にブログを拝読したことがきっかけでした。

心をえぐられるようなアラサ―女性のリアルを愛のムチでビシバシ浮き彫りにされ、しかもそれが割と笑えない現実なのに、思わず他人事のように泣き笑っちゃう面白さで(川崎さんの文章を読むと、否が応にも自分を客観視させられます)、とても衝撃を受けました。

ご本人も“愛しかないけど、媚びも甘えも無い”、良い意味で本当に「記事そのまま」の方。下記リンクでは川崎さんの特に反響のあった記事を特集されているので、ぜひご一読をお勧めします。

ninoya.co.jp

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【読後感想】

さて、本題の『愛は技術』。28歳・独身OLのわたしは読者対象ど真ん中。

本の概要は、ライター・福田フクスケ氏のレビューがうまくまとめられているなぁと思うので、そちらを引用させて頂こうと思う。

news.mynavi.jp

モテテク本や恋愛自己啓発本にすがってしまいがちな女性にこそ、手に取って欲しい本。愛されないからといって、自己反省や自己責任で自分を責めるのではなく、"自分が愛するに値する男を自分から選ぼう"と説く本書は、そのための"男の見きわめ方"をスキルやライフハック(=技術)として授けてくれるのである。
著者の川崎貴子氏は、女性のための人材コンサルティング会社の社長として辣腕を振るってきたゴリゴリのバリキャリ女性。加えて、バツイチ・子持ちの末に、8歳年下のダンサーと再婚したという波瀾万丈な経歴の持ち主だ。そんな人生経験から彼女が導き出した結論は、とにかく「自分の人生を他人マターにしない」こと…(中略)…「条件の良い完璧な相手に見初められる」「信念も価値観も相性もすべて合う運命の相手」と出会える、といったロマンチシズムもばっさりお捨てなさい、と川崎氏は喝破している。相容れないのは当たり前。大事なのは、お互いの欠損を埋め合わせ、価値観の違いをすり合わせようと努力できる男性かどうか。相手がそれに値しないとわかったら、執着や依存をせずに鮮やかにリリースするのも肝要だと言うのだ。

 

たとえば第1章では、パートナーの選び方として、「『結婚向きの男』5つの条件」というものを下記のように掲げられている。

 

(1) 「ありがとう」「ごめんなさい」が言える
(2) 「会話力」「傾聴力」に長けている
(3) 相談力がある
(4) 心に何かの傷を持っている
(5) 情緒が安定していること

上記に年収や学歴などのスペックや、いわゆる「頼もしい男らしさ」が一切採用されていないのは、フクスケ氏が先述のレビューにて下記のように指摘している通りだと思う。

裏を返せばこうした古めかしい"男らしさ"が、これまでにいかに男女間の対等なパートナーシップを阻害してきたか、ということでもあるのだろう。

【パートナー構築のリアル】

本著では主に3つの主旨

男性を「育てる技術」/「育てることのできる女になる技術」/「育てる余地のない(=女の毒になる)男性を捨てる技術」が語られている。

上記の「育てる男性」にあたるのは、現時点で上記の5つの条件をバッチリ満たす男性ではない。コミュニケーション次第で良好なパートナーシップを築くことが出来る可能性のある男性である(現時点で上記条件を満たす男性を探そう、もしくはそんな男性に選ばれようなんてハナ想定していないのがこの本の大前提)。

川崎さんの再婚されたお相手も、川崎さん曰く当時はほとんど当てはまっていなかったとのことだが、連合艦隊司令長官山本五十六さながら「やってみせ 言って聞かせて させてみせ 褒めてやらねば 人は動かじ」と呪文のように唱えながら遂行した結果、6年の歳月をかけて良好なパートナーシップを築かれたとか。

