しまずあいみのぽんこつ日誌

~アラフォーになったのでタイトル変えました~

【感想】愛する技術は女の業を助く。『愛は技術 何度失敗しても女は幸せになれる。』

今回は先日発売された川崎貴子さんの『愛は技術』を読んだ感想をしたためたいと思う。

amzn.to

 川崎さんと言えば、ブログ「酒と泪と女と女」が大人気。

女性に特化した人材紹介業の経営者であり、仕事恋愛結婚、悩める女性たちを1万人以上フォローしてこられた、人呼んで「女のプロ」である。

 

川崎さんを存じ上げたのは、1年前にブログを拝読したことがきっかけ。

心をえぐられるようなアラサ―女性のリアルを愛のムチでビシバシ浮き彫りにされ、しかもそれが割と笑えない現実なのに、思わず他人事のように笑っちゃう面白さだ。

 

ご本人も“愛しかないけど、媚びも甘えも無い”、良い意味で本当に「ブログや著書そのまま」の方。

下記リンクでは川崎さんの特に反響のあった記事を特集されているので、ぜひご一読をお勧めしたい。

ninoya.co.jp

 

【読後感想】

さて、本題の『愛は技術』。28歳・独身OLのわたしは読者対象ど真ん中。

本の概要は、ライター・福田フクスケ氏のレビューがうまくまとめられているなぁと思うので、そちらを引用させていただこうと思う。

 

news.mynavi.jp

モテテク本や恋愛自己啓発本にすがってしまいがちな女性にこそ、手に取って欲しい本。愛されないからといって、自己反省や自己責任で自分を責めるのではなく、"自分が愛するに値する男を自分から選ぼう"と説く本書は、そのための"男の見きわめ方"をスキルやライフハック(=技術)として授けてくれるのである。
著者の川崎貴子氏は、女性のための人材コンサルティング会社の社長として辣腕を振るってきたゴリゴリのバリキャリ女性。加えて、バツイチ・子持ちの末に、8歳年下のダンサーと再婚したという波瀾万丈な経歴の持ち主だ。そんな人生経験から彼女が導き出した結論は、とにかく「自分の人生を他人マターにしない」こと…(中略)…「条件の良い完璧な相手に見初められる」「信念も価値観も相性もすべて合う運命の相手」と出会える、といったロマンチシズムもばっさりお捨てなさい、と川崎氏は喝破している。相容れないのは当たり前。大事なのは、お互いの欠損を埋め合わせ、価値観の違いをすり合わせようと努力できる男性かどうか。相手がそれに値しないとわかったら、執着や依存をせずに鮮やかにリリースするのも肝要だと言うのだ。

 

たとえば第1章では、パートナーの選び方として、「『結婚向きの男』5つの条件」というものを下記のように掲げられている。

 

「『結婚向きの男』5つの条件」

(1) 「ありがとう」「ごめんなさい」が言える
(2) 「会話力」「傾聴力」に長けている
(3) 相談力がある
(4) 心に何かの傷を持っている
(5) 情緒が安定していること

 

上記に年収や学歴などのスペックや、いわゆる「頼もしい男らしさ」が一切採用されていないのは、フクスケ氏が先述のレビューにて下記のように指摘している通りだと思う。

 

裏を返せばこうした古めかしい"男らしさ"が、これまでにいかに男女間の対等なパートナーシップを阻害してきたか、ということでもあるのだろう。

 

「『結婚向きの男』5つの条件」を挙げつつも、現時点で「5つすべての条件を満たす男性を探そう」もしくは「そんな男性に選ばれよう」なんてハナ想定していないのがこの本の大前提である。

 

コミュニケーション次第で良好なパートナーシップを築くことが出来る可能性のある男性を見極める、そして育てられる女性になることを指南している。

 

川崎さんの再婚されたお相手も、川崎さん曰く当時はほとんど当てはまっていなかったという。

連合艦隊司令長官・山本五十六さながら「やってみせ 言って聞かせて させてみせ 褒めてやらねば 人は動かじ」と呪文のように唱えながら遂行した結果、6年の歳月をかけて良好なパートナーシップを築かれたとか。

  

男性についてばかり書いてしまったけれど、わたしがこの本記事で言及したいのは上記のように「育てることのできる女になる技術」についてである。

 

男性が子どもだなんだといつまでも文句をつけるのは、「自分の幸せを他人(男性)マター」にしていることにほかならない。

そのためにはまず女性自身の自立が肝要なわけだが、第4章(P.171)に、『自分を幸せにする技術』として、以下の5つのトピックスが記載されている。

 

こじらせ女子の末路/「女を不幸にする思考」5パターン/薄情女の言い訳/「痛い女」になってしまう魔の瞬間/アラサ―の選択「大人の女道」

 

『こじらせ女子の末路』については、下記のブログ記事がベースになっており、この記事は昨年秋に、わたしが最も心をえぐられた文章である。

ninoya.co.jp

(前略)年下の友人達、特に恋愛相談に来る若いお嬢さん方は真逆。彼女達は大抵「こじらせ女子」だ。
可愛くてスタイルも良く、学歴も高いし仕事もデキる。そんな非の打ちどころのないお嬢さんにいったい何のお悩みが?と思い話を聞いていると、途中から雲行きはバンバン怪しくなり、彼女達の奇行の数々が露わになってくる。その度に、
「うわ!めんどくさっ!」
と、私は彼氏、もしくはデートのお相手男性の代わりに心の中でシャウトしている。
(中略)「こじらせ」は、恋愛、結婚市場においてはデメリットばかりなので早々に卒業をお奨めし、卒業できる方法をアドバイスさせていただいている。
何故なら「こじらせ女子」は長く患うと完治しない病だから。
若いうちに自覚し、思考パターン+行動パターンを改めないと、「こじらせおばさん」「こじらせお婆さん」と、健やかに成長を遂げてしまうからである。その生き証人が私の母だ。

