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アラサーOL悲喜こもごも。

アラサーというかどんサー(30歳)OL。独身モラトリアムを謳歌するアラサーOLの日記です。

「愛されていない自分」の正体は自分の被害者意識

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人間関係のたいがいの問題は、自分自身の被害者意識から起こる。

 

「愛されてない」

「必要とされていない。」

「大切にされていない。」

「わかってもらえない。」


「そうじゃない、と言って欲しい。」

と感じること。

 

不安のままにぶつけた不信感や猜疑心、

自己肯定感の低さを相手に埋めてもらうことを目的とした、感情表現の要求。

確かめたくて怒らせたり、困らせたり、それでも許して欲しいと願ったり。

自己肯定の低さから派生した依頼心が、「本当は愛してくれていた」「必要としてくれていた」人を傷つける。

そしてその結果、取り返しのつかないことになる。

 

失ってから気付く。

相手の心に、確かに在ったはずの自分。

相手が向けていてくれたまなざしに。

 

「愛されてない自分」「思われていない自分」は、たいがいが実態のない、自分が作り出したおばけである。

そのおばけを怖がって騒いでるのは自分だけで、ほかの人には見えないのだ。

 

「だけど、不安になってしまうの。」

 

その原因は、相手にそう思わせる問題があるからでも、自分自身にトラウマがあるからでもない。それはそもそもの原因じゃない。

 

ただ相手が「自分のことを思っている」。

それを確かめるのを目的に、手段として不安になっているだけなのだ。

 

「そうじゃないよ、こんなにも思っているよ」

 

自分はないがしろにされているんじゃないか、もっと安心させて欲しい、という被害者意識から、

確かめる言葉を引き出したいと願い、その目的ためにわざわざ「不安なわたし」の状態になっているのだ。

 

人は目的のためなら手段を選ばない。

要はアドラーの目的論ですが。

http://ipedia.org/wiki/アドラー心理学

 

「思われていない自分」というおばけの正体は、自分の被害者意識だったんだ。

  

自分の被害者意識を癒すためなら、大切な人だって困らせることの出来る貪欲さ、いやしさ、そしてたくましさよ。



もちろん、自分の中のおばけに振り回されることもあるだろう。


だけど出来るだけ、思ってくれているかもしれない人に、笑顔を向けよう。

相手の言葉をかみしめて、満たされよう。


失ってからじゃもう遅いから。