女性向けまとめサイトの「彼氏と会えない時こそ自分磨きでイイ女☆」「男性が結婚を考える女性の特徴まとめ」的な「芸人の妻と同レベルに頑張れ」的なプロ彼女・プロ嫁指南鼻ほじりながら「無理だわー」で以上終了の生臭坊主なわたしでも、マネジメントのプロのリアルな語り口に、思わず姿勢を正してしまう。

過去、無駄に破局を繰り返した当時のわたしにこの発想があれば…!一見付き合っていながら実は自己肯定の低い片想いで都合の良い女になり下がったり、損切りしてるつもりの見下し女にならなかったのではと省みてしまう。

 

【男を育てられる女とは?~こじらせ女・痛い女~】

男性についてばかり書いてしまったけれど、わたしがこの本記事で言及したいのは上記のように「育てることのできる女になる技術」についてである。男性が子どもだなんだといつまでも口にするのは、「自分の幸せを他人(男性)マター」にしていることにほかならない。

第4章(P.171)に、『自分を幸せにする技術』として、以下の5つのトピックスが記載されている。

こじらせ女子の末路/「女を不幸にする思考」5パターン/薄情女の言い訳/「痛い女」になってしまう魔の瞬間/アラサ―の選択「大人の女道」

『こじらせ女子の末路』については下記のブログ記事がベースになっており、この記事は昨年秋に、わたしが最も心をえぐられた文章である。

ninoya.co.jp

私の友人達(アラフォー以降)は、女性特有のめんどくささが無い。
決断が早くロジカルで、悩みがあっても自分自身で整理することが得意な人が比較的多い。
皆、例えストレスが溜まっても、「ガハハハ!と笑いながら山賊みたいに酒を浴びて終了。」というタイプなのだが、年下の友人達、特に恋愛相談に来る若いお嬢さん方は真逆。彼女達は大抵「こじらせ女子」だ。

可愛くてスタイルも良く、学歴も高いし仕事もデキる。そんな非の打ちどころのないお嬢さんにいったい何のお悩みが?と思い話を聞いていると、途中から雲行きはバンバン怪しくなり、彼女達の奇行の数々が露わになってくる。その度に、

「うわ!めんどくさっ!」

と、私は彼氏、もしくはデートのお相手男性の代わりに心の中でシャウトしている。…(中略)…もし、私が男性だったら、「自己受容できている女性」ではなく「こじらせ女子」に嵌ってしまう気がする。(面倒な思考を持たない「山賊」はきっと論外だ。)
ま、今生私に好かれても何のメリットも無いし、「こじらせ」は、恋愛、結婚市場においてはデメリットばかりなので早々に卒業をお奨めし、卒業できる方法をアドバイスさせていただいている。

何故なら「こじらせ女子」は長く患うと完治しない病だから。
若いうちに自覚し、思考パターン+行動パターンを改めないと、「こじらせおばさん」「こじらせお婆さん」と、健やかに成長を遂げてしまうからである。その生き証人が私の母だ。

…(前略)でも、それでも、結婚も出産も育児も、母を「こじらせ地獄」からは脱却させなかった。
その後、新興宗教めぐりを何年もやっていたが、どの教祖様も、どの教えも、母を助けてはくれなかった。色々と時すでに遅かったのだと思う。

 

えぐられた理由は2つ。記事中で語られた川崎さんのお母様についての描写に、自身の母の姿を見たから。わたし自身が20数年、目の当たりにしてきた、「こじらせてしまった女性」が孤独を極めていくさまそのものだった。

そしてもうひとつは、わたし自身に流れるその血脈が年々色濃いものになっているという、うっすらとした自覚が確信として突きつけられたからだ。

低い自己肯定感と高いプライド、せき止めようにもダダ漏れる支配的で独善的な性格。頼まれもしないのに、強がりと自虐で塗り固めた鎧を纏う一方で、心の内戦・少女性を垣間見せるという救われたがりの幼稚さ。