 

えぐられた理由は2つ。

記事中で語られた川崎さんのお母様についての描写に、自身の母の姿を見たから。

わたし自身が20数年、目の当たりにしてきた、「こじらせてしまった女性」が孤独を極めていくさまそのものだった。

 

そしてもうひとつは、わたし自身に流れるその血脈が年々色濃いものになっているという、うっすらとした自覚が確信として突きつけられたからだ。

 

低い自己肯定感と高いプライド、せき止めようにもダダ漏れる支配的で独善的な性格。

頼まれもしないのに、強がりと自虐で塗り固めた鎧をまとう一方で、心の内戦・少女性を垣間見せるという救われたがりの幼稚さ。

 

わたしはいつの間に、こんな風に「痛い自我」が固まってしまったのだろうか。自らの行く末を思い、途方にくれてしまった。

 

川崎さんはこうも語っている。

現代女性は多様な生き方を選べる訳だが、その選択を迫られる時期が結構早いという事、そして、個人の社会的能力に関係なく、選択によっては人生がドラスティックに変わっていく事、などが男性とは未だ決定的に違う。

自分の選択を信じ、捨てた他の道を振り返らず、果敢に生きていけたらそれは幸せな事だ。しかし現実は、自分が捨てた他の道を幸せに生きている女性達の姿ばかりが目につく。
特に、選択した道が上手く行かなくなったり、体調がすぐれなかったり、孤独にさいなまれたり、そんな「魔の時」に、ある女達は「痛い女」に変貌を遂げる。
痛い女の何が悪いと、思う人もいるだろう。でも、周囲に迷惑をかけるだけじゃなく、その「痛み」は本人に何十倍にもなって帰ってくる。そして、痛い女は更に孤立し、もっと痛い結末へと自分を導いていくのだ。

 

『愛は技術』の根底には、その根本にある女性の「自己肯定感」についての思想が流れている(「母親の呪縛~自己肯定できない女たち」P.214)。

 

自己肯定感を持ち幸せに生きるためにどうすればよいだろうか。

最近はそのアンサーとして「ありのまま生きる」的な論調がもてはやされるが、川崎さんは必ずしもそういう論調を是としていないように思う。

 

わたしが冒頭で川崎さんの執筆されたものを良い意味で「甘え」がないと評したのは、こういうところでお茶を濁さない、甘やかさないからだ。

 

むしろ幸せに生きるためには、コントロールしなければならないことの方が多い。

内からせりあがってくる苦しみや辛さをありのまま発露することではないし、逆に身に降りかかる辛苦を、いたずらに我慢したりするのでもない。

 

特に川崎さんが指摘するように、「キャリア系女性」や真面目な女性ほど、我慢してはならないところで持ち前のガッツや強い責任感で自身を犠牲にし、その反動で時に独善的な甘えが露呈したり、ぷっつり糸が切れるところがある。

 

わたしはそれを当人の気質が劣っているのはなく、人よりも理想と根性を持つ特性と、普段厳しく甘えられない環境に身を置いているという結果の裏面だと思う。

 

本書ではそんなキャリア系女性が「ダメんずという事故物件を引き受けてしまう件」「イイトシした男の母親代わりになってしまう件」などの「あるある現象」もフォローが行き届いている。(第2章『愛しい男を育てる技術』「男をだめにするキャリア女性たち」)

 

【大人には「大人の女道」】第4章『アラサ―の選択「大人の女道』にこんな記述がある。

一歳でも若く居たいという女性自意識から逆行するかもしれませんが、ライフステージに何かとリミットがある女性側が、とっとと腹を括って大人化した方が圧倒的に合理的なのです。

ninoya.co.jp

 

この記事を最初に読んだとき個人的には、「選ばれる客体からの脱却を目指し、愛され女子HOW TOをむりやりマネしようとすることと、大人の女になるための痩せガマンは根本的に何が違うのだろう?」という疑問と窮屈さを感じてしまった。

 

その疑問は今回『愛は技術』を読んで腹落ちした。

人間にとっての幸せは、究極「人を愛し、愛されること」であり、その手綱を握る主体が誰であるかが重要だと理解したからだ。

 

誰もが「幸せになりたい」と思う。しかしどれだけの人が「自分の幸せ」に対して腹を括れているだろうか?

 

川崎さんは本著で「自分の人生を他人マターにするな」(=だから「白馬に乗った理想通りの男性を待つのではなく、愛する技術を身に付け、愛する人・自分自身を育む」ことや、そのためのキャリアアップが必要)という主張を一貫してされている。 

 

人は一時の感情や脳内ホルモンに翻弄され、「不幸せ方面」に流されやすい。

 

しかし選択肢と迷いの多い女人生の岐路に居ても、自分自身の手綱をしっかりと握りしめていれば、例え一度や二度方向を間違えたとしても、必ず幸せになれるというのがこの本のメインメッセージではないだろうか。

 

あとがきにこんな一文がある。

 

「「何度失敗しても大丈夫。幸せになれるよ。だって女だし!」というメッセージをひとりでも多くの女性たちに届けられるように、私自身も失敗を恐れずチャレンジし続け、これからも「女の生き様」を刻み続けたいと思っております。」(『愛は技術』P.247)  

 

いつの間にか「女子」ではなくなっていたアラサ―世代。

 

歳下からは「アラサ―になりたくない」と思われ、上から見たら「まだまだ経験不足」とみなされるのかもしれない。

だけどその妙を味わいながら、「大人の女の人生」を歩みはじめるのも悪くないな、そう思わせてくれる一冊だと思う。