しまずあいみのぽんこつ日誌

~アラフォーになったのでタイトル変えました~

永遠の幸福の8秒間。父の死が教えてくれたこと。

「昨日産まれたばかりのように、一度死に直面したかのように、日々を味わい、慈しんで生きよ」

どんなに身体に気を使ってたって、私たちは食べ物から、空気から、栄養以上の毒を吸収している。
どんなに幸福感(セロトニン)を分泌しても、日々それ以上の不快物質(ノルアドレナリン)を出して生きている。
その意味で、人間は生まれた時から死に向かう、毒を盛る器でしかない。生まれた時から血を噴き出して生きている。その出血は死ぬその時まで止まらない。
 
そしてどこかで大量出血して、終わりに辿り着く。そして、そんな出血の旅の途中でも、人生には幸福を感じるチャンスが用意されている。
人間の脳が幸福を感じることが出来るのは、最大8秒間という説がある。
貴重な最大8秒間の幸福。それは一瞬であり、永遠である。
 
人生に過激さや刺激を求めて、「血は流してなんぼ」と、出血を加速させるのか。タモさんのように「現状維持」を人生のテーマに、日々出来るだけ止血しながら、たまに訪れるささやかな8秒間を味わうのか。それは人それぞれだから、その選択は誰にも止められない。
 
会社帰り、涼しい夜風にあたりながらそんなことを考えていて、ふと懐かしい感覚に陥った。
 

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わたしが中学3年の夏、49歳の若さでアル中とニコチン中毒のせいで、食道ガン、肺ガン、胃ガンのトリプルアタックで入退院を繰り返した父親が、突然「危篤」というので急いで見舞いに行った。
三ヶ月前から愛媛と名古屋という距離で別居していた父親との、久しぶりの再会だった。
個人病棟で寝たきりの父親の腹は、布団の上から判るほどかなり膨れていて、死期が近いのは誰の目にも明らかだった。
後から祖母や医者に話を聞くと、父はその状況でも自身が自分の死を予感していたかどうかは怪しくて、さすが自分以外のあらゆる人間をバカにし、自分しか信じない人だったなと思った。
見舞いに着いて早々、CDやレコードを万単位で所有する音楽オタクの父から「病室用にオーディオを買って来て欲しい」と言われ、遣いに行った。
「危篤状態だと言うのに、のんきだな…」と思いながら、わたしは渡されたお札を握りしめ街へ出た。
 
そうこうしている間にぽっくり逝かれてはどうしようと、冷や汗をかきながら、そして猛烈に焦りながら、でも予算内で買える、出来るだけ良さそうなオーディオを街で探した。
2〜3日かかるという宅配を断り、大きなオーディオを真夏日にえっちらおっちら抱えて病室に持って帰った。
すると父は病室から忽然と姿を消していた。もしや既に手遅れだったかと青ざめたのも束の間、どうやら様子がおかしい。
まさか脱走はしてないよなと病室のトイレのドアを開けた瞬間、彼はトイレでさも美味しそうに煙草を吸っていた。まるで学生のヤンキーである、、、。高校教師をしている父が、「便所」で隠れて喫煙しているのである。
「ダメだこりゃ…」。一気に脱力感に襲われたと同時に、その時、なんか哀しくて可笑しくて恥ずかしくて、わざと手を叩いて笑った。父親も、決まりが悪そうに苦笑いしていた。
それが最後に見た父親の笑顔だった。
 
あの時父の病室で「自分の血は、自分の好きに流すしかない」ということが分かった時、わたしは諦めと清々しさを感じていた。
幸福の8秒間のために、その瞬間、自らの出血を加速させるのだとしても。
あの父の隠れ喫煙が、彼にとっての幸福の8秒間だったのなら、いいなと思う。そして、哀しくて可笑しくて父親と笑い合ったあの瞬間は、わたしにとっては幸福の8秒間だった。
そして、どんな思い出よりも、あの8秒間がわたしと父の永遠として生き続けている。
あれから13年経った、父親の命日に。
 
ブログでさらしたからって、化けて出るなよ。