そんな自分を自覚することで、他人からの批評を遠ざけようとする卑怯さ。

自身の色んな言動が身につまされ、過去のうまくいかなかった恋愛たちを思い出した。

わたしはいつの間に、こんな風に「痛い自我」が固まってしまったのだろうか。自らの行く末を思い、ブログを読んだスマホ片手に、うなだれ途方にくれたことを思い出す。

 

【痛い女は「対岸の彼女」ではなかった】

「痛い女」といえば、川崎さんの過去のブログ記事にこんな記事がある。

bokurasha.hatenablog.com

現代女性は多様な生き方を選べる訳だが、その選択を迫られる時期が結構早いという事、そして、個人の社会的能力に関係なく、選択によっては人生がドラスティックに変わっていく事、などが男性とは未だ決定的に違う。自分の選択を信じ、捨てた他の道を振り返らず、果敢に生きていけたらそれは幸せな事だ。しかし現実は、自分が捨てた他の道を幸せに生きている女性達の姿ばかりが目につく。
特に、選択した道が上手く行かなくなったり、体調がすぐれなかったり、孤独にさいなまれたり、そんな「魔の時」に、ある女達は「痛い女」に変貌を遂げる。痛い女の何が悪いと、思う人もいるだろう。でも、周囲に迷惑をかけるだけじゃなく、その「痛み」は本人に何十倍にもなって帰ってくる。そして、痛い女は更に孤立し、もっと痛い結末へと自分を導いていくのだ。

「痛い女」の「痛い」は「痛々しい」が由来のはずだが、わたしはいつしか「イタイ=恥ずかしい」と捉えていたように思う。

しかしこの文章を読み返し、本来「痛い女」は「痛み」なのだと思い出した。「恥ずかしさ」のように開き直りで何とかできるものではないことを。そしてある人の痛み(傷み)をその身近な人が悼む辛さは、尋常ではないことも。

「大切な人の痛みこそ、愛せばいい」そう口にするのは簡単だが、他人の痛みを他人が愛し続けることが出来るのは、当人が自身のことを受け入れ、痛めつけない方向を向いている時だけだ。当人がそこに本質的に目を向けず、他責にし恨む中で、他人の愛は効力を持たない。

だからよく「まず自分を愛せない人は他人からも愛されない」と言われるのだろう。『愛は技術』の根底には、その根本にある女性の「自己肯定感」についての思想が流れている(「母親の呪縛~自己肯定できない女たち」P.214)。

【「ありのまま」じゃ幸せになれない?!】

しかし「自己肯定感を持ち幸せに生きる」こと=必ずしもすべてありのまま生きていけることでは、無い。川崎さんを良い意味で「甘え」がないと評したのはこういうところでお茶を濁さない、甘やかさないからだ。

むしろ幸せに生きるためには、コントロールしなければならないことの方が多い。内からせりあがってくる苦しみや辛さをありのまま発露することではないし、身に降りかかる辛苦をいたずらに我慢したりするのではなく「正しくコントロールする」ことを要される。

特に「キャリア系」と括られるような女性(自分自身への戒めを含めてだが)は、一見正しくコントロール出来そうで必ずしもそうではない。

我慢してはならないところで無駄に持ち前のガッツを見せ、コントロールすべきところで何故か独善的な甘えが露呈したり、ぷっつり糸が切れるところがある。

当人の気質が劣っているのはなく、人よりも理想と根性を持つ特性と、普段厳しく甘えられない環境に身を置いているという結果の裏面なのだけれど。

恋愛・結婚においても、キャリア系女性がダメんずの事故物件を引き受ける、イイトシした男の母親代わりになりがちとされるが、「じゃあどんな男を育てたらいいの?!」の答えもきちんと『愛は技術』では語られているのが、キャリア女性を幾多フォローしてきた川崎さんならではだと思う。

(第2章『愛しい男を育てる技術』「男をだめにするキャリア女性たち」)

