しまずあいみのぽんこつ日誌

~アラフォーになったのでタイトル変えました~

「人は結局自分が見たいようにしか見ない」

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「結局人間、自分が理解したくないことはわからないって言うし、してほしくないことをされたら理解できないって怒るんですよ」

この間、後輩が飲みの席で「好きでもないくせに手をつないだり、夜中に電話してきたりするんですよ。だからといってヤるわけでもないし付き合うわけでもないし、なんなんですかね?」「彼の気持ちがわからない。」と可愛らしくも愚痴っていた。

「あの人の気持ちがわからない」。恋愛に限らず、そう口走ったり、そんな一言を聞いたりするのは日常で往々にしてあると思う。

ひとは相手が自分にとって望ましくない行動をとったり、はぐらかされたり、意思疎通が出来てないと、「相手が何を考えてるのかわからない」という。

だから“答えを探しているテイでぐるぐる考えるんだけど、”根底では相手を責めたい気持ちがあるので思考にモヤがかかり、一向に相手の気持ちや考えに辿り着くことができない。

わたしはそういう思考になった時にふと思うことがある。相手は「なんも考えてない」と言えば考えてないし、「考えている」と言えば考えてるのだろうと。

前者の意味は、相手の考えの中に「わたし」なんてほぼ居なくて、居たとしてもわたしが望むほどには考慮されていないということ。

後者の意味では、相手は何かしら少なからず意図があって行動しており、それが真実そのものだということ。

でも人は「自分が見たいようにしかものごとを見れない」から、事実を事実のまま受け取らずに「相手が何を考えてるかわからない」「理解出来ない」という。

一方的に抱いた期待に失望したくなくて、絶望したくなくて、思考を停止させるしかないのだ。少し考えればわかることを、いつまでもわかろうとしないのが、いまその時点で振り絞って出せるその人の答えなのだろう。

いつまでもわからない振りを続ける、滑稽さも身にしみてわかっていて、それでも「男(女)って何考えてるかわかんないよね」「あの人ってなんも考えてないよね」と同情し、同調し合う。

そんなこと言うと「女同士の同情とか同調なんてくだらねぇんだよ」って女子会批判されたり、「男同士の傷舐め合い」って揶揄したりするけど、人生のやりきれないものをどうにかやりきろうとして、そうやってみんな生きてるだけなんじゃないだろうか。

いっとき、どれだけわからない理解できないと言っていても、時はそんな当人を置き去りにしたまま残酷に流れていく。そして結局はいつか諦めて、折り合いを付けながら生きていくのだから。