【大人には「大人の女道」】

第4章『アラサ―の選択「大人の女道』にこんな記述がある。

一歳でも若く居たいという女性自意識から逆行するかもしれませんが、ライフステージに何かとリミットがある女性側が、とっとと腹を括って大人化した方が圧倒的に合理的なのです。
「大人の女道」とは、結局の所「女のダンディズム」なんですよ。
私達が履くハイヒールというものは、歩きづらいし、足も腰も痛くなるし、決して楽な代物ではありません。それでも、私達は「綺麗に見えるから」履く訳です。
それと同じように、大人の女達は、たくさんの問題や葛藤を抱えながらも情緒を安定させ、慌てず騒がず、無駄な時間や人間関係に魂を奪われず、自分の美学を持って生きておるのです。我慢の先の艶、なのです。(『愛は技術』P.200)

この記事のベースとなった下記リンクのブログ記事では、このままだと女子妖怪?!普通のおばさん行き?「「大人の女」チェックリスト19」が記載されてる。

ninoya.co.jp

 半年前に上記のブログ記事を拝読し、指折り数えながらチェックリストを読み進めた際に、金麦のCMにいらいらしてしまう(当てはまっていた)わたしは「ですよね・・・」とうなだれつつも(うなだれてばっかだな)、「選ばれる客体からの脱却を目指し、愛され女子HOW TOをむりやりマネしようとすることと、大人の女になるための痩せガマンは根本的に何が違うのだろう?」という疑問と窮屈さを感じたことも本音である。

その疑問は今回『愛は技術』を読んで腹落ちした。人間にとっての幸せは、究極「人に愛されること」であり、その手綱を握る主体が誰であるかが重要だと理解したからだ。

誰もが「幸せになりたい」と思う。しかしどれだけの人が「自分の幸せ」に対して腹を括れているだろうか?

川崎さんは本著で「自分の人生を他人マターにするな」(=だから「白馬に乗った理想通りの男性を待つのではなく、愛する技術を身に付け、愛する人・自分自身を育む」ことや、そのためのキャリアアップが必要)という主張を一貫してされている。 

人は一時の感情やドーパミンなどの脳内ホルモンに翻弄され、時として「不幸せ方面」に流されやすい

しかし選択肢と迷いの多い女人生の岐路に居ても、自分自身の手綱をしっかりと握りしめていれば、例え一度や二度方向を間違えたとしても、必ず幸せになれる。そして道に迷うことを、手綱をゆるめる理由にしてはいけない。本著を読んでいるとそんな気がしてくる。

 

あとがきにこんな一文がある。

「「何度失敗しても大丈夫。幸せになれるよ。だって女だし!」というメッセージをひとりでも多くの女性たちに届けられるように、私自身も失敗を恐れずチャレンジし続け、これからも「女の生き様」を刻み続けたいと思っております。」(『愛は技術』P.247)  

ロールモデルが周りに居ない」「あの人みたいになりたくない」ということを口にする女性ほど、自分以外の女性の生き方をよく見ているように思う(反対によく見ていない人ほど、「憧れ」という言葉を誰にでも簡単に口にしている気がする)。

自分にも他人にもシビアで裏も表もよく見えるからこそ、そう思うのだろう。

 どんな人も、キラキラしている時もあればしていない時もある。美しさもあれば醜さも併せ持つ。

女性たちがそんな自分たちの生き様を、女性同士で出し惜しみなく見せ合い、経験を言葉にし、本音で語り合う。そんな女性たちのカッコ良さにシビれ、刺激を受け、自分で愛を育んでいく。周りに人が集まってくる。それだけで孤独な「痛い女」にはなりきれない。

孤独になっても、なんの良いことも無いから。

 

裏も表もあって当たり前。女の業が深くても、愛する技術は身を助く。

自分自身の手綱を引いて、時にすべてを受け入れ、ハイヒールを履く。

いつの間にか「女子」ではなくなっていたアラサ―世代。歳下から見れば「アラサ―になりたくない」で、上から見たら「中途半端」で。

だけど、「大人の女の人生」を歩みはじめるのも悪くないな、そう思わせてくれる一冊です。